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孤独死だけではない「男性のおひとり様」問題がますます深刻化するワケ

2020-11-09 15:58:03 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインから借用(コピー)です。
現在の日本でいちばん多い世帯は、夫婦と子どもからなる家族ではなく、単身で暮らす「おひとり様」。特にここ数年は、65歳以上の単身世帯が増えているのだそう。社会学者の筒井淳也先生が「中でも深刻なのは高齢男性の単身者問題」と語る理由とは──。
生活力がなさすぎる
日本では2010年以降、65歳以上の高齢者の単身世帯が大きく増加しています。内訳を見ると、今のところは高齢女性のおひとり様が多いのですが、10~20年後には男性も増えてくるでしょう。妻に先立たれた人だけでなく、近年増加中の生涯未婚の男性も加わってくるためです。
今、65歳以上で一人暮らしの男性は、妻に先立たれた人がほとんどです。この世代は家事を妻に任せっきりにしてきた人が多く、自分で自分の身の回りのことができないという傾向があります。
日常生活を送る上で自立できていないわけですが、本人たちがそれに気づくのは妻がいなくなった後。多くの男性は、妻のほうが後に亡くなると思い込んでいるので、一人暮らしになった時に備えて家事力をつけておこうとは考えません。
料理も洗濯も掃除もままならない状態で、ある日突然一人暮らしになる。そうなれば、生活に深刻な問題が起きるだろうことは想像に難くありません。高齢者のおひとり様で大切なのは、第一に「自分で自分の身の回りのことができる」ことだと言えるでしょう。
また、身の回りのことができても、孤立した状態では安心して暮らせません。その意味で、第二に大切なのは「周囲との関係を維持できる」ことです。
「自立=稼ぐこと」は勘違い
例えば体調が悪くなったり、孤立感を覚えたりしたらどうするか。助けを求められる相手や、支え合える相手が身近にいればいいのですが、そうでない場合は心身ともに問題が深刻化してしまいます。

しかし、長い間仕事一筋で生きてきた男性は、会社外での人間関係を築くことが苦手な傾向にあります。さらに、他者に助けを求めることにも慣れておらず、生活に問題が起きても家族や友人、行政などに対して「助けて」とは言えない人もいます。
こうした事態を防ぐには、おひとり様になる前から本人が「自立」を心がけておく必要があります。自立とは、働いて稼ぐことだけではありません。ひとりでも身の回りのことができる、周囲との関係を維持できて困った時は助けを求められる、この2点も大事な要素なのです。
「自立=稼ぐこと」と考えている男性には、早いうちに自立のイメージを変えておいてほしいと思います。ただ、長年の思考や行動のクセを変えるのは難しいもの。
お膳立てがないと人間関係を築けない男たち
特に、今の65歳以上の男性の多くは会社人間でもあり、接待文化の中で育っています。人間関係も、そうした役職という肩書やお膳立てがあればつくれるのですが、ゼロの状態からまったく知らないコミュニティーに入るのは苦手な場合が多いでしょう。
男性には、一度気が合わないと感じたら、そのコミュニティに居続けられないという傾向があります。一方、女性には、コミュニティの中でも気の合う少人数だけで集まって、他の人の陰口を言うことで共感を深め合える人が少なくありません。
こうした陰口は、男性からすれば陰険なようにも思えますが、人間関係を維持するためのひとつの手段なのです。男性はそれがうまくできず、気の合わない人がいたらいっそのことそこから抜け出そうとしてしまう。そのために交友関係が狭くなってしまいがちだと私は考えています。まずはこの点を自覚して、地域活動などの機会があったら、まずは気軽に参加してみてほしいと思います。
スポーツクラブなどに入るのもいいでしょう。たとえ互いの私生活にはタッチしない浅い関係でも、他者と会話する場があるだけで孤立感は防げます。ずっと欠席している、連絡が取れないといった場合には、そうした相手が心配して行政につないでくれる可能性もあります。
「家族がいる」が前提のしくみは見直しを
では、こうしたおひとり様への備えは、本人が努力するしかないのでしょうか。私は、周囲や社会にもできることはあると考えています。企業は、退職後の人生に関する研修などを通して、意識の変化を促せるはずです。高齢単身世帯に声かけをする地域ボランティアなども支えになるでしょう。
ボランティアは収入や時間に余裕がないと難しいものですが、幸いなことに最近は在宅ワーカーも増えています。そうした人たちが、余った時間を無償労働に当ててくれるようになったらどれほど心強いか。その可能性を広げるためにも、「会社にいる時間」の削減には引き続き取り組んでいくべきです。
そして、今後はおひとり様男性が増えてくることを考えると、社会のサポート体制も考え直していかなければなりません。前述のように、男性は家族ではない他人に助けを求めるのが不得手なため、家族がいないと孤立してしまいがちです。この場合に起きる問題は孤独死だけではなく、けがや病気で生活を維持できなくなっているのにサポートが得られないという事態もあり得ます。
入院すればケアマネジャーやヘルパーが紹介されることもありますが、どう支えてもらうかを決める場では、家族の同席や承認を求められることもしばしば。現状のケアの仕組みは「家族がいる」ことが前提で、単身者向けにはなっていないのです。
高齢単身者が増えるということは、身近な家族のいない高齢者が増えるということです。日本は、ここをしっかり支える仕組みをつくっていかなければなりません。介護や福祉の制度を実情に合うよう改善すると同時に、病院、施設、自宅、それぞれの場所で暮らす単身高齢者に対して、よりきめ細かな支えやより多くのスタッフを用意していくべきでしょう。
問題が起きても気づかれないまま深刻化する
女性は年齢を重ねても、単身者同士でシェアハウスに住んだり、施設で交流の輪を広げたりと、新たな人間関係をつくるのが得意な人が多いようです。でも、高齢男性のシェアハウスはあまり聞いたことがありませんし、施設でもプライドが邪魔してか、レクリエーションなどで皆の輪に入らない場合が少なくないと聞きます。
男性の高齢単身者の多くは、自分から人に働きかけることが不得手なのです。そのせいで、問題が起きても周囲に気づかれにくく、どんどん深刻化してしまう。
しかし、本人の意識変化を促す仕組みや、自ら助けを求められない人を放置しない社会的仕組みがあれば、孤独死や生活崩壊のような事態は防げるはずです。今後ますます増えていく高齢単身者のために、企業や行政、そして私たち一人ひとりが「何ができるか」を考えていく必要があると思います。


若年性認知症、妻の心揺さぶる 介助担う69歳夫、哀愁のハーモニカ

2020-11-09 08:57:54 | 日記

下記はヤフーニュースからの借用(コピー)です


「赤とんぼ」「もみじ」「五木の子守唄」-。哀愁を帯びたハーモニカの音色が響くと、それまでうつろな表情だった光嶋早代子さん(60)=熊本市中央区=は手足でリズムを取り始め、自然とハミングが漏れ出した。それは次第に“歌”となり、言葉が紡ぎ出されていった。
県内の認知症患者と家族の交流会「みどりの小路」で、ボール遊びを楽しむ光嶋敏雄さんと早代子さん夫妻=10月、熊本市東区の県民総合運動公園
 早代子さんは6年前に若年性アルツハイマー型認知症と診断された。症状は徐々に進行し、今では会話もままならない。ハーモニカは、夫の敏雄さん(69)が「音楽が認知症にいい」と、昨年1月に習い始めたものだ。  「まっとうやが好きなの」。興に乗り出した早代子さんは演奏が終わると、自ら松任谷由実の「ルージュの伝言」を口ずさみ始めた。「自然と体が動きだすなんて、音楽の力はすごい」。数曲を吹き終えた敏雄さんも満足げだ。  厚生労働省の2019年国民生活基礎調査によると、家族の介護を主体的に担う同居者のうち、男性は35・0%と01年の23・6%から大幅に増えた。女性に比べ、男性介護者は家事に不慣れで地域社会との結び付きが弱く、介護に行き詰まって孤立するケースも少なくない。「ケアメン」と呼ばれる男性介護者の現状はー。  早代子さんはトイレや入浴など、生活全般で介助が必要だ。着替えもできず、夫の敏雄さんが手伝うとズボンの片方に両足を入れようとする。ドアノブが回せず、敏雄さんは朝からガチャガチャとノブを鳴らす音で起こされる。
 早代子さんの発症まで家事の一切を妻に任せていた敏雄さん。今では朝から米を6合炊いてみそ汁も鍋いっぱいに作り、3日分を作り置きする。「最初は大変だったけど、俺がしないとしょうがない。でも、晩酌の後の皿洗いだけは今でもストレス」とこぼした。  異変が起きたのは51歳だった9年前。敏雄さんが公務員を退職後に再就職した頃だった。早代子さんが何度も同じ話をすることに気付いた。スポーツ万能だったのに運動をしたがらなくなり、人と会うのも嫌いだした。料理を失敗し、車をぶつける。敏雄さんは更年期障害と思い込み「こんな症状もあるんだな」と驚いた。  ある日、早代子さんの運転する車が急ハンドルを切り、助手席の敏雄さんを慌てさせた。2014年5月に病院を受診し、認知症と診断された。  「治る病気と思っていた。治してやると意気込んでいた」。敏雄さんは早代子さんに新聞コラムの書き写しや「脳トレ」をさせ、時間がかかり誤字があると強い口調で注意した。今から思えば最悪の対応だった。
「文句の付けどころがない妻」だった早代子さんが、コミュニケーションすら難しくなっていく。明るかった性格まで変わり、敏雄さんは妻の変化を受け入れられなかった。診断から1年以上は親戚にも病気のことを言えず、言えないことが心の重しになっていた。  何でこんなこともできないのかと、いらいらが募り、早代子さんに手を上げたこともある。敏雄さんは「大変な状況は変わらない。いつもニコニコなんて、到底できない」と言い切った。  そんな生活を送っていた今年4月、早代子さんが認知症の実母(83)宅から2人していなくなった。警察に届け、実母宅で待ち続けたが、時間はたつばかり。4月にしては冷えた日で、夜道は怖かろうと妻を思い、いたたまれなかった。  見つかったのは翌日午前8時すぎ。「生きててくれて本当によかった」。敏雄さんは感情が噴き出し、人目もはばからず泣いた。「あんなに切ない思いをしたのは、人生で初めてだった」
 敏雄さんは1年前から新聞に載った菓子のレシピを切り抜いては手作りしている。敏雄さんのクッキーの話に早代子さんは「おいしいもん。ずっと食べられる」と不明瞭な言葉でしゃべり出した。  早代子さんも料理が得意で、菓子類は本格的だった。敏雄さんが「何でも上手だった」と持ち上げると、早代子さんは「そうね」と一拍置いて、小さな声で言った。「でも、作れなくなったの」  うつむき、表情を硬くしたように見えたが、内心をうかがい知ることはできなかった。(福井一基)
https://news.yahoo.co.jp/articles/83cc8677033eab47978721493f3cad5a60cc5fb0?page=1