皆さんと一緒に考えましょう

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「認知症になると死は怖くなくなるか?」91歳専門医が出した結論

2020-11-15 15:57:03 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

自身が認知症になった専門医の長谷川和夫さんは、認知症をどう考えているのか。長谷川さんは「ボクは心臓に病気があって、発作に備え、いつも薬を持ち歩いています。だから死について考えることも多い。そんなボクにとって、認知症は、死への恐怖を和らげてくれる存在のような気がする」という――。
※本稿は、長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
認知症になると、死は怖くなくなるのか
ある講演会に招かれたとき、「認知症になると何もわからなくなるから、死は怖くなくなるのですか。認知症でないときよりも、むしろ楽なのでしょうか」と尋ねられました。ボクが自分のことを認知症だと思いはじめていたころのことでした。
ボクはこんなふうに答えました。
「正直、わかりません。でも、重い認知症になっても、自分がされたら嫌なことや、自分の存在が消滅してしまうのは恐ろしいという気持ちは残るのではないかと思います」
耳から聞くことは死ぬ間際までわかっているらしい、とよくいわれます。だから、死が間近な人のそばで下手なことはいわないほうがよい、と。母親が死ぬ間際に娘が駆けつけて、大丈夫? A子よ、わかるなら手をぎゅっと握ってみて、といったら、母親が手を握ったというエピソードを聞いたことがあります。
目で見えることはわからなくなっても声を聞くことはできるし、いっていることもわかる。認知症の人も、恐らくそうなのではないかと思います
認知症について正しい知識をもってほしい
生きることは老いること。老いることは生きることで、死を迎えることでもあります。その準備をしようと、もう20年ほど前に遡りますが、家内と一緒に日本尊厳死協会に入りました。
ただ生かされているだけの状態になったら延命治療はしないでほしい。それを表明したカードもつくりました。いまでもその考えに変化はありません。子供たちにもそう伝えてあります。
長生きすると認知症になりやすくなるから、ボクがなったのもそう不自然なことではないと思います。ただ、生きているうちは少しでも社会や人の役に立ちたい。身体も不自由になってきたけれど、周囲の助けを借りながらその思いを果たしていきたい。
やはりいちばんの望みは、認知症についての正しい知識をみなさんにもっていただくことです。何もわからないと決めつけて置き去りにしないで。本人抜きに物事を決めないで。時間がかかることを理解して、暮らしの支えになってほしい。そうしたことをお伝えするのが、自分が生きていく道であり、死んでいく道にもなると思っています。
幸い、ボクには家族やぬくもりのある社会との絆があります。それに感謝しながら。体験というものには、温度差があると思います。たとえば、あなたが今日ここに来てくれたとしたら、それはボクにとっては「温かい」という感じです。
嬉しくて、一緒に話すのが楽しい。そして別れの時間が近づいて、「さようなら」といわれたら、がっくりです。温度が下がっていくのを感じます。人と会ったら温度が上がるし、人と別れて寂しく感じたら下がる。だからこそ、温かい体験や、温かい絆をできるだけたくさんもっていられたらと思います。
でも、死ぬのはやはり怖い
芥川龍之介の有名な小説に『蜘蛛の糸』があります。
主人公が蜘蛛を見つけ、その命を踏みつぶそうとしたのをやめたのを見た釈迦が、地獄に落ちた彼に慈悲をかけ、長い糸を垂らした。彼は、「これは幸い」と糸につかまって地獄から地上に上りはじめたけれど、ふと後ろを見たら、たくさんの罪人が彼に続いて糸をよじ上ってくる。「だめだお前たち、そんなことしたら糸が切れちゃうじゃないか。降りろ」と彼がいった途端、自分のところからぷつんと糸が切れ、彼は元どおり、地獄に戻ってしまったという話です。
「蜘蛛の糸」は1918(大正7)年に、児童向け文芸雑誌『赤い鳥』に発表された芥川龍之介の作品。地獄に落ちたカンダタという名の泥棒の男が、かつて蜘蛛を助けたことがあったことから、釈迦がこの男に救いの手を差し伸べるという内容。
死については、昔からよく考えます。死んで戻ってきた人がいないところを見ると、よさそうな場所に思えるけれど、地獄に落ちてしまうこともあるから、こればっかりは死んでみないとわからない。天国に行くか、地獄に行くか。いずれにしても、死ぬのはやはり怖い。
ボクは心臓に病気があって、発作に備え、いつも薬を持ち歩いています。だから死について考えることも多い。そんなボクにとって、認知症は、死への恐怖を和らげてくれる存在のような気がするのです。心臓や、死のことばかりを考えなくて済むようになったという意味で。
認知症は「神様がボクに用意してくれたもの」
語弊があるかもしれませんが、認知症は死への恐怖を和らげるために、神様がボクに用意してくれたものかもしれないとも思います。だって死はやはり怖い。死んだら終わり、それは真っ暗な闇ですから。そういうことを思えば、やはり生きているうちが花。もちろん生きていく過程では、つらいこともあります。
ボクも、これまで生きてきたなかで、戦争、肉親の死、仕事上のことなど、ほんとうにつらくて死にたくなるようなことが山ほどありました。でも、やはり生きているということが素晴らしい。つらかったり、苦しかったりすることがあっても、明けない夜はありません。夜のあとには必ず朝が来るのです。
こうやって書籍を通し、みなさんに話しかけられるのも、生きていればこそ。生きている「いま」を大切にしたい、そう深く思っています。
まだやらなければいけないことがある
2019年9月、下の歯が三本、突然抜けてしまいました。歯茎がかなり弱っていたようです。上の右のほうの歯も一本、道路で転んだときに欠けてしまった。痛くはありませんが、食べるときに不自由だから、何とかしなくてはと思っています。
月に三度くらい、心臓がギュッと締めつけられるように痛くなったことがありました。慌てて薬を飲んだけれど、こうしてみると、だんだんお迎えが近づいてきていると思います。そろそろおいでよって。でも、いやいや、もうちょっと待ってくれって、押し返しているのです。なぜならボクには、まだやらなければいけないことがあるからです。
やりたいことの一つに、全国で認知症ケアの指導にあたっている人たちのフォローアップ研修があります。認知症介護研究・研修東京センターで、認知症ケアを現場の人たちに教える指導者養成研修をしていますが、その研修を終えて指導者になったリーダーたちが「being(ビーイング)」という会をつくっています。
医療と介護の両面で支える必要がある
関東や九州など各地に散って、現場の介護職員の人たちに認知症ケアの基礎を教えている。それ自体はとてもよいことだけれど、指導者となった彼ら自身のアフターケアをするシステムが必要だとボクは思っています。
医者も心理士も、学会のあと、研修の講座がいくつもあって、知識の補給ができています。それに比べて、介護の世界のアフターケアは手薄なのではないか。認知症の医療、介護面の技術や知識は日進月歩です。新しい薬も出てくるでしょう。
そうした新しい技術や知識を、面と向かって教えてもらえる場所や機会がもっとあったらよいと思うのです。それをボクはやりたい。最後のボクの仕事になるかもしれないと思っています。
明日やれることは今日手をつける
最近、以前よりも元気になった気がしています。認知症になって失ったものも、もちろんあるけれど、世界が広がりました。
長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)
自分が認知症であることをいち早くカミングアウトしたクリスティーン・ブライデンさんは、「私は最も私らしい私に戻る旅に出るのだ」といいました。いまのボクもそんな気持ちです。ブライデンさんが通ってきた道をいま、ボクも通っている気がします。
いま、心がけているのは、明日やれることは今日手をつけるということです。
たとえば、本を書きたいなと思ったら、せめてその一文のようなものを、1行でも2行でもいいから、今日書いてみる。とにかく手をつける。全部はとても無理だから、少しだけでいい。そうすると、未来に足を伸ばしたことになります。何もしないでとどまっているよりも、未来に希望がもてるし、楽しみも増えます。何よりも、自分自身が安心できます。
死を上手に受け入れる
少し足を伸ばした未来は、やがて「いま」になります。いまがいちばん大切です。過去に起きてしまったことや、過去に自分がやったことは変えられないし、どうしようもない。でも、じつは過去というものは、ほんとうはないのです。過去とは、いま。なぜなら、昔のことを思い出したり、話したりしているのはいまなのだから。
「いま」という時間を大切に生きる。繰り返しになりますが、生きているうちが花です。そう思いながら、社会や人さまのお役に立てることを、自分ができる範囲でやっていきたい。そして最後は、一回きりの死を上手に受け入れて、旅立っていきたいと思っています。


「すぐ消える芸能人」と「一流芸能人」の致命的差

2020-11-15 05:10:28 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインから借用(コピー)です

業界人を見ても、運がいいなと思う人は、例外なく「笑顔が素敵な人」ですね。さらに、周囲にちゃんと配慮ができる人ばかりでした。仕事がなくなったら困るという不安もあるでしょうし、今のポジションをキープするためにも、まずは笑顔や礼儀が重要だと心得ているのでしょう。
なぜ芸能界では「笑顔」が大事か?
クールなイメージの歌手や、寡黙がウリの有名俳優も、素では笑顔だと耳にします。たとえば、稲垣吾郎さん。SMAPではクールな二枚目のキャラクターでしたが、実際にはよく笑ってよくしゃべる方ですよね。
あるテレビ番組で、ご自分でも「僕はおしゃべりです」「それが意外だと言われます」などとおっしゃっていましたが、素では明るい稲垣さんだからこそ、クールなキャラクターが魅力的なギャップを生むのかもしれません。
また、渋いキャラクターが売りだった舘ひろしさんも、よく笑いますよね。とても70歳には見えないほど、無邪気に笑っています。
カッコいいのはもちろんですが、お茶目でかわいいし、現役感が満載ですよね。コワモテのイメージがあるから、よけい舘さんがキュートに見えてしまうのです。彼らが見せる笑顔のパワーは素晴らしいと感じます
クールなキャラでも渋いキャラでも、実際の性格は明るいですし、よく笑う方です。芸能界は瞬時に味方を作らなければいけない世界なので、笑顔で魅了して一目惚れさせるパワーを持つことが重要なのです。
その中でももっとも大切なのは、第一印象。僕もオーディションで相当鍛えられました。だからこそ、ネガティブな人間はあぶれます。
これは、ビジネス界でも同じことでしょう。誰だって、暗い人、笑わない人とは、一緒に仕事したくないはず。笑顔でいればネガティブな思考はできなくなり、すべてをポジティブに考えるようになります。笑顔が素敵で瞬時に好きにさせれば生き残れるし、モテるし、人気者になります。
若い世代で笑顔がいいなという役者は、女優なら石原さとみさん、男性では菅田将暉さんですね。
石原さとみさんの笑顔は完璧です。自然にフルスマイルができていて、瞬時に人を引きつけ、魅了する。彼女に「おはようございます」とフルスマイルで来られたら、きっと好きになってしまうでしょうね。
菅田将暉さんも、さまざまな表情を見せてくれる魅力的な俳優ですし、多才ですよね。デビューが「仮面ライダーダブル」の主役なのですが。僕も観ていたので「あ、フィリップだ」って、今でもなります(笑)。
自分のイメージ通りの笑顔を瞬時に作れるように、いつも鏡を見て、自分の笑顔に自信が持てるような最高に魅力的な笑顔を習得してください。そうでなければ、何の保証もない芸能界で生き残ることは難しいでしょうし、それ以外の業界でも笑顔を求められる仕事はたくさんあるはずです。
笑顔でいると、幸せに思えることを、たくさん見つけることができ、いい人生になります。ぜひ、普段から笑顔で生活してみましょう。
松本人志さんが誤解されがちな理由
ダウンタウンがまだ若いころ、あのコンビは「他者の悪口で笑いを取っている」と言われていた時期がありました。ただ、視聴者の受け止め方はまったく違いましたね。
同じ悪口を言っているのに、そのあいだに浜田雅功さんの場合は「ニコッ」と笑いが入るのです。だから見ているほうも「ああ、これはギャグだ。浜ちゃんは芸人だから」と、冗談だと受け止めてくれます。
しかし、松本人志さんの場合は、終始真顔で「フンッ」って感じなので、視聴者から「これは本気だ。松ちゃんってイヤなヤツ」と否定されてしまうのです。
この話は、ダウンタウンがウッチャンナンチャンのトーク番組にゲスト出演したときも出てきました。松本さんが、内村光良さんと南原清隆さんに「なんか俺だけ悪口を言ってると思われてる」などとこぼすと、南原さんが「浜ちゃんは笑うけど、松ちゃんはフンッだもん」という感じで突っこんでいました。
これには、番組を観覧していたスタジオのお客さんはもちろん、浜田さんですら納得していたようでした。その松本さん、お子さんも生まれてからはかなり丸くなり、最近では笑顔が出てきましたよね。
ちなみに彼の奥様・伊原凛さんは、オスカー新人レッスンを受けた僕の教え子です。凛さんはレッスンを受けているとき、しっかり僕の目を見て話を聞く人でした。笑顔がとてもよく、最初からフルスマイルができていましたね。最近の松本さんの笑顔は、奥様の影響かもしれません。
松本さんや南原さんから学びを得て、僕もレッスン中、冗談や笑顔をとても心がけるようになりました。この気づかいがあるだけで、多少キツイことを言ってもOKになります。
『トップの法則 選ばれる人たちが密かに続けていること』(秀和システム)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
たとえば、ウォーキングで、手を前に振ってゴリラのように見えるレッスン生がいたとしましょう(実際にけっこういます)。
それを見た僕は、あえてゴリラの物まねで歩いて、笑いを取っています。決して「きみのウォーキングはゴリラっぽいからダメ」とは言いません。僕が笑い者になるように仕向けて、その子に気づかせてあげます。
当の本人は「先生、私そんな歩き方しないですよー!」となるのですが、最終的には彼女に気づかせるように誘導しています。
笑顔でパフォーマンスも上がる
キツイことを伝えるために、わざと笑いを取っているのですが、まさに笑顔の効用ですね。いちばん僕が笑われることで、その子を救うことができ、現実を教えてあげているのです。誰も傷つきませんし、笑うことで場の空気もよくなります。
また、生徒が肩を落として歩いたら「肩は床と平行にしなきゃダメだよ」と伝え、僕もゾンビのマネをして歩き「ほら、ゾンビみたいでしょう?」とユーモアたっぷりに教えます。
すると、生徒たちは「そんな人いないー!」と言いつつも、自分の欠点を知ることができますよね。最終的には、本当にゾンビ歩きする人はいなくなります。
そのためにも笑顔です。逆に笑わせることによってレッスンが盛り上がって、生徒のパフォーマンスも格段に上がるのです。