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若年性認知症、妻の心揺さぶる 介助担う69歳夫、哀愁のハーモニカ

2020-11-09 08:57:54 | 日記

下記はヤフーニュースからの借用(コピー)です


「赤とんぼ」「もみじ」「五木の子守唄」-。哀愁を帯びたハーモニカの音色が響くと、それまでうつろな表情だった光嶋早代子さん(60)=熊本市中央区=は手足でリズムを取り始め、自然とハミングが漏れ出した。それは次第に“歌”となり、言葉が紡ぎ出されていった。
県内の認知症患者と家族の交流会「みどりの小路」で、ボール遊びを楽しむ光嶋敏雄さんと早代子さん夫妻=10月、熊本市東区の県民総合運動公園
 早代子さんは6年前に若年性アルツハイマー型認知症と診断された。症状は徐々に進行し、今では会話もままならない。ハーモニカは、夫の敏雄さん(69)が「音楽が認知症にいい」と、昨年1月に習い始めたものだ。  「まっとうやが好きなの」。興に乗り出した早代子さんは演奏が終わると、自ら松任谷由実の「ルージュの伝言」を口ずさみ始めた。「自然と体が動きだすなんて、音楽の力はすごい」。数曲を吹き終えた敏雄さんも満足げだ。  厚生労働省の2019年国民生活基礎調査によると、家族の介護を主体的に担う同居者のうち、男性は35・0%と01年の23・6%から大幅に増えた。女性に比べ、男性介護者は家事に不慣れで地域社会との結び付きが弱く、介護に行き詰まって孤立するケースも少なくない。「ケアメン」と呼ばれる男性介護者の現状はー。  早代子さんはトイレや入浴など、生活全般で介助が必要だ。着替えもできず、夫の敏雄さんが手伝うとズボンの片方に両足を入れようとする。ドアノブが回せず、敏雄さんは朝からガチャガチャとノブを鳴らす音で起こされる。
 早代子さんの発症まで家事の一切を妻に任せていた敏雄さん。今では朝から米を6合炊いてみそ汁も鍋いっぱいに作り、3日分を作り置きする。「最初は大変だったけど、俺がしないとしょうがない。でも、晩酌の後の皿洗いだけは今でもストレス」とこぼした。  異変が起きたのは51歳だった9年前。敏雄さんが公務員を退職後に再就職した頃だった。早代子さんが何度も同じ話をすることに気付いた。スポーツ万能だったのに運動をしたがらなくなり、人と会うのも嫌いだした。料理を失敗し、車をぶつける。敏雄さんは更年期障害と思い込み「こんな症状もあるんだな」と驚いた。  ある日、早代子さんの運転する車が急ハンドルを切り、助手席の敏雄さんを慌てさせた。2014年5月に病院を受診し、認知症と診断された。  「治る病気と思っていた。治してやると意気込んでいた」。敏雄さんは早代子さんに新聞コラムの書き写しや「脳トレ」をさせ、時間がかかり誤字があると強い口調で注意した。今から思えば最悪の対応だった。
「文句の付けどころがない妻」だった早代子さんが、コミュニケーションすら難しくなっていく。明るかった性格まで変わり、敏雄さんは妻の変化を受け入れられなかった。診断から1年以上は親戚にも病気のことを言えず、言えないことが心の重しになっていた。  何でこんなこともできないのかと、いらいらが募り、早代子さんに手を上げたこともある。敏雄さんは「大変な状況は変わらない。いつもニコニコなんて、到底できない」と言い切った。  そんな生活を送っていた今年4月、早代子さんが認知症の実母(83)宅から2人していなくなった。警察に届け、実母宅で待ち続けたが、時間はたつばかり。4月にしては冷えた日で、夜道は怖かろうと妻を思い、いたたまれなかった。  見つかったのは翌日午前8時すぎ。「生きててくれて本当によかった」。敏雄さんは感情が噴き出し、人目もはばからず泣いた。「あんなに切ない思いをしたのは、人生で初めてだった」
 敏雄さんは1年前から新聞に載った菓子のレシピを切り抜いては手作りしている。敏雄さんのクッキーの話に早代子さんは「おいしいもん。ずっと食べられる」と不明瞭な言葉でしゃべり出した。  早代子さんも料理が得意で、菓子類は本格的だった。敏雄さんが「何でも上手だった」と持ち上げると、早代子さんは「そうね」と一拍置いて、小さな声で言った。「でも、作れなくなったの」  うつむき、表情を硬くしたように見えたが、内心をうかがい知ることはできなかった。(福井一基)
https://news.yahoo.co.jp/articles/83cc8677033eab47978721493f3cad5a60cc5fb0?page=1


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