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「どうして裸なの?」と母親 25歳男性“ひきこもり生活”7年が終わった日のリアル「どうして裸なの?」と母親 25歳男性“ひきこもり生活”7年が終わった日のリアル

2020-11-08 14:45:49 | 日記

下記の記事はAERAオンラインから借用(コピー)です。
引きこもりが終わった日は、いったい本人に何が起き、家族はどんな反応をするものなのでしょうか。ドラマのような感動的な場面を想像しがちです。不登校新聞編集長の石井志昂さんによると、その日というよりは出てくるまでに本人の中で大きな変化が起きているそうです。石井さんが、印象的に残るある方のエピソードを紹介します。
*  *  *
「ひきこもり」と世間では一口に言いますが、ひきこもる理由は千差万別ですし、いろんなキャラクターのひきこもり当事者がいます。

 東京大学の大学院へ通っている最中にひきこもりを始めた人、突如として市議選に立候補した人、自分自身を「ひきこもり名人」と呼ぶ人……、これらの人たちを私は敬意をこめて「ひきこもりスーパースターズ」と呼び、心にとどめています。なかでも印象に残っているのは、「裸のピアニスト」と私が勝手に呼んでいる瀧本裕喜さん(40歳)。瀧本さんの「ひきこもりが終わった日」のエピソードは示唆に富んだものですから、今回、ご紹介したいと思います。

 その日、瀧本さんはひきこもりを終えるべく、意を決して自室から出ました。18歳からひきこもり続けて7年、久しぶりに晴れやかな気持ちでリビングに出たわけです。

 そんな気持ちのよい時間もつかの間で終わり。鏡で自分の姿を見た瀧本さんはびっくりしました。

「髪は伸び放題で、ところどころ白髪がある。そして何より太っている。まるで別人でした」(瀧本)。

 ひきこもっているあいだ、瀧本さん意図的に鏡を見ることを避けていました。現実を直視たくないという思いがあるからです。また「ひきこもっている自分が生きていても申し訳ない」という思いも強く、身体の変化にまで気が回らなかったそうでうす。

 ようするに鏡を避けた生活を送り、悩みで頭がいっぱいだったため、太ったことに気づかなかったのです。これは瀧本さんに限った話ではありません。当事者からは、それなりに聞く話でもあります。
そんな当事者の話を瀧本さんが知るはずもありません。10代のころはレディースの服でも入った自分が、鏡の前では今や別人。7年前の体重は62キロでしたが、おそるおそる体重計に乗ると「error」の表示が出ました。瀧本家の体重計は100キロを超えるとエラー表示になるそうですが、そもそも事態がのみ込めていない瀧本さんは完全に狼狽。汗も噴き出てきたため、ひとまずはお風呂場へ行きました。

 汗を流すと少しは落ち着いたそうです。「なんだか玉手箱を開けた浦島太郎みたいだな」と思いつつ、裸にタオルを巻いて居間へ。居間では得意だったピアノを弾き始めました。ただし、ブランクもあり思うように指が動きません。「昔はもっと弾けたのに」などと思っているところへ母親が買い物から帰ってきました。

 この日まで、7年間、親とはほとんど顔を合わせていません。ひきこもっている罪悪感から同じ屋根の下にいながらも避けるように暮らしていたからです。ひさしぶりにまともに顔を合わせた瞬間、 母親はこう言ったそうです。

「どうして裸なの?」

 ドラマならば、母親が泣き崩れても不思議ではない場面です。感動的な親子の再会の場面です。また、親として直接会えたらば伝えたいことがあったはずです。「心配してたよ」とか、「よく部屋から出てきたね」とか。でも実際に口をついて出た言葉は「どうして裸なの?」。

 大事な局面に出くわしたときに、人は思わず目の前の状況の確認をしてしまうものなんですね。ドラマやテレビではひきこもりが終わった瞬間を感動的に描きがちですが、現実はこんなものです。むしろ、この日の前後が大事なんです。

 たとえばこのあと、瀧本さんは母親と話し合って目標を立てます。それは「ひとまず痩せること」。瀧本さんは母親と真夜中の散歩をするのが日課になり、1年間で30キロ以上のダイエットに成功したそうです。ちなみに成功する秘訣は「ダイエットの過程そのものを楽しむこと」
この「ひきこもりからのダイエット」、とてもよい選択だったと思います。ひきこもりが終わった日に進学や就職など、一足飛びに目標を上げると無理がたたります。地に足の着いた選択は次のステップにつながりやすい「成功体験」になりました。その後、瀧本さんは現在、ライターとして、ひきこもり経験を語る講師としても活躍されています。

 また、瀧本さんが部屋から出てくる「前」にも大事なポイントがありました。瀧本さんがなぜひきこもりを始めたのかからポイントを説明したいと思います。

 瀧本さんがひきこもり始めたのは祖母との同居がきっかけでした。同居は東京の予備校に通うために始めたものです。しかし、その祖母は「生きていてもしかたがない」「人生なんてつまらない」というグチを日常的に言い続ける人でした。

 こうした環境ですごすことは心理的に虐待を受けている状態と近いです。グチを聞かされ続けた人は、知らないうちに生きる気力を失っていきます。瀧本さんもネガティブな感情にさらされて疲弊し、感情のコントロールも効かなくなり、ついにはグチを言い続ける祖母に殺意を抱くようになりました。

 「このままでは祖母を殺しかねない。無意識にそう思ったのがひきこもるきっかけだったと思います」(瀧本さん)

 こうして始まったひきこもり生活ですが、多くの時間は、ひきこもったことへの罪悪感や焦燥感と闘う日々でした。ひきこもり生活が終わったのは、祖母との暮らしが自分の心に決定的なダメージを与えたと理解したこと。自分と相手を守るために始めたひきこもりであり、その選択を自分で肯定できたこと。これが瀧本さんのひきこもりが終わった理由になりました。

 自分のひきこもりを肯定することでひきこもりが終わる。矛盾していると思うかもしれませんが、ひきこもりを肯定するとは「自分を受けいれる」と同義です。自分を受けいれることで考え方が自由になり、ひきこもり状態からも抜けることができます。瀧本さんがひきこもりから抜けたポイントは、自分を受けいれたことであり、それは部屋を出る/出ないという眼に見える変化よりもよっぽど大きな変化なんです。

 いかがだったでしょうか、「裸のピアニスト」こと瀧本さんの半生。「ひきこもり」の人間味を感じたのではないでしょうか。ひきこもりはまだまだ偏見が多いです。できたら、これからも、いろんな当事者の話をご紹介していきたいと思います。(文/石井志昂)


絵本の読み聞かせで子どもを伸ばす2つの質問と自動車販売台数絵本の読み聞かせで子どもを伸ばす2つの質問と自動車販売台数

2020-11-08 09:16:43 | 日記

10月の自動車販売台数の順位が発表になりました。
トヨタの独擅場です。
あなたが開いている頁の上部のhttps以下を全部消して下記のhttps以下を全部コピーして貼り付けてください。そしてEnterキーを押してください。

下方にスクロールして一番下を見てください。

http://www.jada.or.jp/data/month/m-brand-ranking/
下の記事を先に読んでからしてください。


次は別の記事です
下記の記事は東洋経済オンラインから借用(コピー)です。

これからの時代は、自分の頭で考えて伝える力が大切
AIの台頭やグローバル化、フェイクニュースの拡散などが叫ばれています。
インターネットやメディアを通じて、大量の情報が入ってくる時代に求められるのは、情報の真偽を判断できる力や、自分にとって必要な情報を選びとる力です。
わかりやすく言うと、
「ネットやテレビではこう言っているけれど本当なのだろうか?」
「先生の言っていることは本当に正しいのかな?」
「この情報は自分にとって役に立つものなのか?」
と自分自身で考える力です。
もちろん、その考えを相手に論理立てて主張する力も重要です。
「自分の頭で考える力」そして「自分の考えを相手に伝える力」、きっとみなさんも、我が子にこのような力をつけてほしいと考えていることでしょう。
私たち日本人は、これまで「先生の話は黙って素直に聞く」よう教育されてきました。しかし、世界ではこれと真逆の教育が行われています。
それは、「人の言うことを鵜呑みにするのではなく、一から自分の頭で考えましょう」という教育です。
この傾向は、欧米だけでなく、シンガポールや中国などアジアでも広がっています。
もはや「世界の常識」といっても過言ではないのです。
さらに、グローバル化にともなって、これまでのようになんとなく考えを察し合える相手とだけ仕事をしているわけにはいかなくなっています。異なる文化背景を持った人々を相手に、自分の意見を明確に述べなければいけない場面はますます多くなってきます。
こうした変化に対応できる教育として、日本でも「自分で考え、意見を述べる力」を養うことが重視されはじめているのでしょう。

そうなると、教育のごく初期の段階から行われる絵本の読み聞かせにも新しい役割が期待されます。
読み聞かせは、新しい時代の教育においても、最適な教材の1つです。
アメリカの読み聞かせは騒がしい
日米の親子を対象に、読み聞かせのやり方にどんな違いがあるのかを研究していたとき、一緒に調査をしていたアメリカ人の先輩研究者に、こう言われたことがあります。
「日本の親子って、ほほえましいよね」
読み聞かせをするとき、日本の親は子どもを自分の膝の上に座らせたり、横に座らせたりして、子どもの顔をときどきのぞき込んで目を合わせながら、おだやかな雰囲気のなかで絵本を読んでいくのが普通です。
その親子の仲のいい姿が、とてもほほえましいというのです。
では、これと比較して、アメリカの親子の読み聞かせはどうかというと、うるさいくらいに子どもたちがしゃべり、親子で対話をしながら絵本を読み進めていきます。
それが読み聞かせのスタンダードだと思っていたアメリカの研究者からすると、日本の親が子どもを慈しむようにして絵本を読み聞かせる姿は、とてもほほえましく見えたというわけです。
なぜ、日本とアメリカの読み聞かせに違いがあるのでしょうか?
そのヒントは、次の表にあります。アメリカでは、読み聞かせをする親は、はっきりと「絵本はことばを教える教材である」と考えているのです。読み聞かせは、英語の読み書きができるようになるための勉強です。
読み聞かせを開始する時期も異なります。私が3歳児の母親および、5歳児の母親に行ったアンケートでは次の表のような結果となりました。
これを見ると、日本の母親は赤ちゃんがことばを発するようになるころから読み聞かせをはじめたと答えたのに対し、アメリカの母親は、それより1年ほどはやく読み聞かせをはじめていることがわかります。
(表:『ハーバードで学んだ最高の読み聞かせ』より
また、「子どもとどんな絵本を読みますか?」という質問にもはっきりと違いが見られました。
アメリカでは、文字や数字、乗り物といった情報を扱う絵本、物語を読むことが多いのに対し、日本では、このようなタイプの絵本ではなく、『舌切りすずめ』や『桃太郎』といった昔話が多く読まれていることがわかります。昔話に出てくる倫理観を子どもたちに伝えたいと思っているのでしょう。
一方、アメリカの母親は絵本とことばの発達を関連づけていることがわかります。
言語教育にフォーカスした読み聞かせ手法
私は何も「アメリカはこうだから日本人もこうすべきだ」と言いたいわけではありません。アメリカ人の言語教育に対する意識が高いのは、日本語と英語の言語構造の違いに理由があります。
日本語の場合、まずひらがなを習得することになりますが、いくつかの例外はあるとしても、1つの音が1つの文字で表記されます。
それに対して、英語の場合、「a」という文字が、appleやcakeのように文字の組み合わせにより、発音が異なります。
「ABCソング」のように、一つひとつのアルファベットを読めたとしても、ひらがなの組み合わせのようにはいきません。
事実、私がアメリカで週に一度観察に訪れていた幼稚園でも、「子どもが文字を読めるようになるか」が親の関心事でした。
日本のように、本を好きになってもらいたい、豊かな感性を養いたい、といった目的が主ではなく、アメリカの親ははっきりと「ことばを教えるために絵本を読み聞かせる」という目的を持っているのです。
アメリカの親は、「きちんと教えなければ、自分の子どもが文字を読み書きできるようにならない」という危機感を切実に持っています。
だから、「勉強」として絵本の読み聞かせをするのです。
読み聞かせの目的を問うアンケート調査は、国内のさまざまな研究機関や企業が実施しています。その結果を踏まえると、回答はだいたい次の5つに集約されます。
① 親子のコミュニケーションを図るため
② 情操教育のため
③ 本好きになってもらうため/活字に慣れてもらうため
④ 集中力を養うため
⑤ 言語教育のため
実は、日本人がこれまで行ってきた読み聞かせは、①~④の理由に対する効果は期待できる反面、「⑤言語教育」、とくに、社会を生き抜くために大切なスキルである「思考力(自分で考える力)」や「読解力(文章の内容を理解する力)」「伝える力(自分の意見を言う力)」などを伸ばすことには向いていないのです。
一方、アメリカでは、子どもと対話しながら絵本の読み聞かせを行うことで「⑤言語教育」を行っており、言語教育にフォーカスした「ダイアロジック・リーディング」という読み聞かせの手法も考案されています
「考える力」と「伝える力」が重要であることは日本の教育界も認識しています。
その一例が、大学入試における共通テストへの「記述式」の導入です。
子どもの能力を引き出す2つの問い
制度上の不安から現時点では棚上げされていますが、文部科学省が「知識偏重」の教育から「思考力重視」の教育にシフトしようとしていることは明らかです。
しかし、「考える力」「伝える力」というものは本来、受験勉強の一環として一朝一夕で身につけられるものではありません。ましてや先生から座学で教わることでもありません。
小さなときから自分で考え、それを伝える経験を積むことでしか身につかないものです。
欧米では、その最初の教材として絵本を使うのです。
実際、アメリカ人の家庭や幼児教育の現場の読み聞かせの様子を聞いていると、次の2つの問いかけが頻出します。
「あなたはどう思う?(What do you think?)」
「なぜそう思う?(Why do you think so?)」
前者は自分の考えをことばとして出させるための問いかけであり、後者はその考えを論理的に整理し、より深掘りさせるための問いかけです。
この2つの問いはセットにして使うことでより効果を発揮します。
日本人は「なぜ?」と質問されることが苦手だとよく言われます。純粋に理由を聞かれているだけなのに、なんとなく非難されているような気持ちになる人が多いからでしょう。
しかし、欧米では小さなときから当然のように親から聞かれるのです。
もちろん子どもが2〜3歳のうちは「Why?」の問いは難しいですが、4〜5歳になると答えられるようになります。
こうした問いかけをされながら絵本を読むことが習慣になると、いずれ1人で本が読めるようになったとき、話の表層をなぞるだけではなく、「自分なりの感想」を持ちやすくなります。
つまり、「考えながら情報に接すること」が癖になる。これが「自分で考える力」の礎になります。
さらに、幼稚園なども含め、アメリカでは絵本の読み聞かせの最中、もしくは終わったあとに、先生が子どもたちにさまざまな問いかけをして自分なりの意見を言わせることが多いものです。
『ハーバードで学んだ最高の読み聞かせ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)
そこで子どもたちに議論をさせるわけではありませんが、子どもたちは自分の考えていることをことばにして表現する訓練をしつつ、人によっていろいろな意見があることを自然と学んでいきます。
これが「伝える力」の発達につながるのです。
小さなお子さんがいらっしゃる家庭では、ぜひ、これまでの読み聞かせに加えて、
「あなたはどう思う?(What do you think?)」
「なぜそう思う?(Why do you think so?)」
といった質問を使って対話をする手法も活用してみてください。