謎パーク

いろいろな謎を考える。宇宙とか地球とかに関する謎や中南米謎の古代文明だとか。それとあっちこちの白昼の徘徊夜話だとか。

♪狭間駅から八王子の隠れ里「殿入」へ

2016-06-13 15:29:31 | 日記

 京王高尾線狭間駅前にでっかいビルができた。

  エスフォルタアリーナ八王子とかいうらしい。何かのコンサート会場かなんかと思ったらそうでもなく、ミズノグループが運営する「八王子市総合体育館」を標榜する施設だという。2000席の観客席を備えたメインアリーナがあり、さらにトレーニング室、スタジオ、会議室(研修室)、多目的室、託児室、ラウンジ、子どもコーナー、浴室、ランニングコース、フットサルコート等も完備した、このあたりではちょいまれな巨大複合施設であるらしい。バスケットボール・バレーボール・テニス・フットサル・バドミントン・インディアカ・卓球・ダンス・サッカー・体操・空手・チアダンス・ヨーガ・ピラティス・ボルダリング・新体操・ノルディックウォーキング・ランニング・ハンドボール・ソフトバレー・ネオテニス・カバディ・フラワーアレンジメント・フラメンコ・華道・剣道・柔道・合気道・太極拳・少林寺・なぎなた・ウエイトトレーニング・グランドゴルフ・タッチフットボール・ターゲットゴルフ・ディスクゴルフ・運動会・各種競技会などにどうぞってことである。うへぇ、ゲップが出そう。郊外型ショッピングモールのアリーナ(スポーツ施設)版といったところなんだろうが、これだけの盛りだくさんメニューを周辺住民がのみ下すには相当な時間がかかるんじゃなかろうか。

  それはさておき、今日(2016/3/15)はまず狭間駅から興福寺→十二神社→寶泉禅寺→湯殿川遡上→御霊神社→浄泉寺→龍見寺→淡島神社→(殿入中央公園)→穎(えい)明館高校前バス停→高尾駅南口というコースをたどる。狭間というところは、さすが狭間というくらいだから駅の北側は谷間になっていて、

 興福寺はまさにその谷あいにある。

 この急坂を下るんだが・・・。はは、どっかの粗忽者の影が・・・。興福寺はこの急坂を下って右折してしばらく行ったところ(東浅川町)にある。

 ここがそう。八王子のお寺の花時の定番名物といえばしだれ桜。ここ興福寺も例にもれず・・・

 電線も、ここのおじゃま名物として名高い。下は門前の石の地蔵様。

 これが正門。いやお寺の場合は山門というのかな。横木(よこぎ)の門とか呼ばれていて、くすのきの大木を横に切りそれを柱として加工したところからこの名がついたという。なんでも関東では唯一のものとされているそう。

 これが本堂。この興福寺は、八王子の千人町にある宗格院(大久保長安が浅川の氾濫を防ぐために築いた堤防(石見土手)の一部が残っていることで知られる)を開基した山本忠房が千人頭として一時身を寄せたところだという。

 境内左手には池とお堂が。

 稲荷大明神も。

 目についた石仏や石碑。

 お墓への入口。

 墓地のいちばん高いところからの眺望。

 はるか中央の特徴ある山容は奥多摩の大岳山。いつか登ってみたい。小生が住まいするあたりの周辺からはたいていこの山が見える。

 さて、帰りがけ当寺のトイレに寄ってみたら

 このような緊急脱出ボタンが付いていた。緊急脱出ボタン付きのおしゃれなトイレ付き興福寺に乾杯!

 狭間駅まで戻って椚田遺跡公園通りをめじろ台方面に向かう。途中に東京高専がある。

 その向かいのフジタ製薬工場内にある立派な屋敷神を拝観。その名も薬力稲荷神社。

 東京高専に隣接する住宅街の一角に十二神社という変わった名前の神社がある。道の奥に鳥居がかすかに見える。

 こちらは同神社のアップ。

  木の鳥居です。珍しいです。Wikipediaによれば十二神社(じゅうにじんじゃ)という名前の神社は日本全国に存在し、十二社(じゅうにそう)と称するものもある。古くからの十二様と称する土着の山の神を祀ったものと、紀州熊野権現を勧請して祀ったものとの2系列があるということだ。当神社は天文年間(1532-56)に紀州熊野権現から勧請されたもので、新編武蔵風土記稿にも記載されているという。

  注連縄(しめなわ)と扁額。

 こちらは注連縄の両端をもの凄い形相でけなげに支えているように見える獅子たち。

 以下は境内の石造たち。

 庚申塔ですな(えらそうに、つい最近覚えたくせに)。裏を見ると寛政二年(1790年)十月としてあった。その隣に鎮座する三体。

 真ん中の石碑には梵字が彫られているようだ。

 境内の一隅にある社。

 奥に接近して撮る勇気がなく、何を祭ってるのか確認できず(あー、寺社フリークとは程遠い甲斐性なし、まだまだなんだなぁと悔恨、反省の日々をおくるべし)。

 神社に付随して小さな公園があり、その名も「2軒在家公園」という。

 ネットでググると「昔の大火事で2軒だけ焼け残ったのと、在家信者が2軒だけあったことから」としてあった。そのほか四軒在家という地名もあって、調べると両地名とも群馬県に多いようだ。

 さて、十二神社を出て、遺跡通りの向かいの道を入る。と、ずいぶんご立派なマンションがあった。

  はは、そんなこたぁどうでもよくて、ずんずん歩いて館町方面へ。目指すは殿入というところ。途中にあった寶泉禅寺に寄ってみる。

  山田町廣園寺を本山とする末寺(本山の支配下にある寺)であるらしい。山田の廣園寺(下の写真)といえばこの辺りではよく知られた大寺で、小生の毎日のお散歩コースの一角を占めている。

 寶泉禅寺を出て近くを流れる湯殿川沿いを遡行。御霊神社と浄泉寺へ向かう。

 まず、御霊神社。小道の奥に立派な鳥居が窮屈そうに立っている。

 これが本殿。

 この神社は2001年頃建て替えされて現在に至っている。下は建て替え前の社殿。何でも鎌倉の御霊神社の八幡造り様式を真似て建て替えたとか。

 下は狛犬さん。2頭ともこちらを見下ろしているのだが、一方は頭を上げて、一方は頭を下げている。猛々しさとかわいらしさが妙にミックスしているところがよい。石燈籠や社殿、参道など、すべてが真新しいなか、この狛犬さんだけが以前の姿を残している。

 

  こちら古風な由緒書き。まるで講談のような語り口でとてもよい。祭神は鎌倉権五郎景政という貴族武士。源頼義と義家親子に従い16歳で前九年の役に出陣。奥州の安倍貞任を討伐し、義家の命によりこの地に館を構えたという。その少しあとの後三年の役で義家に従い出羽の清原家衛を討伐の途次(1086)、この館に立ち寄り、くつわむしの鳴き声に聞き入っているさなか、ビューッと流れ矢が右目に当たった。権五郎はひるまず、寺田山で敵を討ち散らすも倒れて1087年、42歳で亡くなった。武神として崇められ、館跡には彼を祀った簡単な社が築かれたことであろう。神社の本格的な創建は、北条氏照の家臣近藤出羽守助実が天正年間(1573~1592)に、慈眼寺村(元八王子)の御霊谷戸に祭られていた「御霊大明神」を鎌倉権五郎景政の神格としてこの地に移したのが始まり。この場所に鎌倉権五郎景政の聖なる館があったということから、この辺りは館町と呼ばれるようになったとか。

 昔の人が石を持ち上げて、力を競ったという力石なるものがあることを後から知った。下は取水舎に配置された龍像。

 龍に別れを告げて、浄泉寺に向かう。浄泉寺は上に出てきた近藤出羽守の屋敷跡だという。途中で見かけたお地蔵さん。気は心のペットボトルと毛糸の帽子と襟飾り。ほんわかしたところで、

 浄泉寺じゃぁ。

 泉の郷という広大な霊園を擁している。はい、それでは次のターゲットへ。藤原時代の大日如来坐像が鎮座ましますという龍見寺へと向かう。

 この路地の突き当りがその寺。

 本堂。

 内陣。

 なんでもこの本堂内において定期的にヨガ教室(キャンドルナイトヨガ)が開かれているそう。

 これは大日如来が安置されている大日堂。秘仏なので写真は撮れなかった。以下のURLにアクセスすると、龍見寺のHPに載っているものより良い写真がある。

http://momococks0505.blog106.fc2.com/blog-entry-560.html

 詳しいことは上のページを見てたもれ。

 赤の着色が利いている。わざと赤一色だけ使ったのかしら。

 湧水とおぼしき堀もある。

 この寺はこのへんにして次行こう、次。

 殿入へ向かうつもりで湯殿川をさらに遡行。途中で牛舎を見かける。この辺りでは山田町の磯沼ファームが有名だが、そのほかにもこうした同じような施設があるのがうれしい。

 川向こうにさっき行った御霊神社が見える。

 川べりの点景をいくつかご紹介。

 わおっ、珍しく鳥類の写真がまずまずの精度で撮れたぞ! なんちゅう鳥だんべ。

 

 ほんとに殿入へ向かっているのか? という、いつもの嫌な予感が脳髄を走る。道行く人に尋ねると、どうやら向きが反対らしい。ド方向音痴にはいつものことと、方向を反転させて今度は川を下る。なんてことはない、ついさっき訪れた浄泉寺あたりまで戻って、そこから丘を越えていけばよいということを人に教わる。

 浄泉寺あたりの細っこい道をひょこひょこ行ったところを脇に入り、丘を登っていった。てっぺんまで登ると畑が広がっていた。

  京王線羽間駅から椚田遺跡公園通りを突っ切り、湯殿川まで歩いて、そこからちょいと脇へ入って小高い丘を登ったところに、こんな畑が広がっているなんてちょっと考えてもみなかった。

 畑の中を突っ切るように道がある。

 なおもゆく。

 おっ、右手はるか後方に高尾の「みころも聖堂」の尖塔が見えるぞ。

 やがて見えてきた、殿入の町並みが。なんか隠れ里といったような趣がありますなぁ。

 丘を下ったところにある老人ホーム「心成苑」。

 このホームの前の道を行けば淡島神社があるはず。

  途中で見かけた庚申塔。そろそろターゲットが近い雰囲気が。

 ありました、ありました。でも、とてもちっちゃな神社だ。隠れ里にはふさわしいひっそり感だ。

 隣のお地蔵さん。

 淡島神社は紀州加太にある淡嶋神社を総本社とする神社で全国に鎮座し、粟島神社と称しているものもあるそうだ。祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)(≒大国主命)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(=神功皇后)。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれている。

 やがて殿入中央公園入り口に隣接する「とのいり幼稚園」が姿を現した。

 背後に見える赤く巨大な滑り台は、殿入中央公園のローラースライダー。床面にびっしりローラーが敷かれていて、その回転によりよりスムーズにより速く滑れるというふれこみだ。

 公園入り口。この公園へは、グリーンヒル寺田のある寺田町から丘を越えて歩いてくることもできる。

 やがて穎明(えいめい)館中学・高等学校のつり橋が見えてきた。

 これが校門である。こんな校門を通って通学する気分とはどんなものだろう。高1くらいの男子校生徒とすれ違ったら、はっきりした声で挨拶してくれた。この学校に対する好感度一気にアップ。そう、見も知らぬ人に対する挨拶はこうした切り札的な効果をもたらすのだ。

 この学校は中高一貫教育を採用しているため、高校生は4年生~6年生と称されるのだそうだ。

 ここまでずいぶん歩いてきたような気もするが、なにそうたいして歩いちゃいないさとつぶやくもう一人の自分もいる。穎明(えいめい)館のつり橋のたもとからバス停へ出て高尾に戻り、今日の散歩は終了。

 

古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想

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