謎パーク

いろいろな謎を考える。宇宙とか地球とかに関する謎や中南米謎の古代文明だとか。それとあっちこちの白昼の徘徊夜話だとか。

♪ 誰も見ないオレの散歩コースの話

2016-03-04 18:11:17 | 日記

 ふだん、午前中の2時間ほどを散歩に捧げている。今日はそのコースを逆にたどり、過日既訪したコースの一端にも再訪する。

 まずは、この後訪れる予定の廣園寺(こうおんじ)の塔中(大寺の山内にある末寺、脇寺)の一つであった西笑院へ。明治時代には後に臨済宗の総管長となった峰尾大休和尚が住職をしていたという。山門を入ると

 本堂に出る。

  本堂裏手にある山腹(崖)を造成したところにある墓地へ登ると富士山がよく見える。夕焼け空での富士も見てみたい。

  後で寄る予定の雲龍寺のコンクリート製五重塔も見える。

 この五重塔はこの辺一帯ではたいていどこからでも見える。

 無縁塔の前を通って西笑院の墓地を抜けると

 シートが置いてあるだけの小さな通路があって、これがすごく小さな墓地に通じている。

 ここに写ってる範囲がほぼ墓地全体だという小さな募域。廣園寺のかつての塔中であった向陽院(後出)の無縁墓石(下)もあるので、向陽院と何らかのつながりがあるのかもしれない。

 藪陰の無縁墓石。

 もげた首をのっけてる地蔵さん。 

 墓域の右側に、この後行くはずの廣園寺へ通ずる石段がある。

 遠方に見える塀が廣園寺の周囲をぐるりととり囲んでいる。斜面を降る途中で小さな墓地を振り返ってみる。

 廣園寺の総門に通ずる道に出る。

 上が門の正面。左側が総門で、特定の日以外は閉ざされている。右側の門が常時開いているのでここから入る。 

この寺は有名で、あちこちで紹介されている。で、山門とか仏殿(本殿)とかは割愛して「東京文化財ウィーク」などの特別公開日に撮ったちょっとレアな写真を紹介しよう。

 いぼ取り地蔵。来歴は不明。

 次いですぐ隣にある虫塚。農作物に害をなす虫を近隣から集めて塚にしたらしい。

   

 これは仏殿横に生えてる梅ノ木。幹はすっかりやられているのに毎年可憐な花を咲かせる。この木の隣にも梅ノ木が(下)。

 上はレアとは言えないが廣園寺の湧き水。遠方に写っている左側の梅ノ木が最前紹介した“やられても”必死に花を咲かせる不死身の木。

 江戸(たぶん)の鎌倉町住人が延宝八年(1680年)に奉納したらしい仏像。

 廣園寺を出て奇妙山・・・失礼、天海山 雲龍寺へ向かう。途中でおがめる富士山。

 廣園寺のかつての塔中であった向陽院の跡地?

やがて雲龍寺墓地の裏門が見えてくる。

門を護る仁王さんはかわいい顔をしている。門は平時は閉ざされている。

 本堂の裏門。どうです。なかなか立派なもんでしょ。これですべてが鉄筋コンクリート製でなければね・・・。

 この寺は奇妙なオブジェが所狭しと境内にひしめいていたことで一部の好事家には愛されていたのだが、今はほとんど撤去されていて往時の面影は薄れている。しかし境内の隅々をよく見てみれば

  日本独立の三恩人像だそう。

  左はジャヤワルダナ・スリランカ国大統領。1951年、太平洋戦争を終結させるためのサンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席。「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」と述べ、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して日本に対する賠償請求を放棄する演説を行い、日本が国際社会に復帰する道筋を作った。スリランカ共和国建国に貢献し、1977年、大統領となった。

  真ん中は蒋介石中華民国総統。サンフランシスコ講和会議のとき、日本から戦時賠償金はとらないと声明した一人。

  右は、ご存知マッカーサー司令官。まさに「I shall return」とばかり、意気揚々と厚木海軍飛行場に降り立ったところだ。トレードマークのパイプを右手に握りしめ、サングラス(なぜか本物)をかけてタラップを颯爽と下っている。この人は、日本の戦後復興、さらには高度経済成長の礎を築いたということになっている。

  ここで、スリランカつながりで、雲龍寺のほど近くにあるスリランカの寺院「正山寺」をご紹介。

  

  民家に埋もれているのでなかなか気づかれにくい。ご本尊はこれ。

 白面の貴公子といったところ。お国ぶりが出ていて興味深い。

 さて、ここで奇妙山・・・失礼、天海山 雲龍寺に戻って、いろいろなマイブームをいくつか紹介しよう。

 これはご住職のである足利家歴代の念持仏ということらしい。三十七世足利正明氏が戦役から帰郷し、空襲で全焼した寺をただちに再建。戦災孤児らを寺でお世話をしながら福祉事業に貢献し、後に社会福祉法人多摩養育園を設立。現在16施設を運営しているそう。光明幼稚園などがその代表。

 これはご存知、西遊記のメンバー。

 ???

 なぜかディズニーキャラクターが。七人の小人とドナルド・ダック。

 本堂境内の横門の脇にたたずむ仏さん。やさしいおミズのお姐さんみたいだ。おしぼりをどうぞ、てか・・・失礼。

 本堂境内の横門を出ると墓地がある。その入り口の門を脇から見る。

 これらは墓地前面に居並ぶ石像群。

 坊さん百態。このほかにもいろいろあって楽しい。 

 墓地中央に屹立する大金銅仏。

 妙に胸がときめく如意輪観音さまもいる。

 子育水子地蔵もある。

 裏手の墓地。ここにもいろいろ石像がある。

 粋だね。

 裏手のはずれには休憩中の石像がいろいろ。

 これかわいくね。木魚に頭をあずけて居眠る小僧さん。肩にねずみがちょこんと乗っている。

 野仏っぽいのもある。

 この仏さん、背後に彫られた年号を見ると貞享五年としてあるようだ。1688年である。見かけよりけっこう古いようだが・・・。

 一押しはこれ。首にネックレス、右腕にペンダントをぶら下げた仏さん。

 墓地を出て本堂境内へ。

 鉄筋コンクリート仕様の五重塔。とは言えなかなかの迫力。あの日野の高幡不動の五重塔だって鉄筋コンクリート製なんだぜ。

 五重塔の台座にうがたれたトンネルから正門を望む。

 外から正門を望む。ちょっと気味わるく、でも、スペクタクルでかわいいところもある愛すべき雲龍寺でした。

 ここまでは小生の毎日の散歩コースの一部。ここからは過日既訪のコースの一端を再訪する。

 磯沼ミルクファームの北野街道側の入口から同街道に抜ける。

 片倉方面をめざして今日のメインターゲットである稲荷神社へ向かう。由井第三小学校の横手にある。

 前回来たときに撮った拝殿の彫り物の写真の出来がイマイチだったので今日はそのリベンジを決行する!

 ほぼ無名の地味ぃな神社なのに拝殿の彫り物の出来がとてもすばらしく、ぜひしっかりカメラに収めたかったのだ。まずは拝殿の正面。

 かなり精巧な造りになっている。シロウトの小生は思わず「スゲェ」と叫んでしまうのであった。

 ふつう、神獣の胴体は以下のように簡略なのが多いが、上の本神社のそれはしっかり芸術作品としての精緻さとダイナミックさを示している。

 稲荷神社略史によれば、この宮の建造にあたった棟梁は飛騨内匠と称し、日光東照宮の工事にも当たったという。も、もしかしたら左甚五郎!? はは、そんなわけねぇか。でも左甚五郎は飛騨の出身で、日光東照宮の築造にも携わって、あの眠り猫を残した・・・。なにしろ伝説の人ですから、その存在さえ疑わしいようで、左甚五郎とは一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞としても使われたようだとか。ふむ、ちょっとした謎ですなぁ。

 こんな絵もかかっていた。

 1796年、神祇道管領式位社(??)の称号を受けたことを記念する碑。

 境内の片隅にひっそりと。

 次は、過日既訪のコースでは割愛された片倉の斟珠寺(しんしゅうじ)に向かう。

 寺域の入口にある立像。

  斟珠寺は、大江広元の後裔である片倉城主大江師親(もろちか)の嫡子長井広房が1409年に創建したと伝えられる古刹。大江師親といえばあの廣園寺を創建した御仁である。まあ、この山田とか片倉あたりは大江長井氏の地盤だったのだろう。

 本堂。

 上は横から見た本堂の屋根のてっぺん。一文字(もんじ)に三つ星の家紋は大江長井氏の家紋。廣園寺の屋根にもこれがあった。

 本堂境内から弁天池を望む。梅がきれいだ。

 この寺の墓は裏山の斜面にある。山田、片倉界隈は平地が少ないので、たいていの寺の墓地はこうした斜面に造られている。

 てっぺんに上ってみた。

 ちょっといかつい弥勒菩薩さま。

 駐車場入口にもかわいい案内小僧がいた。

 

 雲龍寺でもそうだが、寺の坊さんというのは彫像が好きなんじゃなかろうか。仏像とかお地蔵さんなどで彫像に接する機会が多く、自然にそうなるんだろうか。

 

古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想

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