謎パーク

いろいろな謎を考える。宇宙とか地球とかに関する謎や中南米謎の古代文明だとか。それとあっちこちの白昼の徘徊夜話だとか。

♪なぜか群馬県、なぜか倉賀野、そしていにしえの奥津城(古墳など)たち――Part2

2018-07-27 16:03:09 | 日記

Part 1からの続きです。
 あっしの母方の故郷なるものは群馬県高崎市の倉賀野っていうちっちゃな町です。JR高崎線の高崎駅の1つ手前のひなびた駅です。でも、でもですよ、江戸から明治にかけての倉賀野は宿場町としておおいに栄え、となりの高崎宿よりもずっと賑わっていたのです(へたな国自慢はやめれや・・・)。

 どこでもそうであるように、この倉賀野にもそこそこ面白いところがあるってことで、その紹介をのほほんとやっているうちに文字数制限にひっかり、途中棄権ということになっちまいましたので、今回はその続きをのほほんとやります。

 前回は倉賀野河岸(かし)の途中だったので、そのつづき。

 倉賀野河岸には、船頭や船主など河岸関係者が船の安全を祈願したという大杉神社なる守り神が鎮座していた。しかし、鉄道(高崎線)の開通にともなって河岸に経営難がおそい、神社の維持・管理がむずかしくなって現倉賀野神社に預けられる(合祀される)形になった。そして社殿は売りに出され、火事によって八幡社を消失した旧桃井(現榛東村)新井に買いとられ、同地の八幡神社の社殿となった。以下は、その引っ越し先の榛東村の八幡神社。

 これが売り払われた旧大杉神社の社殿。

   側面から見たところ。

  以上写真3点ともみんカラブログより引用

  神社も(お寺なども?)売りに出されることがあるんですねぇ。

  さてお次は、中山道沿いを歩いてみる。

 群馬で生まれ育った男のブログより拝借。ブログ主さんの手作りのマップです。太鼓橋と養報寺を追加させていただきました。

 倉賀野宿は、街道の長さ約1.2kmの間に、上町(かみちょう)、中町(なかちょう)、下町(しもちょう)があり、この三町が10日間ずつ交替で問屋場の業務を請け負った。問屋場というのは宿場で最も重要な施設で、人馬の継立(つぎたて:公用の人馬および物資・書状などを宿場間で継ぎ送りする業務)や、助郷(近隣の村々に課す継立用人馬の供出)へのふれ出しなどを受け持った。

 倉賀野宿の中心街である上町には、高札場(幕府や領主が決めた定め書きを記した板札を高く掲げておく場所)や問屋場、脇本陣(本陣の予備施設)などが置かれ、中町には本陣(大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などだけが宿泊できる施設)が置かれた。

 本陣には、倉賀野城の遺臣・勅使河原氏の子孫・勅使河原八左衛門家、脇本陣には、通称「須賀喜(すかき)」こと須賀喜太郎家と「須賀庄(すかしょう)」こと須賀庄兵衛家の両家があてられた。

 上の手作りマップにある人馬継立跡とあるのは問屋場の跡のことで、その問屋場は「須賀長(すかちょう)」と呼ばれた問屋場年寄であった須賀長太郎家の前にあった。この須賀長および先の須賀喜、須賀庄の須賀三家は代々、宿の要職を担って宿の発展と繁栄に寄与した。

 上の手作りマップには人馬継立跡(問屋場跡)、本陣跡、須賀喜脇本陣、須賀庄脇本陣が載っているが、この中で昔のおもかげを残して建っているのは須賀喜脇本陣のみである。この須賀喜脇本陣には、幕府の役人でもあった太田蜀山人が草津への旅の途中に一泊したことがあるらしく、こんな狂歌を残していったという。

 須賀須賀(すかすか)と 銭は取れども 用足らず こんな宿屋に なんで喜太郎

・須賀喜脇本陣

高札場

 次は養報寺というお寺へ。倉賀野駅近くにあるが、ここにはけっこう見るべきものがある。山号は倉賀野山。山号の由来というものは部外者にとっては??なものが多いが、ここのはそのものズバリでわかりやすい。開創は室町時代の至徳3年(1386年)で、でっかい屋根が重そうな山門は、天正4年(1576年)に倉賀野城主金井淡路守が建立したものというが、例の山号は開創時からのものなのか、それとも山門建立時に付けられたものなのか?

 本寺で見るべきもののリストは、①扉の彫刻と天井絵が見事な山門、②Part1で紹介した長賀寺山古墳(長賀寺は養報寺の末寺)の石室内に眠っていたという石仏5体、③小林一茶と並び称されるほどに有名であるらしい高崎出身の俳人・村上鬼城の句碑(小鳥この頃 音もさせずに 来て居りぬ)。鬼城の句碑は高崎市内のあちこちにあるが、本寺の句碑がいちばん古い(大正13年)。ちなみに鬼城の没年は昭和13年(74歳)。④その他にも、西国三十四体仏だとか三途の川で亡者の衣服をはぐという葬頭河(しょうずか)婆さん(奪衣婆(だつえば)とも)の像などがある。

 で、この寺の見どころである上記①~③を丁寧に紹介した動画がYoutubeにあったのでそれをアップする・・・いつしか削除されていました (-_-;)

  個人的には古墳内に眠っていた石仏5体に思いを駆られる・・・とまあ、倉賀野という町のいろんなあれこれをご紹介してきましたが、そろそろここらでお開きということで。へい、お疲れさまでした。

 

古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想

アステカ帝国の興亡と帝国末裔の民が新国家「アストラン」を樹立し、435年後にオリンピックを招致・開催するまでにいたる物語⇒アステカ物語

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