謎パーク

いろいろな謎を考える。宇宙とか地球とかに関する謎や中南米謎の古代文明だとか。それとあっちこちの白昼の徘徊夜話だとか。

♪ 鎌倉古道ってものにチョット触れてみた

2018-12-20 15:30:09 | 日記

 1日おきに2~3時間ほど近所を徘徊していますが、隣の隣町の小比企というところから八王子みなみ野を経て相原七国(ななくに)峠を越える道・・・鎌倉古道なるものに触れてみました。

 小生の自宅から小比企までは15分ほどです。ここには磯沼ミルクファームなる牛の牧場もどきとか、総鉄筋コンクリート製五重塔を擁する雲龍寺とか、拝殿の海老虹梁(えびこうりょう)の彫刻が秀逸な社(小比企稲荷)とかがあります。小比企稲荷は由井第三小学校の隣にある小生の好きな小社で、以下がその写真。

 この神社の拝殿の一部である海老虹梁という聞きなれぬ名称はネットで検索して知ったもので、以下の引用図をご照覧あれ。

 浜床のすぐ上の引き出し線で示されている部分がそれです。拝殿正面の左右に1つずつあります。以下は左側海老虹梁の側面写真。

 右端の顔(木鼻(きばな)というらしい)は獅子ですが、胴体はどう見ても蛇身です。獅子と蛇(龍)との異種同体(キメラ)。海老虹梁(胴体部分)をこのように精緻に彫り込んであるものはとっても珍しく、ふつうはもっと簡略化したもの、ないしは無彫刻のものが大部分です。

 以下は木鼻。

 以下は拝殿右側のもう一方の海老虹梁の側面。

 うむ、ほんとに珍しい。そして見事です。

 これは海老虹梁(胴体部分)を下から撮ったもの。このほかにも、拝殿の正面、側面部にも素晴らしい彫刻があります。

 両木鼻にはさまれた拝殿正面の竜の彫刻。

 以下はこの神社の略史。

 略史の中で気になるのは「此の宮の建築に当たった棟梁は、飛騨内匠(ひだのたくみ)と称し、其の後日光東照宮の工事に当たったと伝えられる」というくだりです。飛騨内匠といえば、真っ先に思い浮かべるのは左甚五郎。そして、その飛騨内匠と称した棟梁は、其の後日光東照宮の工事に当たったとあるので、日光東照宮の眠り猫を彫った甚五郎とますますかぶってきます。

 また、「今日見る社殿や彫刻は、文政十一年(一八二一)頃より計画され、弘化4年(一八四七)に完成したとある」とあるように、海老虹梁の問題の彫刻は一八四七年に完成したのでしょう。Wikipediaによれば、「甚五郎作といわれる彫り物は全国各地に100ヶ所近くある。しかし、その製作年間は安土桃山時代 - 江戸時代後期まで300年にも及び、出身地もさまざまであるので、左甚五郎とは、一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞としても使われたようである」とあります。この神社の建築に当たった棟梁というのも、そうした意味合いでの左甚五郎であったといってもさしつかえはないのではないかと、一人妄想をもてあそぶ筆者であった・・・。東京のこんな片隅に、こんなサプライズが埋まっています。

 さて、この神社のすぐかたわらに湯殿川という小さな川が流れています。

  この川沿いを上流方向にしばらく行くと大橋という橋のたもとに着く。実は、京王高尾線山田駅方面からこの橋を経由して先へ延びてゆく道は都道506号線で、これから向かう相原七国峠へと通じる鎌倉古道の一部をなしているらしい。その古道は、この先で506号線から左へ分かれて七国峠へと向かう。

 古道をたどるべく大橋を渡って南へ延びる506号線を直進する。程なく沿道右に合気道の看板が現れる。道の反対側に左折する小道があるので、

506号線に別れを告げてそこを入り、狭い切り通しのような坂道を上る。

 切り通しの右側面に、こんなむき出しの点景が。

 坂道を上りきる と、すべての障害物が払われて台地上に広がる小比企の畑風景が展開する。その中を畑道となっ た古道が南へ延びてゆく。

 道の左側。

 右側。右奥の山塊は高尾山。

 左奥に富士山。右奥に高尾山。

 畑道を終点近くまで進むと右側に延びてゆく小道が現れる。

 これがその小道。小道をたどってゆくと、おー、総鉄筋コンクリート製の愛すべき雲龍寺の五重塔が見える。

 道なりに進んでゆくと右手奥にお堂らしきものが見えてくる。

 これは垰山観音堂という。

 建物は比較的新しい。下は堂の右手にある祠内のお地蔵さん。

 このお地蔵さんは、かたわらの手書きの由緒書きによると、元はここより南のみなみ野の栃谷戸公園の西側辺りにあったが、みなみ野 の開発に伴い峠山観音の境内に移転した、とある。

 第何世かのご住職のお墓? 下は庚申塔。

 宝暦十二年(1762年)とある。

 もと来た道を引き返して古道の畑道に戻り、ひきつづき南へ向かう。坂を上がってゆくと東西に走る新しくて広い車道に出る。右手には農産物直売所、左手にはコンビニ『ミニストップ』がある。 車道の向こうは八王子みなみ野で、近年大規模にニュ-タウン化しつつあるところだ。 車道を横切り、みなみ野を突っ切って延びるメイン道路に入る。左の高台にはみなみ野中学校があり、道はやがてなだらかな坂となる。左手には住宅街、右手のくぼ地には造成地が広がり家が建っている。いま歩んでいるこの広い道というのは、今や見る影もない鎌倉古道のなれの果てというわけなのだろう。

 しばらく歩いて、傾斜面を利 用した栃谷戸公園、日野自動車21世紀センターを右手に見てさらに行くと、傾斜面後方に神社らしき建物が。

 さっそく戻って行ってみる。

 神社の側面。遠目ではちょっといけてる感じ。春日神社という。

 正面。

 ちょっとケバい感じ。貼り紙がしてあった。

 なんか、新しいわりには忘れ去られた社って感じ。

 神社をあとにして相原七国峠へ向かう。右手前方奥に巨大なタンク状のものが2棟建っているのが見えるが、ちらっとなので見過ごすかもしれない。東京都水道局の大船給水塔だ。やがて四差路の交差点に出る。これを右折して大船給水塔に向かうのだが、この道筋が鎌倉古道なのかどうかはわからない。けれど方角的には合っているはずで七国峠に向かっていることは確か。道の左手奥に目印の塔があるはずなのでそっちの方へ進む。やがて高台の上にそびえる給水塔が見えてくる。

 塔へ上る舗装された坂道を上りつめると給水所の入口に着く。

 右手奥に分け入るけもの道のようなところに進入する。

 うむ、巨大な塔が背後を圧迫する。それにめげずさらに進むと、道は樹林中に分け入る。

  しばらく行くと、あっけなく七国峠へ出てしまった。

 標識板下部の説明書き。

 どうも峠ってふうじゃないけど・・・。その昔は見晴らしが良かったのかしらん。左へ行くと大日堂へ行くとあるのでそのまま進む。

 うむ、これは確かに古道のようだ。やがて、出羽三山供養塔に着く。

 上の標識板地図のY字路の分かれ目のところにはその供養塔が。

 出羽三山といっているが、実際には中央にでっかく「湯殿山供養塔」とあってその左に羽黒山、右に月山と併記してある。つまり供養するご本尊は湯殿山であって、その守り神は大日如来。事実、供養塔右側の道の先には大日堂があるという。

 冒頭で小比企稲荷をご紹介したが、その社を出たところに湯殿川が流れていた。この川は北野街道とほぼ並行していて(というより北野街道が湯殿川と並行していて)、その水源は八王子市館町にある拓大国際キャンパス内にあるらしい。

 900年代、八王子あたりを支配していた横山党という武士集団の党首が朝廷の奥州征伐で苦戦した際に、 奥州の出羽三山の一つである湯殿山にお参りし、山伏の応援を得て敵の大将の首をとることができた。 以降、党首は湯殿山を信仰し、その守りの本尊である大日如来像を大日堂に安置した。その堂のかたわらには湧水の池があり、そこから流れ出る川を湯殿川と 呼ぶようになったという。 その大日堂のあった場所が、現在の拓大国際キャンパス内の奥だと言われている。

 で、なんとその大日如来が、八王子市館町の龍見寺の大日堂に現存している。拓大から湯殿川をいくらか下った先にあるお寺だが、いろいろの事情でその地へ移されたのであろう。

 これは大日如来を祀った大日堂。1381年(永徳年間)に大日如来を奉じて建立し、1849年(嘉永2年)に再建したものという。

  これが当の大日如来。銘があれば国宝にしてもふさわしいと言われたものだという。秘仏扱いなので普段は拝観できないが、毎年秋に実施される「東京文化財ウィーク」の会期中に限って観ることができる。

 ってことで、七国峠の出羽三山供養塔から大日堂へと向かうことにする。

 古道らしい雰囲気がよいですなぁ。

 杉木立の中を進む。やがて大日堂入口に到着。

 小さい看板なので見落としやすい(実は筆者も見落としてわざわざ引き返してきた)。脇の階段を上ってゆくらしい。けっこう急な上りだ。

 振り返ると

 やっと頂へ。

 祠がある。

 これが大日如来。

 この由来書を見ると、この大日如来は往時、七国峠中腹にある覚王院に安置されていたのを、一村一宮のお達しにより御嶽神社に移され、やがて流行病感染阻止の願いを込めて当時の若い衆の手により峠の頂上に祀られたとある。

 この看板を見ると、いかにもここが七国峠のように見えるが、もちろん本物はさっきの標識のあるところだ。

 さて、古道をさらに進むには、さっきの急な階段を下って古道へ戻らねばならないが、ここで恒例のチョンボをしでかす。

 この「鎌倉古道」という標識がいけない。ここは大日如来の由来書にもあったように七国峠の山の頂上である。広い意味では古道の一部をなしているのかもしれないが、古道そのものではい。ってのは後知恵で、この時はほいほい標識が指す左手方向の道を下ってしまった。着いた先は東京家政学院前の車道。本当は大日堂階段下の古道をたどって相原方面に出るはずだったのに。

 ・・・ってことで今回もトホホな結果となってしまった。八王子駅へと向かうバスに乗り、トコトコ家路につくことになってしまったわけなのであった。

 

古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想

アステカ帝国の興亡と帝国末裔の民が新国家「アストラン」を樹立し、435年後にオリンピックを招致・開催するまでにいたる物語⇒アステカ物語

宇宙の謎・地球の謎の迷路をへ巡る謎パーク別館⇒<Sui族館