八王子編
甲府旅情
旅情ってねぇ、あなたいまどき・・・。甲府に城があるってことを日本史大戦略というブログの山梨県>甲府市>甲府城の項で知って行ってきた。いや結構びっくりした。かの柳沢吉保の居城であったときもあるそう。わたしスペクタクルなものが好きで、この城はまあ、スケール感はまずまず。天守台から見晴らす薄霞に浮かぶ富士山、反対側にそそり立つ南アルプスの山並みはなかなかのものだ。若い頃、あの甲斐駒ケ岳や北岳に登ったことを思い出す(北岳では自分の無茶でクルーに遭難の心配をかけたりしたっけ)。
城を出てバスに乗り、武田氏の居城跡である躑躅ヶ崎館へ行った。大手門跡の背後に城壁の石垣みたいな現代製の結構大掛かりな石組みがあったので登ってみたら、内側には川の一部なのか堀なのか判然としない水だまりがあった。
躑躅ヶ崎からの帰り、バスが夕方までないことを知る。まだ昼ちょい前なのに。そういえば今日は12/30で年末ダイヤだった。このあと甲府郊外の銚子塚古墳へ行くので、タクシーと料金交渉。4000円で手をうって早速出発。運ちゃんは年配のおやじで、結構銚子いい。古墳のあるところは交通の便がわるいから、迎えに行ってやろうかと言い、PM3:00にセブンイレブンの前で待つということに決定。中央道沿いの山のふもとにある古墳はよくある前方後円墳で、隣には円墳もある。
古墳の背後は山で、上のほうに登ると弥生時代の包茎(失礼!)、方形周口墓があるという。早速登る。もうすぐ頂上という頃、時間を見るとタクシーの約束の3:00まであと30分くらいしかない。そこで山を降りて中央道に出、バス停を見るとバスを待つ人たちがいた。聞いてみると2時間おきに高速バスが出ていて、2:50のバスに乗るという。おれもそれに乗っちゃおうかと思ったが、タクシーの運ちゃんとの約束を果たすことにし(わたし、約束には妙に律儀なもので)、セブンイレブンに向かう。
ところがあのおやじめ、来てねえじゃねえか! (まあ、好意的に考えれば、高速バス停はすぐそこにあって、それを見りゃ2時間おきにバスが出ているのはすぐわかるはずで、普通ならそれに乗って帰るだろうと思って来なかったとか)。あきらめて再び方形周口墓をめざす。行く道々、通りすがりの人らに方形周口墓はこっちでいいんですか? とたずねるが皆、へっといった顔つきできょとんとして知らないと言う。なんか彼らにとっては見知らぬ言葉ででもあるみたいだ。
やっと頂上を過ぎて少し行ったところにそれはあった。方形にかたどった植え込みが集まっているが、それらが方形周口墓の位置を示してでもいるのであろうか。奥のほうへ行くと、地べたにそれらしく方形に溝をきったレプリカ墓もあった。弥生人はこうした高いところに墓をつくったんだなぁと妙に感慨にふける。
帰りは中央道に出て4:50の高速バスを待った。無事に乗れて八王子に帰れました。
浅川遡上不成就作戦
八王子を流れる浅川の上流に渓谷らしきものがあるとネットで知り、行ってきた。自分ちから歩き始めて南浅川べりに出て、遊歩道を上流方向へ。鶴巻橋から浅川本流を遡上して松枝橋へ。いろんなブログを見ると、ここから川原へ下りて遡上をつづけるらしいので、それらしい道を見つけて川原へ出る。草や枯れ木がぼうぼうで足場がわるく、これ以上はもうムリって有様になる。対岸にちょっとした小道っぽいものが見えたので、対岸に渡ることにする。ちらりと悪い予感がする(たいていこの予感は成就する)。案の定、水中で3回転ぶ。3回目は腰から落ちて全身ほぼずぶぬれになる(濃紺のズボンをはいていたので、ぬれているとは見えなかったと思う)。川岸を離れ、河川敷の畑を抜けたところに人がいたのでバス停の有無をたずねる。いい塩梅にあるという。その停留所は「榎木」という。それに乗って家へと帰り、服を着替えて、決然とリベンジにおもむく。京王八王子のバス停から榎木をめざす。再び川原に下り、遡上を開始する。しかし結局、行き止まりだった。川はちょっと渓谷らしい雰囲気をかもしだしてきたところである。川ん中で転んだとき、ポケットに入れたデジカメも水にぬれて壊れてしまったため写真はない(ーー;)。んでまた、榎木バス停に戻って引き返してきたってわけ。ハァ~~~
☆古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想☆
☆アステカ帝国の興亡と帝国末裔の民が新国家「アストラン」を樹立し、435年後にオリンピックを招致・開催するまでにいたる物語⇒アステカ物語☆
☆宇宙の謎・地球の謎の迷路をへ巡る謎パーク別館⇒<Sui族館>☆