今日(2016/3/5 土?)は、南浅川べりから横川弁天池という湧水池→中田遺跡公園→子安神社→小宮公園→北大谷古墳→極楽寺というコースを歩いてみた。メインは北大谷古墳と極楽寺である。
北大谷古墳は八王子では最大の古墳、極楽寺は八王子市街の一角にひっそりたたずむ懐深く趣のあるおおらかな名刹だ。
まず地元の西八王寺の南浅川べりに出る。左岸づたいに五月橋、水無瀬橋を過ぎると通信橋へ出る。
通信用のケーブルでものっけてるんだろうか。この橋のたもとの向かいの細い道を200mばかりゆくと横川弁天池に出る。
何の変哲もないちっちゃな公園だ。池の説明板を探すが園内にはないようだ。代わりに市の公園係りだか町内会だか知らないが、彼らお得意の「~するな、捨てるな、持ち帰れ」の一大合唱のおもてなし・・・。
この狭い公園にこれでもかと警告板が林立していて、これでは池というより小じんまりした警告板フェアの会場ではないかと思いはべるなり。
肝心の池の説明版は園外の道端にぽつんと掲げてあった。
昭和35年頃はサンショウウオも棲んでいた湧き水の池だったそう。過去のよき時代を寿ぎつつ、今を省みて悲嘆に暮れる駄目五郎であった。
川べりの遊歩道に戻って川を下る。やがて南浅川と浅川本流との合流点へ。写真では合流してんのかどうかよくわからない。川の規模が貧弱なせいだろう。
途中で見かけたボーイスカウトの何かのイベント。ボーイスカウトの子供たちよりその身内とか何とかの関係者のほうが圧倒的に多い。
浅川の遊歩道を抜けて鶴巻橋を渡り、しばらく行くと秋川街道に出る。そしてここでも恒例の方向音痴が顔を出し、秋川街道を渡るはずが右折してしまい、そのままとことこと街道沿いを進む。しまむらとかスーパーアルプスがお出迎えのはずが全然いなくて、代わりに何かでっかい木造建物が・・・
とか
とかがあった。道路の向い側には、どこかレトロな面影を残した日本機械工業の社屋が。
この会社は消防自動車をつくっているらしい。創業は大正11年というからかなり年季が入っている。
何かこのあたりはレトロな空気が漂っている感じだ。
おお、そんなことはどうでもよくて、中田遺跡公園をめざしてるんじゃなかったっけ。おおそうだ、そうだった、と言いつつ、秋川街道を八王子市役所北の交差点まで戻ってそれを横断し、直進する。遺跡公園へはどこから入ればいいのか近所の人に道を尋ねているさなか、また気になる光景が・・・
そこだけ切り取られたようのたたずむこんもりした木立の密集域。道を聞くついでにあの木立の群れは何かと尋ねると、このへん一帯の地べたの持ち主、つまり大地主殿の屋敷があるのだという。
んなこたぁどうでもいい、はよ遺跡公園に向かわんかい!
ってんで、あちこち道を聞きききやっとたどり着きました。
住居跡にコンクリートが打ってある。竪穴式住居だろう。一辺が9mを越える大規模なものもあったそう。つうか、これがそうじゃね。
こちらは説明版。
なんでも旧石器時代から近世までの遺構や遺物が数多く出土し、なかでも古墳時代後半のものがもっとも多く出土していて、この公園の住居跡もその時代のものだという。
同じ中野山王地区にある子安神社がすぐ近くなのでそちらにへ向う。八王子にはもう一つ明神町にも子安神社があって、八王子の子安神社といえばこっちの明神町のほうが有名だ。なにしろ八王子最古の神社だという触れ込みで、安産の神というブランドイメージが確立している。両神社とも湧水があることで知られるが、東京の名湧水57選に名を連ねているのはこっちの中野山王のほうの子安神社だ。
石段を上るとちょいとした広場に出る。
横手に池があるが、これが湧水なのだろう。
広場の奥のもう一つの石段を上ると
本殿に出る。そこそこ古さびていい雰囲気だ。ここでお昼をいただく。
親子連れがやってきた。よく見ると外人さんだ。
この子はさっき、拝殿でちっちゃな手を合わせてしきりに拝んでいた。日本の子はそんな風習は忘れている。
しばらくすると、すらりとした日本人の奥さんがやってきた。やがて連れだって帰っていったが、彼らの家は神社の裏口を出てすぐのところだった。
表口から神社を出ると
ありました、明神さまの湧水宣言。
湧水どアップ。
次は小宮公園に向う。途中でちょっと気になる木立を見かけた。
何か霊気を感じる? 行ってみた。すると
確かに鳥居があった!
ただしこれは、個人のお宅の屋敷神だ。それにしても立派な鳥居である。
やがて1階は料亭になっているホテル「なか安」がワンダーにそびえている
付近の急坂を上って小宮公園に向う。
公園案内図。公園自体は今日はスキップして、北大谷古墳をめざす。
途中に大善寺というお寺があった。
北条氏照の開基、滝山城下に創建され、のち八王子城下に移転するが、八王子城落城に伴い大横町に移転。また、1961年には大谷町に移転、一時大和田町に本堂を移していたが、1981年に現在の大谷町の本堂が完成した(以上、Wikipediaより)。
本堂。
境内社の機守神社。
同神社の由来書き。
寺を出て古墳をめざすが、標識らしきものは一切ない。地元の人に尋ねてやっと入口らしきところを発見。
軽いのぼり道を進む。
場違いにちょいとおしゃれな木のベンチを発見。その奥になにやらこんもりした墳丘らしきものが
・・・。
これは遠景。これって古墳でせうか? 古墳だと思うんだけどなぁ。
頂付近。
周囲は都有地の野っ原だったり
畑だったり。
八王子駅から歩いてゆけるところに、こんな風景がまだあるんだってことにちょっと感動。ちなみに北大谷古墳は八王子では最大規模の墳丘で、多摩地域の終末期古墳の中でもトップクラスの有力者が葬られた墓であったらしい。
はい、それでは本日の最終ターゲットである極楽寺に向いましょう。さらば北大谷古墳。
やけにカラスが群れている。近くに墓場があるから?
舗装道路に出て弁天橋をくぐる。
途中、小宮公園内にある大谷弁財天・弁天池へ寄る。
由来書き。
池には鴨さんや亀さんがのんびりしておりました。
あっと驚く駄目五郎・・・いきなり極楽寺へワープです。
八王子市内・大横町の16号沿いにでんと構える、その名も宝樹山極楽寺。
八王子城落城により元八王子から移転。戦災からも難を逃れ、山門・本堂・鐘楼等が整った古刹。鎌倉・室町期のご本尊なども秘仏とかいって隠すことなく公開しているおおらかなお寺だ。
お墓入り口。
武田信玄の孫娘であの松姫の姪にあたる玉田院公だとか、元千人同心で蝦夷地の経営に携わった塩野適斎殿などのお墓もある。
墓地にはこんな、いかにも由緒ありげな古い塔婆もある。
こちらは八王子城の東方、横山の地に横山宿をつくって市場を発展させ、今日の八王子市の礎を築いたといわれる長田作左衛門の供養塔と説明版。
こちらは鐘楼。右奥に裏門が見えるが、表門が閉まっているときはこの裏門から入る。
こちらは本堂。
ご本尊、阿弥陀如来(歯吹尊)の説明版。
本堂へは誰でも自由に入れる。絢爛豪華な内陣。
こちらはご本尊様。歯吹尊ともいわれるが、その由来はこの仏像には歯があるらしいのである。
以下の写真は祇是未在(ソゾタケの仏像日記)というブログからの借用であるが、確かに歯らしきものが見える。来迎の際に微笑んでいる様子を表しているという。
こちらは脇侍の菩薩。
内陣の左の間には地蔵菩薩の頭部が祀られている。
外陣の床にはホットカーペットが。お寺の心配りが感じられる。
入口近くに御座するお坊さん像。
?
説明版などもよくゆきとどいていてよいお寺です。それでは今日のお散歩はこれにて終了。
☆古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想☆
☆アステカ帝国の興亡と帝国末裔の民が新国家「アストラン」を樹立し、435年後にオリンピックを招致・開催するまでにいたる物語⇒アステカ物語☆
☆宇宙の謎・地球の謎の迷路をへ巡る謎パーク別館⇒<Sui族館>☆