八王子の京王線北野駅近くにある北野天満社→打越町にある梅洞寺と打越弁財天へ行った折に、ちょっと面白い体験をしました。google mapには載っているのに、どうやってたどり着けばいいのか、さっぱりわからない謎の神社があったのです。
で、まず北野天満社。
ちょっと右寄りに並んでいますが、左が北野天満社、右が塩竈神社です。駅名の由来となったせいで一般には北野天満社と呼ばれていますが、塩竈神社も共に祀られています。まだ3月23日なんですが、温暖化のせいで桜が真っ盛りです。
神楽殿周りの桜。
本殿付近の桜。
裏の巨木の根元に祀られた石祠。
この神社の境内には、約4千年前の縄文時代後期の住居跡がひっそりうずくまっています。
北野町は京王線北野駅北口側に広がっているのですが、南口側の一帯を占めているのは打越町です。これから、この打越町にある梅洞寺と打越弁財天を訪ねます。
梅洞寺というのは、禅宗臨済派山田村(町)廣園寺末金湯山と号すかなり大きなお寺です。本山である廣園寺は拙宅から10分ほどのところにある大寺で、近辺には複数の塔頭(たっちゅう。大寺の山内にある末寺)、そして市内にはいくつかの末寺(本山の支配下にある寺)が各所にあって、梅洞寺もそうした末寺のひとつです。廣園寺の塔頭の一つに慶泉院という小さな無人のお寺があるのですが、どうやらこのお寺の管理を行っているのが梅洞寺のようで、さらにこのあと行く打越弁財天は梅洞寺の塔頭なのだそうで、どうやら梅洞寺のご住職は世話好きなお方のようです。
梅洞寺へ行く途中にあった八幡様です。
梅洞寺の山門です。
こちら鐘楼。
このあたりの高台の桜を撮っていたら、下のほうから「よいお天気ですね」という快活な声が。どうやらこのお寺のご住職らしい。気さくな方のようだ。
寺桜(墓桜)ってか。
さらに上へ。
頂は眺めがよい。写真の空の真ん中に立ち上っている煙のようなやつはレンズについたホコリのせい。
さて、次の目的地「打越弁財天」へ向かうのだが、梅洞寺から北野街道へ下ってゆくのはかったるいので、逆にこのまま上ってゆけば弁財天にゆけるはずと、梅洞寺脇の道をずんずん上っていった。さびしい野辺の道をしばらく行くと住宅街に出た。おかみさんが庭に出ていたので、「打越弁財天はこっちでいいの?」って聞いたら「さぁ?」と言う。典型的な新興住宅地御用達の反応だ。またしばらく行くと、このような畑があったりする住宅よりも自然のほうが優勢な雰囲気の一角に出た。
ちょうど車から降りてきた若奥さん風の女性に聞くと、ここを下っていって八王子バイパスに出たらすぐにわかるよというありがたいお言葉。それにしたがいやっと打越弁財天入口に着く。
しっかり梅洞寺つながりを示す標識も。
これが本殿。
なんか雰囲気のない光景。八王子バイパス開通にともなって一部境内地が削られたそうで、本殿が再建されて新しくなっている。この神社は、絹織物の町八王子らしく、カイコをネズミから守ってくれると信仰されていた蛇と合わさって白蛇をご神体とする弁財天信仰の拠点となったのがその起こりだそうだ。
本殿の背後になんか石だか砂だかわかんないような堆積がうずくまっている。これは打越弁財天への道々、気になっていたものでこんな具合だ。
砂利置き場の砂山だろうか。
さて、打越弁財天には秘仏の弁天様がいらっしゃるそうで、12年に一度の巳年だけにご開帳あそばされるそうだ。あたしゃそんな秘仏がだいきらい、ってぼそぼそつぶやきながら裏山への上り道をたどっていると、前方からメガネをかけたおっさんが降りてきた。彼は気さくに声をかけてきた。
「弁天様へいらっしゃるのならご一緒しましょ」
ご一緒しておっさんと共に上ってゆく。やがて頂に着く。
「あれが弁天様です」と彼が指さす方を見ると、なるほど古めかしい石祠が。
中の弁天様。
かなり古いものらしい。小生を案内してきてくれたおっさん(俺はじいさんだが)は「毎日お参りに来るんですよ」と言い、そのまま帰ろうとする小生に「お参りしてやってください」と言った。ホイこりゃとんだ失礼をばとばかり、あわてて手を合わせる。
帰りの道々、簡単な言葉を交わす。どうやら彼は失業中らしく、これから八王子のハローワークへ行くという。経理関係の仕事をしていたという。「今はコンピュータなんてものがあるから・・・」と、よけいな言葉を吐く俺。彼はこんなことも言った。
「この近くの人がほとんど行けないようなところに神社があるんですよ。ナカヤト・・・という神社なんですが」「わたしそういうとこ大好きなんですよ」「今度よかったらご一緒しましょう」「ええ、ええお願いします」
といったやりとりがあって、お互い名乗りあって北野駅へと向かい、改札口の前でバイバイした。昼飯を駅近くの居酒屋で済ませながら(釜めしを頼んだら、ちっちゃなお一人用コンロが出てきてそれで炊き上がるまで30分近く待たされた。味はたいしたことなかった)、例のナカヤト・・・神社についてスマホで調べた。どうやら中谷戸稲荷神社というものらしい。google検索で四人ほどの人が行ったことがあるとわかった。このうちのお二人はずいぶん難渋されたようで、お一人はとうとう途中離脱されている。残りのお二人はたどり着いてはいるが、その到着プロセスについては一切ふれていず、ごくアッサリ、こんな神社があるよといったていのものだった。
わたし、やっぱ行きました。打越弁財天の近くにあるというので、さっき下ってきた道を引き返しました。しかしあまりに情報が少ない。苦労してかの神社をめざした先人お二方のブログには、草の生い茂った草むらに開いた穴から侵入したとあったが、その穴ぼこらしきものを探してみたが、あまりにも漠然としすぎていてどうにも行き暮れるほかなかった。
ところが、ちょっとした作業場をのぞいてみるとご年配のジャンバー姿の男性がいて、この方に「このへんに中谷戸稲荷神社という神社はないでしょうか」と尋ねてみると、おうなんと「この裏の山の上にあるんだが、行けるかどうかはわかんねぇ」と言いつつ先にたって歩き始めた。打越弁財天のほうへちょっとばかし戻ったところで、地べたに緑のカーペットが敷いてある小道に入っていく。小道の右方の奥のほうには、さっき打越弁財天へゆく途中で目にした砂の山が見える。
カーペットの奥のほうに左方への上り道があって、男性はこの道を上がってゆけばいいと教えてくれた。と、おんや、そばに猫がいたのでパチリ。
そっぽ向いてやがる。
男性にお礼を言って上り始めた。なんか土管のようなものがニョッキリ出ているところがあった。
なおも行く。おっ、可憐な花が。
なおも行く。
やがて少し開けたところへ出た。
前方の金網ごしに祠が見える。
じゃーん、着きましたぜ、これにちげえねぇと、金網沿いに進んで神社に入ってみるとなんか裏手へ回っちまったようで。
祠が三つ並んでます。
これが正面。
武蔵御嶽神社も併せて祀られています。
しんとした山の中です。
この神社、googe mapにはしっかり載ってます。梅洞寺も打越弁財天ももちろん載ってます。
地図ってのは、宗教関連の施設は気持ちわるいくらいちっこいところまで載っています。中谷戸稲荷神社だけでなく、ほんとにこんな神社までとあきれるくらい小さな祠まで載ってます。んなようなことに多少あっけにとられたりして、今回はここまで。
☆古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想☆
☆アステカ帝国の興亡と帝国末裔の民が新国家「アストラン」を樹立し、435年後にオリンピックを招致・開催するまでにいたる物語⇒アステカ物語☆
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