11/6「変更を許さない国民性」
今日議員会館では「特定秘密保護法」勉強会があった。
そこでは国連の勧告が取り上げられていたが
日本では多くの国連勧告が出されているにもかかわらず
ほぼ全くと言って良い程、
その勧告が無視されていると言う実体がある。
例えば「国連人権条約」はA,Bがあり、
Bの方は批准されていない
。福島における勧告でも
或る1つの勧告は全く無視されている。
私は一度
(IWJの配信の中で聞いた事があるのだが、)
日本の政府(その時は法務省だったと記憶しているが)
は国連の決議を認めてしまうと
日本の法律制度
その時は裁判の3審制が
崩されてしまうからだと言う回答だったと思う。
つまり、
日本の制度は自国においては全く完璧なのであって
他国や多方面からの干渉は一切受け付けないと言う腹つもりなのだ。
しかし、
実際には日本程
「日米安保」と言う妄想によって支配されている国は無く、
最近のネット言論の通説となっている
「属国日本」に他ならないと言う宿痾も持っている事を同時に認めなければならない。
この2面制度の中で
私達の暮らしは今もこれからも苦しみの連続であるのである。
そして官僚制度の中で
「今更辞められないし」
と言う理論的不変更制度が支配しているのだから
後は
「野となれ山となれ」と思考放棄を考えた方が得なのかもしれない。
そして、
更には「変更を許さない」国民性が
私達を2重3重に縛り付け、
更なる泥沼へと引きずられてしまうと言う地獄を黙って見ているしか無いのかもしれない。