今日は先日静岡ホビースクエアで行われました
タミヤ会長と元MMシリーズ設計者田村さんの座談会の中より
田村さんのお話をピックアップして紹介させていただきたいと思います
昨日のブログでも少々紹介しましたが、
田村さんは42年間タミヤで設計を担当していらっしゃいました
一昨年惜しまれながらも、定年でタミヤを退職なさいました
まずは座談会で田村さんがタミヤ入社までの話をしていらっしゃいました
田村さんが中学生の時地元の模型店で、タミヤの「ビックショット」を見て
(ビックショットは上の写真の模型です)
どうしても欲しい衝動にかられたそうです
ただその当時の価格が1500円、中学生のおこずかいでは到底買えないものでしたので、
地元のゴルフ場で一日800円のキャディーのアルバイトを2週間し、
そのお給料でビックショットを買われたそうです
(もらったお給料を片手に模型店に出向き、購入されたそうです)
家に帰ってさっそく作ったのですが、ビックショットの出来のよさに驚いたそうです
ただ説明図には砲弾が発射できると書かれていたのですが、
組み立て方が悪かったのか・・・
どうしても砲弾を発射することが出来なかったと話していました
(会長様も作られたそうなのですが、砲弾は発射できなかったそうです
ただ組立部門の方の作ったビックショットはしっかりと砲弾を発射できたそうです)看板に偽りなしですね
ビックショットに感銘を受けた田村さんはどうしてもタミヤに就職したいと思うようになり、
掛川?のタミヤサーキットまで高校生の時に父親と訪れ・・・
会長様にどうしたらタミヤに就職できるか直談判したそうです
会長様から親の了解を得るように言われ、親の承諾をもらったそうです
その後高校3年生の夏と冬の休みにタミヤにアルバイトに出かけ、
そこでタミヤの仕事を学んだそうです
その時に設計にも挑戦させていただくことが出来たそうで
設計の難しさを痛感したと言っていました
高校卒業間近になってもタミヤからの採用通知が届かなかったので・・・
採用されなかったのかな?と心配になりタミヤに連絡を取ったところ
4月から出社するようにと言われ・・・田村さんはタミヤに入社したそうです
設計のお話もいろいろされていたのですが、
タミヤの製品で(MMシリーズ)田村さんが設計されたモデルは
70~80種類ほどあったそうです
その中でも最初に手掛けたモデルが88mm砲で、
会長様と一緒に海外まで実物を見に出かけたそうです
5月の静岡ホビーショーまでには発表したかったそうなのですが、
しっかりとした資料がそろわず、大砲の部分のみの発表になったそうです
その後資料がすべて整い、キャリー部分も製作されたのですが、
設計には4か月ほどかかってしまったと言っていました
ただ自分が設計したプラモデルが組み上がって形になった時には、
震えが来るほどの感動を覚えたそうです
今は設計と言っても3DCADで行ってしまうらしいのですが、
田村さんの時代は定規片手にと言った感じの作業工程だったようなので、
本当にご苦労なさったことと思います
田村さんが設計をされたモデルは本当に名品揃いなので、
私も少しずつ挑戦して作ってみたいと思います
明日は静岡ホビースクエアでいま開催されております
「小松崎 茂」展について書かせていただきたいと思います
では、これからもよろしくお願いいたします
タミヤ会長と元MMシリーズ設計者田村さんの座談会の中より
田村さんのお話をピックアップして紹介させていただきたいと思います
昨日のブログでも少々紹介しましたが、
田村さんは42年間タミヤで設計を担当していらっしゃいました
一昨年惜しまれながらも、定年でタミヤを退職なさいました
まずは座談会で田村さんがタミヤ入社までの話をしていらっしゃいました
田村さんが中学生の時地元の模型店で、タミヤの「ビックショット」を見て
(ビックショットは上の写真の模型です)
どうしても欲しい衝動にかられたそうです
ただその当時の価格が1500円、中学生のおこずかいでは到底買えないものでしたので、
地元のゴルフ場で一日800円のキャディーのアルバイトを2週間し、
そのお給料でビックショットを買われたそうです
(もらったお給料を片手に模型店に出向き、購入されたそうです)
家に帰ってさっそく作ったのですが、ビックショットの出来のよさに驚いたそうです
ただ説明図には砲弾が発射できると書かれていたのですが、
組み立て方が悪かったのか・・・
どうしても砲弾を発射することが出来なかったと話していました
(会長様も作られたそうなのですが、砲弾は発射できなかったそうです
ただ組立部門の方の作ったビックショットはしっかりと砲弾を発射できたそうです)看板に偽りなしですね
ビックショットに感銘を受けた田村さんはどうしてもタミヤに就職したいと思うようになり、
掛川?のタミヤサーキットまで高校生の時に父親と訪れ・・・
会長様にどうしたらタミヤに就職できるか直談判したそうです
会長様から親の了解を得るように言われ、親の承諾をもらったそうです
その後高校3年生の夏と冬の休みにタミヤにアルバイトに出かけ、
そこでタミヤの仕事を学んだそうです
その時に設計にも挑戦させていただくことが出来たそうで
設計の難しさを痛感したと言っていました
高校卒業間近になってもタミヤからの採用通知が届かなかったので・・・
採用されなかったのかな?と心配になりタミヤに連絡を取ったところ
4月から出社するようにと言われ・・・田村さんはタミヤに入社したそうです
設計のお話もいろいろされていたのですが、
タミヤの製品で(MMシリーズ)田村さんが設計されたモデルは
70~80種類ほどあったそうです
その中でも最初に手掛けたモデルが88mm砲で、
会長様と一緒に海外まで実物を見に出かけたそうです
5月の静岡ホビーショーまでには発表したかったそうなのですが、
しっかりとした資料がそろわず、大砲の部分のみの発表になったそうです
その後資料がすべて整い、キャリー部分も製作されたのですが、
設計には4か月ほどかかってしまったと言っていました
ただ自分が設計したプラモデルが組み上がって形になった時には、
震えが来るほどの感動を覚えたそうです
今は設計と言っても3DCADで行ってしまうらしいのですが、
田村さんの時代は定規片手にと言った感じの作業工程だったようなので、
本当にご苦労なさったことと思います
田村さんが設計をされたモデルは本当に名品揃いなので、
私も少しずつ挑戦して作ってみたいと思います
明日は静岡ホビースクエアでいま開催されております
「小松崎 茂」展について書かせていただきたいと思います
では、これからもよろしくお願いいたします