あこパパの大腸癌日記

24年5月直腸癌摘出手術StageⅡ。その後26年2月、同9月、28年9月肝臓転移が見つかり摘出手術を受けました。

体のメンテナンスについて

2014年09月25日 | 自分の死について
精神と肉体
肉体は精神の入れ物だったり
精神の乗り物だったりする
精神が運転手で体が乗り物と考えてはどうだろう
乱暴な運転をしたり、メンテナンスをしないで無理な運転を続ければ
体は壊れてしまう。
また、自ら壊してしまう自傷行為や自殺などもある。

物を大切にする人と乱暴に扱う人がいる。
これは希少価値があるとか高額であるとは限らないように思う。
安いもので簡単に手に入るものでも大切にする人がいる。

私たちの世代の親は戦前生まれが多い(父は昭和5年。母は昭和8年)
そのせいで戦時中の物の無かった頃の話を延々とされた。
食べ物を残すのは当然・文房具やその他の扱い方、片付け方などだ。
しかし、その割に自分は物を大切にしなかったように思う。
ちなみに我が家は決して裕福ではなく、祖父母同居の田舎の農家だ。
テレビや洗濯機が我が家に入ったのは、小学3年生になってからで
車も無かった。

なのに何故自分は、物を大切にしないのだろう
物に対する執着心がない。
これは身体に対する執着心も同じではないだろうか?
健康のために○○をする。
身体に悪いから○○を止める。
など全くといってしてこなかった。
食べたいものを食べたいだけ食べ。
飲みたいものを飲みたいだけ飲んできた。
(タバコは40歳の時に辞めたが、健康のためではなく
ある国家資格を取得するための戒め?でした。
(タバコを辞められない者が試験に合格できるわけが無い・本気の気持ちを表す意味)
とりあえず一発で合格したのですが。

これまでの五十数年間生きてきて、身体を大切に考えてきた記憶はない。
二十代には二十代の、三十代、四十代、五十代と
身体という乗り物?をメンテナンスする必要があった。
祖母は100歳まで生きました。
祖母は若い頃から、あまり身体が丈夫ではなかったそうで
戦前に死産をした経験もあり、田舎ですので、それはそれは苦しい経験をしたそうです。
その為か、食べ物は種類・嗜好に関わらず、少なめに食べ、多いと感じた場合は
数粒のご飯も残す人でした。(翌日に食べました)
また晩年は歩いた人です。
90歳を過ぎたのに1日数キロは歩いたと思います。
知り合いが、遠くでばぁちゃんを見つけ「乗っていかないか」と声をかけると
「健康のために歩いている」と言われたと、後々いろんな方から言われたことがあります。
明治生まれの気質でしょうか、今で言うところのストイックなのでしょうか
私は見習うべきだったと思います。(姑としては、厳しかった人でした)

やはり上手く使えば100年使える物も大切に使わなければ、50年そこそこしか使えないのでしょう。
せっかく健康に生んでいただいたのに、私は身体を大切に使わなかったから・・・・。
これからでも遅くはないと考え(それしかありませんが)
メンテナンスに心がけようと考えています

今日は眠れなかったので、年甲斐も無くセンチな書き込みをしてしまいました。
自分の身体を大切にするのは、家族のためでもあるんですよね。
子供は、まだ中学1年生ですから。
書き終えて、読み返し削除しそうになりましたが書き込みます。

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