雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

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ご先祖様の城へいってきたで

2014年04月28日 14時19分08秒 | 歴史
ども、まごーんよ。今日はご先祖様のお城へ行ってきました。
まえに「先祖の同僚の墓参りしてきた」でいいました先祖です。
私の先祖の1人は小宮山氏といい、信濃国佐久郡小宮山村(小宮山郷)を発祥とする一族でした。その始祖は藤原氏とも源氏とも言われてますが、これは甲斐へ渡った小宮山友晴の一族(私は勝手に甲斐小宮山氏と言ってます)の由来書に記してあることです。
私の先祖は信濃小宮山氏(これも甲斐の一族と区別するために勝手に言ってるだけで、元々同族です)で、祖父や親戚から聞いた話では、小宮山村で段々分家が増えてきたので本家が小宮山村を離れることとなり、北へと移動して今に至るそうです。その移動した本家はのちに海野家臣となり、海野家より滋野姓を賜り、滋野姓小宮山氏として頭角を徐々に表し、ついには上田代官にまで務めたようです。この頃には小宮山氏は”幸”のつく名前が当時の書状にでてきており、海野家一族になったことが伺えます(海野家は幸の通字が多い)。
そして、その先祖が1480年ごろに築城したのが小宮山城で、現在は砥石・米山城として県指定史跡になってます。
その後は村上義清によって攻められ、小宮山氏は没落し帰農し庄屋となって現在に至ります。かつては古文書なども沢山蔵にあったようですが、戦後になって散逸したようです。今は蔵には何も残ってません。ですが、「地元ではかなり古い家」と地元の方もおっしゃていました。
まぁ、旧家の肩書きだけ残ったんですわ。

さて、米山城の登り口です(指入ってますが勘弁)。碑には米山城と書いてありますが、パンフレットにはちゃんと小宮山氏が築いた城と載っています。

↑パンフレット
さて、いざ小宮山城へ!と登ったのは良いけれど、キツイです。一端の登山装備した方がええです。滑るし、危ない。
行きは25分かかるので、水筒を忘れないように。
そして登ると…
このように桜がまだ咲いてて、綺麗でした。眺めも良かったです。
ちなみに、小宮山城の近くにはかつて小宮山氏の居館がありました。今は果樹園になっているので入れませんが道から見渡せます。

小宮山氏居館跡(通称・長島ノ館)
村上義清が米山城を手に入れた後は金剛寺に城代屋敷を築いたので、こちらの館は廃棄されました。
明日はこの後に行った白鳥神社と海野宿のことを書きます。

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