雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

二二六事件に遭遇した親戚の話

2014年02月26日 19時08分20秒 | 歴史
こんばんはーまごーんやー。もう2月終わりそうやね~。
今日は2月26日というわけで先日予告したように、この日に死んだ高師直の話を……


ウソです…二二六事件に遭遇した親戚の話します。何分うろ覚えな部分もありますがよろしくお願いします。
二二六事件については書かれた書籍だけで図書館が建つほどなのであえて詳しくは説明しませんが、分かりやすく言えば「陸軍の一部将校が天皇陛下の為に悪いやつらをやっつけようと行動し、やっつけたら実は悪いやつらどころか天皇陛下の信頼厚く、陛下の逆鱗に触れて失敗」てとこでしょうか。簡単になんで色々物申したい方もおられますでしょうが、ご了承ください。

因みに日本陸軍史上二回目のクーデターというか、事件です(竹橋事件はどっちかというと反乱か)。

では、本題へ。
二二六事件発生当時、私の親戚は対満事務局というところに勤めていまして、事件の一報を聞いた親戚は髙橋是清邸へ行ったものの、陸軍の兵隊に阻まれたとかなんとか。とりあえずそのまま対満事務局へ行きました。事務局へ着くや、事務局勤務の陸軍大佐(名前は失念。たしか戦後B・C級戦犯)に対して「この事件は陸軍の責任だ、ただちに上に報告して陸軍はこの反乱軍を討伐しろ」と一喝。この大佐は直ぐに陸軍省(参謀本部か?)に飛んで行ったそうです。
暫くしてから、対満事務局に石原莞爾陸軍大佐が親戚の元へ訪ねてきて。

(写真は石原莞爾)
「今回の陸軍の不祥事は誠に遺憾であり、速やかに事態を収拾する」と詫びた上で「この事態で新たな内閣の首班候補となっているキミの義弟について私は詳しくは知らないので、人となりについて教えて欲しい」と尋ねたようです。
親戚は「彼は現場一筋の人間だから、内閣を組閣するのには向かない」という趣旨を述べ、それを聞いた石原大佐は帰って言ったようです。

以上が親戚の昔話です。少しだけだし、うろ覚えなので繰り返しますがご容赦ください。