前回(3月12日)の「日韓基本協定には米国が関与した」に続いて、“ヤクザと妓生が作った大韓民国―副題 日韓戦後裏面史”(菅沼光弘著)から引用する。
本論に入る前に、同書の著者である菅沼光弘氏について説明しておく。同氏は1959年に東大法学部を卒業して公安調査庁に入庁、一貫してソ連、中国、北朝鮮などとの外交関係の情報収集、および日本国内におけるコリアン関係の動向ウォッチに従事した。日韓基本協定締結を身をもって体験した数少ない生存者である。
さて、同書によれば、1965年2月に当時の外務大臣であった椎名悦三郎氏は、日韓基本協定の仮調印のために訪れた韓国において「(日本の併合を)申し訳なく思い、深く反省する」という声明を発表した。(82ページ、92ページ)
当時、韓国では日韓の条約締結には、ナショナリズムによる猛烈な反対運動があったが、この椎名氏の謝罪声明で反対運動が沈静化したという。当時の韓国の雰囲気としてはやむをえなかったのかもしれないが、この時から日本の謝罪外交が始まり、後年の村山談話、河野談話へとつながっていく。
では、なぜ椎名外務大臣は謝罪したのか。私は、米国によるWar Guilt Information Program による贖罪意識があったからだと推測する。戦争に対する謝罪はともかく、日本は韓国になんら負い目はなく、謝る筋合いなどなかった。しかしながら、戦争と併合がゴッチャになり、併合についても贖罪意識があったのではないだろうか。
この菅沼氏の著作にはもうひとつ興味深いことが書いてある。それは韓国政府も日韓併合は当時の大韓帝国を救う唯一の策だったという事を知っていたこと。(P.94)
朴正熙大統領から外務大臣就任を打診された李東元は「私に第二の李完用になれということですか。わかりました。お国のためです」と言ったという話が残っている。その李完用とは日韓併合に調印した大韓帝国の首相であり、後年売国奴と呼ばれることになった人物である。
すなわち、韓国政府は日本に賠償金を要求することが理不尽だということを知っていたのである。それにもかかわらず、強引に賠償金を伴う基本協定締結を推進したのは、米国の圧力もさることながら、日本政府の贖罪意識につけこんだと推測できるのである。