『あなたは生きていますか?』
あなたは生きてますか?
何をして生きているかではなく、納得できる生き方かと
聞いているわけでもありません。
どう生きているかと聞いているのです。
この質問に正解はありません。
自分で答えを出せることが正解ではないのと同様に、
出せないことが不正解というものでもありません。
肝心なのは、いつも自分にこの質問をしつづけることだと思います。
とかく忘れてしまいがちなこの問いを、環境に流されるこ
となくしつづけることが大切なのです。
わたしは生きているだろうか?
『あなたは生きていますか?』
あなたは生きてますか?
何をして生きているかではなく、納得できる生き方かと
聞いているわけでもありません。
どう生きているかと聞いているのです。
この質問に正解はありません。
自分で答えを出せることが正解ではないのと同様に、
出せないことが不正解というものでもありません。
肝心なのは、いつも自分にこの質問をしつづけることだと思います。
とかく忘れてしまいがちなこの問いを、環境に流されるこ
となくしつづけることが大切なのです。
わたしは生きているだろうか?
親は子をよく見ている(姿じゃなく様子を)と思っているはずです。
しかしそれ以上に子は親を見ていたりするんだよね。
しかも何を言われたかまで鮮明に覚えている。そりゃ驚くほどだ。
だからこそ、この生きざまを見せておきたい。
優しく接し、言葉を選びながら話ができる人になってほしいからさ。
そんなに時間が残されているわけじゃないし。
あ、すぐどうこうってわけではないからね。簡単には死にゃあしません。
私が娘に残してあげられる唯一のものといっていいでしょうね。
これまでしっかり育ってくれたし、この先も少しずつ大人になって
いく目線で、きちんと親の生きざまを見ていってくれたらいいな。
たまに嫌いで、たまに好きで、たまに笑い合えればそれでいいと思います。
離れていても姿を見せることはできるんだもの。そんなふれあいを娘としたいなぁ。
それにさ、私の生き甲斐は娘。生き甲斐を礎に生き様をみせてやりたいね。
これがお前のとーちゃんの生き様なんだぞって。
その姿だけは残してやりたいと願っているこの頃です。
最近反省も含めて思うことがあるんだ。
私は風を送ることができているのかな?ってこと。
優しい風を送ることができる人になりたい、と銘打ってあるブログタイトルでは
あるけれど、ちゃんとできているのかなぁ?って思うんだよね。
家族に対してもそうなのだけど、最近どうも利己主義が目についているように思う。
まず自分は、自分が、ばかりになっている。赴任しているのだから・・・、みたいな。
だから、ママに最近気になっていることは何?と聞くことを優先しているんだ。
娘の塾のことだったり学校の三者面談のことや高校見学のことなんかだ。
私の代わりにママが1人でこなしてくれていることがあるだろうし、娘も私に
頼んでいたことを自分で解決していたりするのだろう。
なのに、いつも私は 俺は、俺が、ばっかりだ。自己嫌悪もいいところ。
そうか、きっと考える順番が違ってしまっていたんだね。そういえばいつも自分の
ことは最後だったのに、このところは一番先だもの。これが私のモヤモヤになって
いたのかもしれないよ。何をおいてもまず家族・友達のことだろう!と怒鳴りたい。
赴任させてもらっている が いつの間にか赴任してあげている に変わった。
人間のエゴが出てしまう悪いパターンになっていたのかね。ようやく気がつきました。