こんにちは
すごい雨ですね
こんな日は家でおこたで っといきたいところですなぁ
まぁ、肝臓にはよくないでしょうけどね
さて、発病してからの話を・・・
病名が判明してから、まずその田舎の病院で毎日点滴(強力ミノファーゲン)
を開始。これがまた時間がかかるのね(点滴だから)
で、受付が16:30までなので間に合うように会社を出るのさ
点滴が終了するともう会社に戻らず帰宅しちゃう
だから結構仕事は集中してやらないと、とてもじゃないけど終わらない
一人で何人分・・もこなしていたのだっ 我ながら偉い
(最近自画自賛ばっかだ)
そうやってがんばっていたからこそ、その時間の退出が許されたわけよ~ん
帰宅してからはひたすら安静にしていたのです
でも田舎の病院だけに、これはセカンドオピニオンが必要と思い、近くの総合病
院で診てもらったのね。その上で処置をそちらにお願いし、今度は注射で薬投入
を始めました。この頃は強力ミノファーゲン注射しか手だてがなかったので、どうせな
ら点滴よか注射のほうがいいかなと思ったし。
当時の精神状態は もう不安だらけ
そりゃそうでしょ。病気は最新、治療は最古、気分は最低ぇ~
しばらくその状態が続いた後、今は亡き父(医師会に勤務してたのね)の知人の紹
介ということで、都内の病院を受診。そこですぐに入院と言われ、この病気にな
ってから初めての長期入院になりました。入院してすぐに当時治験薬であったインタ
ーフェロンを投与開始。治験なので何があっても知らないよ、という条件なの
でもお金はかからないってわけ。
そうそう、入院直後いろいろ検査をしてね、あるナースが耳もとでこう言うのよ。
「年齢の割りに相当悪いみたいねぇ」
て、てめぇナースのくせしてなんてこというんだよぉ~
三日三晩泣きました。 もうそれしかできなかったから・・・
そうはならなかったけど、その時は
もう俺、死んじゃうんだぁ
そう思ったもん。ちょうど結婚1周年にして発症。その上死んじゃうのだぁ
だから離婚も考えた。当時妻はバリバリの大家のお嬢さんだった(今はパリパリ?
いや、失言)から、問題なくやり直せると思ったしね
何が辛いって、そう(離婚とか死んじゃうとか)思いながらも妻が病院にやってくると
大丈夫だよって笑顔でいることだった。
さて、SABAVIAN。これからどうなる TO BE CONTINUE・・・・