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●『岩室観音』

2014年02月18日 18時36分48秒 | 色んな情報

●『岩室観音』
◆【埼玉】石仏5体の首折られる、吉見町『岩室観音』http://p.tl/NJmJ
 
◆吉見町役場 岩室観音  http://p.tl/mqIv
-町指定 建造物-
 弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4㎝)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられる。松山城主が代々信仰し護持していたと伝えられており、天正18年(1590年)豊臣秀吉が関東に出陣した際に松山城の落城に伴い建物の全てが焼失したといわれている。
 現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に龍性院第三世堯音が近郷の信者の助力を得て再建したものと伝えられている。お堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしてはめずらしいものである。
 岩室観音は「比企西国三十三所観音札所」の第三番であるが、札所めぐりとしては「西国三十三所」「坂東三十三所」「秩父三十四所」が有名で、「比企西国三十三所」は、それほど知られてはいない。比企西国三十三所は、遠隔地を巡礼できない人々のために享保8年(1723年)に開設されたと言われており、江戸時代にはこうした地域ごとに完結する札所めぐりが数多く創設されたようである。
 また、ここには88体の石仏が収まっているが、これは四国八十八箇所の霊地に建てられた本尊を模したものである。この弘法大師が修行した四国八十八箇所を巡拝することを「遍路」と呼び、観音霊場を巡る「札所めぐり」とは区別される。
 
◆吉見町 岩室観音 - 赤幾 - はてなダイアリー  http://p.tl/91bb

 
◆すごいぞ!埼玉: 吉見町 岩室観音   http://p.tl/lSK6
弘法大師が高さ一尺一寸(36.4㎝)の観音像を彫刻してこの岩窟に納めたと言われていて、現在のお堂は松山城の落城とともに焼失したものを江戸時代に再建したものと言う事です。
お堂1階の岩室や反対側の岩室に88体の観音石仏を祭ってあり四国八十八カ所巡りと同じ功徳があると言われています。
 
◆【吉見町】吉見百穴に隣接する古刹「岩室観音」http://p.tl/eXOQ
吉見百穴近く、巌窟ホテルと廃墟化した土産物屋の隣には岩肌に張り付くように建てられた古いお堂が顔を覗かせている。「岩室観音」と呼ばれる建造物である。パッと見、山門のようだが、2階建ての観音堂だ。


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