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●『河童千一夜』

2013年01月02日 15時11分28秒 | 色んな情報
●『河童千一夜』
★『河童千一夜』(かっぱせんいちや)http://p.tl/e8S8
 『河童シリーズ』は主に火野葦平の『河童曼陀羅』を下敷きにした、河童に纏わる短編漫画のシリーズ。
 『漫画アクション』(双葉社)に1969年6月から1970年7月まで連載。
  概ね月1回ペースで全15回掲載された。
 
最初の単行本は、連載終了後の1970年9月に双葉社の漫画アクション・コミックス『河童膏』として刊行。その後『河童千一夜』と改題され、日本文芸社、講談社、筑摩書房、朝日新聞出版と刊行されるが、まとめて全話収録された単行本は無く、それぞれ収録作品が異なっている。また、連載1回目に当たる『河童膏』は、多くの短編集に単体で収録されている。

★水木 しげる  http://p.tl/viaj
(みずき しげる、本名:武良 茂(むら しげる)、男性、1922年[1]3月8日 - )
日本の漫画家。鳥取県境港市出身[2]。東京都調布市在住。ペンネームは、紙芝居作家時代に経営していたアパート「水木荘」から名付けた。1958年に漫画家としてデビュー。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。

★火野 葦平 http://p.tl/S_Jw(ひの あしへい、1907年(明治40年)1月25日 - 1960年(昭和35年)1月24日)は、昭和期の小説家。本名玉井勝則。

★伊達忠宗 父:伊達政宗 http://p.tl/4jyq
...ったため、農民にとっても有益であり、買米代金は「御恵金」と呼ばれ、さらなる新田開発を促す原動力となった。 仙台藩の買米制における前渡金。「歴史民俗用語辞典(http://p.tl/0hg6)」

★伊達 政宗(だて まさむね) http://p.tl/TYup
出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。
 
伊達氏第16代当主・伊達輝宗と最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世独眼竜と呼ばれた。

★独眼竜(どくがんりゅう) http://p.tl/lrPT
隻眼の英傑に対して与えられることがある異称である。
初例は中国後唐の太祖李克用だが、日本では戦国大名の伊達政宗がよく知られる。


★頼 山陽 http://p.tl/ZSm1(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))
江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人である。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽は号である。また三十六峯外史とも号した。大坂に生まれる。

★雨宮の渡し(あめみやのわたし)http://p.tl/B1vx 長野県千曲市の雨宮にある史跡。
 
戦国時代の第4次川中島の戦い(両将の一騎討ちがあったとされる戦い)の時、武田側の山本勘助、馬場信房らによる「啄木鳥の戦法」を察知した上杉謙信は、夜半に妻女山を下り、この渡し場を秘かに越えて武田信玄の本陣に突撃したとされている。
 
この逸話は後に幕末の儒学者、頼山陽の「川中島(題不識庵撃幾山図)」の漢詩によりいっそう有名となり、史跡の価値を高めている。漢詩は謙信贔屓の頼が両将一騎打ちの掛け軸の図柄を見ての感動を謳ったものとされている。
 
なお、現在の千曲川の流れは、約800メートル北方に移動している。
 
この地は横田河原の戦いや大塔合戦の際の篭城地であったとされる横田城の対岸に当たる。このため、その折にも争奪の地となっている。また観応の擾乱から続いて南北朝時代にも数度にわたってこの近くの山城「生仁城(唐崎山城)」での攻防戦が行われているなど古来から重要な軍事上の渡河地域であった。
 
場所は長野電鉄屋代線雨宮駅(※2012年廃止)の北、徒歩3分。現在は頼山陽の直筆になる漢詩の碑が建てられ、小さな史跡公園となっている。また3年に1度獅子頭を被った4人の踊り手を橋の欄干から逆さに吊るす奇祭で知られる雨宮坐神社や、幕末期の洋学者佐久間象山が自作の大砲を試射したと伝えられる地も近い。
 
・頼山陽「川中島(不識庵幾山を撃つの図に題す)」  雨宮の渡し跡 http://p.tl/Qmzu
鞭 聲 肅 肅 夜 過 河 (鞭聲肅肅夜河を過る)
曉 見 千 兵 擁 大 牙 (曉に見る千兵の大牙を擁するを)
遺 恨 十 年 磨 一 劍 (遺恨なり十年一劍を磨き)
流 星 光 底 逸 長 蛇 (流星光底に長蛇を逸す)

★雨宮の渡し /【川中島の戦い】史跡ガイド  http://p.tl/Ga9o

★信濃川(しなのがわ) http://p.tl/YQ8X
新潟県および長野県を流れる一級河川。信濃川水系の本流である。このうち信濃川と呼ばれているのは新潟県域のみで、長野県にさかのぼると千曲川(ちくまがわ)と呼称が変わる。全長367キロメートルのうち、信濃川と呼ばれている部分が153キロメートルなのに対し、千曲川と呼ばれている部分は214キロメートルと千曲川の方が長い。ただし、河川法上では千曲川を含めた信濃川水系の本流を信濃川と規定しているため、信濃川は日本で一番長い川となっている。
 
流域面積11,900km²は日本第3位。新潟、長野両県内でほとんどを占めるが、一次支川中津川の源流部が群馬県の野反湖付近にあり、水系流域としては群馬を含む3県に及ぶ。
 
千曲川(信濃川)は古くは万葉の頃から多くの詩歌に歌われ、近代になっても流域の佐久市・小諸市周辺を島崎藤村(千曲川旅情のうた、小諸なる古城のほとり)が、長野市周辺から新潟県境付近の豊田村(現:中野市)周辺を高野辰之(朧月夜、故郷)が歌にし、日本人の郷愁を誘う原風景を伴う川としても知られている。 最近演歌として、「千曲川」 (詞 山口洋子,曲 猪俣公章、歌 五木ひろし)が流行した。 また、伝説で知られる姨捨山や、戸倉上山田温泉をはじめとした幾多の温泉地、長野市(旧川中島町から旧篠ノ井市にかけて)に川中島古戦場などを有し、歴史的な名所も多い。

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