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●ささめゆき 【細雪】

2013年02月06日 18時05分11秒 | 色んな情報
●ささめゆき 【細雪】
★ささめゆき 【細雪】
こまかに降る雪。[季]冬。
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・ささめゆき 【細雪】
小説。谷崎潤一郎作。1943年(昭和18)発表時、発禁となり、戦後完成。大阪船場(せんば)の旧家の四人姉妹の生き方を通して、日本の伝統と文化を絵巻物ふうに書く。


★ささめゆき (細雪)  植物図鑑  http://p.tl/-6Qq
●アメリカのアリゾナ州からメキシコ北部のソノラ州に分布しています。「ミダレユキ(A. filifera)」に似ていますが、葉は灰緑色で肉厚です。高さは10~25センチくらいと、リュウゼツラン属の中では最も小さい部類に入ります。花茎は1メートル以上に伸び、淡い黄色の花を咲かせます。
●リュウゼツラン科リュウゼツラン属の常緑多年草で、学名は Agaveparviflora。英名は Little flowered agave。

★細雪  季語・季題辞典 http://www.weblio.jp/cat/dictionary/nkgmj
読み方:ササメユキ
細かに降る雪
季節 冬
分類 天文

★細雪  近代文学作品名辞典 http://www.weblio.jp/cat/dictionary/nkdmj
読み方:ササメユキ
作者 谷崎潤一郎
初出 昭和18~23年
ジャンル 小説

★『細雪』(ささめゆき) http://p.tl/RU9C
日本の作家・谷崎潤一郎の長編小説。
全編の会話が船場言葉で書かれた異色の作品である(谷崎自身は東京出身)。
上流の大阪人の生活を描き絢爛でありながら、それゆえに第二次世界大戦前の崩壊寸前の滅びの美を内包し挽歌的切なさをも醸しだしている。
阪神間モダニズム時代の阪神間の生活文化を描いた作品としても知られる。
舞台は阪神間だが、本質的には大阪(船場)文化の崩壊過程を描いている。

★谷崎 潤一郎 http://p.tl/kNZN(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)
日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。

初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることも少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷を続けた。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。今日のミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作をものしたが、『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と文体や思想における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎」と称された。

★倚松庵(いしょうあん) http://p.tl/RIOw
兵庫県神戸市東灘区に建つ歴史的建造物。文豪谷崎潤一郎の旧居。
ここで執筆された代表作にちなんで「『細雪』の家」とも呼ばれる。
庵号は夫人の名前「松子」に因む。
 
1929年(昭和4年)に当時の武庫郡住吉村反高林1876-203に建てられた和風木造建築で、谷崎潤一郎は1936年11月から1943年11月まで居住した。1990年(平成2年)に、同じ東灘区内の現在地に移築された。
 
「倚松庵」と呼ばれる家は6軒あったが、一般的に「倚松庵」といえば、谷崎の居住期間の長さからこの旧居を指す。


★播半(はり半) http://p.tl/d0cX
かつて心斎橋や西宮市に存在した創業1879年 (明治12 年)の老舗料亭。
初代播磨屋半兵衛が明治12 年に心斎橋で創業した料亭。
西宮甲陽園へも出店し、戦前は大阪市内三店と甲陽園の四店で営業されていた。
谷崎潤一郎『細雪』にも登場する料亭。
大阪市内三店は太平洋戦争時に焼失。
甲陽園の播半 (はり半)は1927 年(昭和2 年) 阪神間モダニズム時代に建設され2005年(平成17 年)閉店。


★谷崎潤一郎「細雪」を歩く  http://p.tl/gtto

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