縄文人の反乱 日本を大事に

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「特攻の母・鳥濱トメが遺した言葉」

2013年10月02日 20時44分39秒 | 色んな情報

「特攻の母・鳥濱トメが遺した言葉」
………………………………………
 大東亜戦争末期の昭和20年、
 祖国を護るため、
 知覧から飛び立っていった
 若き特攻隊員たちに捧げ尽くしたのが
“特攻の母”といわれた鳥濱トメさん。

『致知』10月号にて、
 トメさんが後世の人間たちに
 託した思いを歴史を知らない
 多くの人々に伝えている
 富屋旅館3代目女将・鳥濱初代さんに
 語っていただきました。

 皆様から多くの反響が寄せられており、
 先日、お電話をいただいた方からも、
「以前、富屋旅館に
 泊まったことがありますが、
 ハンカチが5枚くらい
 必要なほど感動した」
 と嬉しいお言葉をいただきました。

 皆様にもぜひ誌面の記事を
 ご一読いただければと思います。
………………………………………     

 鳥濱トメが富屋旅館を
 開業したのは昭和27年。

 戦後、特攻隊員のご遺族や
 生き残られた方々が知覧を訪れた時、
 泊まるところがないと困るだろうと、
 隊員さんたちが
 憩いの場としていた離れを買い取り、
 旅館にしたのです。

「ここは、生きれども
 生きられなかった人たちが
 訪れていた場所。
 何かを感じ、
 自分が明日生きるという力に
 変えてほしい」

 トメはそう願い、旅館業の傍ら、
 平和の語り部として、
 この離れで隊員さんとの
 エピソードなどを語っていました。

 ここではその一部を
 ご紹介したいと思います。

 * * * * * * *

 ……もう1人は、
 19歳の中島豊蔵さん。

 中島さんは右手を骨折していたため、
 なかなか出撃の許可が下りませんでした。
 しかし、いま行かなければ
 日本は負けてしまう。
 その並々ならぬ思いで司令部に掛け合い、
 ついに許可が出たのです。

 出撃前夜、トメは骨折で
 長くお風呂に入れなかった
 中島さんのために、
 せめて最後にこの子の背中を流そうと、
 お風呂に入れてあげました。


 ああ、この子ももういなくなるのか……。
 そう思うと、トメの目に涙が溢れました。

 しかし、涙を見せてしまうと、
 中島さんの決意を鈍らせてしまう。
 心を掻き乱してしまう。

 トメは涙を堪えるため、
 とっさに身をかがめました。


「小母さん、どうしたんですか?」

「いや、お腹が痛くなって……」

 そう誤魔化すと、
 中島さんは、

「それなら、
 僕たちを見送らなくていいですよ。
 小母さんは自分の養生を
 なさってください」

 明日飛び立つ自分の身よりも、
 とっさについたトメの嘘にまで
 優しい心をかけてくれる。
 そんな中島さんは翌朝、
 折れた右腕を自転車のチューブで
 操縦桿に括りつけ出撃していったのです。


 * * * * * * *

 特攻平和記念館などに飾られている
 10代後半から
 20代前半の彼らの顔写真を拝見すると、
 実に立派で、
 清々しく輝いた眼をしていらっしゃる。

 それはやはり、彼らの中にぶれない軸が
 一本通っていたからなのだと思います。


 トメは平和の語り部として語る時、
 いつもこう言っていました。


「私は多くの命を見送った。
 引き留めることも、
 慰めることもできなくて、
 ただただあの子らの
 魂の平安を願うことしかできなかった。
 だから、生きていってほしい。
 命が大切だ」


 されど、書き残した物の中には


「善きことのみを念ぜよ。
 必ず善きことくる。
 命よりも大切なものがある。
 それは徳を貫くこと」


 とも記されています。

 この言葉を見るにつけ、
 後の世の幸福を願って
 命を賭した隊員さんたちの姿が
 思い起こされてなりません。

 ※……この続きは、
『致知』10月号をご覧ください。

【月刊誌『致知』2013年10月号
「先人たちの努力の上に私たちの命はある。 それを忘れてはならない」
 鳥濱初代(富屋旅館三代目女将)】より

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★☆『致知』のご購読はこちらから☆★
⇒https://shop.chichi.co.jp/teikicart_index.command

★☆月刊誌『致知』とは?☆★
⇒http://www.chichi.co.jp/outline.html
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~王貞治氏の「致知と私」☆~
 35周年を記念して、
『致知』とゆかりの深い方々から
 メッセージをいただいておりますので、
 本欄でも紹介させていただきます。

 本日は、福岡ソフトバンクホークス
 取締役会長・王貞治氏から
 お寄せいただいたメッセージです。
……………………………………………

「人間とはかくあるべき」と
 説き諭してくれる

 王貞治(福岡ソフトバンクホークス取締役会長)

 私たちは時代の波によって、
 つい右に行ったり、
 左に行ったりと流されてしまいがちです。

 そうしたものに惑わされず、
「人間とはかくあるべきだ」ということを
 説き諭してくれるのが『致知』です。

 ぶれない基軸を持つということが 
 いかに大事であるか、
 私のような年代になると
 特に強くそう感じます。

 最近では若い人の間にも
『致知』が広まっていると聞きますが、
 大変素晴らしいことだと思います。

 今年、創刊35周年を迎えられましたが、
 これからは私も
『致知』に学ぶだけでなく、
 その学びのお裾分けを
 周りの方にしていきたいと考えています。

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「特攻の母・鳥濱トメが遺した言葉」 ………………………………………  大東亜戦争末期の昭和20年、 祖国を護るため、 知覧から飛び立っていった 若き特攻隊員たちに捧げ尽くしたのが “特攻の母”といわれた鳥濱トメさん。 『致知』10月号にて、 トメさんが後世の人間たちに 託した思いを歴史を知らない 多くの人々に伝えている 富屋旅館3代目女将・鳥濱初代さんに 語っていただきました。  皆様から多くの反響が寄せられており、 先日、お電話をいただいた方からも、「以前、富屋旅館に 泊まったことがありますが、 ハンカチが5枚くらい 必要なほど感動した」 と嬉しいお言葉をいただきました。  皆様にもぜひ誌面の記事を ご一読いただければと思います。 ………………………………………       鳥濱トメが富屋旅館を 開業したのは昭和27年。  戦後、特攻隊員のご遺族や 生き残られた方々が知覧を訪れた時、 泊まるところがないと困るだろうと、 隊員さんたちが 憩いの場としていた離れを買い取り、 旅館にしたのです。 「ここは、生きれども 生きられなかった人たちが 訪れていた場所。 何かを感じ、 自分が明日生きるという力に 変えてほしい」  トメはそう願い、旅館業の傍ら、 平和の語り部として、 この離れで隊員さんとの エピソードなどを語っていました。  ここではその一部を ご紹介したいと思います。  * * * * * * *  ……もう1人は、 19歳の中島豊蔵さん。  中島さんは右手を骨折していたため、 なかなか出撃の許可が下りませんでした。 しかし、いま行かなければ 日本は負けてしまう。 その並々ならぬ思いで司令部に掛け合い、 ついに許可が出たのです。  出撃前夜、トメは骨折で 長くお風呂に入れなかった 中島さんのために、 せめて最後にこの子の背中を流そうと、 お風呂に入れてあげました。  ああ、この子ももういなくなるのか……。 そう思うと、トメの目に涙が溢れました。  しかし、涙を見せてしまうと、 中島さんの決意を鈍らせてしまう。 心を掻き乱してしまう。  トメは涙を堪えるため、 とっさに身をかがめました。 「小母さん、どうしたんですか?」 「いや、お腹が痛くなって……」  そう誤魔化すと、 中島さんは、 「それなら、 僕たちを見送らなくていいですよ。 小母さんは自分の養生を なさってください」  明日飛び立つ自分の身よりも、 とっさについたトメの嘘にまで 優しい心をかけてくれる。 そんな中島さんは翌朝、 折れた右腕を自転車のチューブで 操縦桿に括りつけ出撃していったのです。  * * * * * * *  特攻平和記念館などに飾られている 10代後半から 20代前半の彼らの顔写真を拝見すると、 実に立派で、 清々しく輝いた眼をしていらっしゃる。  それはやはり、彼らの中にぶれない軸が 一本通っていたからなのだと思います。  トメは平和の語り部として語る時、 いつもこう言っていました。 「私は多くの命を見送った。 引き留めることも、 慰めることもできなくて、 ただただあの子らの 魂の平安を願うことしかできなかった。 だから、生きていってほしい。 命が大切だ」  されど、書き残した物の中には 「善きことのみを念ぜよ。 必ず善きことくる。 命よりも大切なものがある。 それは徳を貫くこと」  とも記されています。  この言葉を見るにつけ、 後の世の幸福を願って 命を賭した隊員さんたちの姿が 思い起こされてなりません。  ※……この続きは、『致知』10月号をご覧ください。 【月刊誌『致知』2013年10月号「先人たちの努力の上に私たちの命はある。 それを忘れてはならない」 鳥濱初代(富屋旅館三代目女将)】より -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ★☆『致知』のご購読はこちらから☆★ ⇒https://shop.chichi.co.jp/teikicart_index.command ★☆月刊誌『致知』とは?☆★ ⇒http://www.chichi.co.jp/outline.html -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ~王貞治氏の「致知と私」☆~ 35周年を記念して、『致知』とゆかりの深い方々から メッセージをいただいておりますので、 本欄でも紹介させていただきます。  本日は、福岡ソフトバンクホークス 取締役会長・王貞治氏から お寄せいただいたメッセージです。 …………………………………………… 「人間とはかくあるべき」と 説き諭してくれる  王貞治(福岡ソフトバンクホークス取締役会長)  私たちは時代の波によって、 つい右に行ったり、 左に行ったりと流されてしまいがちです。  そうしたものに惑わされず、「人間とはかくあるべきだ」ということを 説き諭してくれるのが『致知』です。  ぶれない基軸を持つということが  いかに大事であるか、 私のような年代になると 特に強くそう感じます。  最近では若い人の間にも『致知』が広まっていると聞きますが、 大変素晴らしいことだと思います。  今年、創刊35周年を迎えられましたが、 これからは私も『致知』に学ぶだけでなく、 その学びのお裾分けを 周りの方にしていきたいと考えています。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ★☆『致知』のご購読はこちらから☆★ ⇒https://shop.chichi.co.jp/teikicart_index.command ★☆月刊誌『致知』とは?☆★ ⇒ http://www.chichi.co.jp/outline.html -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-


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