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●土御門家(つちみかどけ)は日本の朝廷に仕えた公家である。

2012年04月26日 21時08分18秒 | 色んな情報
●土御門家(つちみかどけ)は日本の朝廷に仕えた公家である。
           2010年12月26日
土御門家(村上源氏)
土御門家
(村上源氏久我庶流)
 
本姓村上源氏久我庶流
家祖土御門定通
種別公家
出身地山城国
主な根拠地山城国
 
鎌倉時代初期に権勢を振るった村上源氏嫡流の内大臣源通親(土御門通親)の子孫。通親の四男内大臣・土御門定通が祖。定通の孫で太政大臣に昇った定実を始め、室町時代初期まで権大納言を輩出したが、室町時代中期に有通が早世し断絶した。
 
通親の長男通宗や六男通行も土御門を号し、特に通宗は死後後嵯峨天皇の外祖父として左大臣を贈られたが、いずれも鎌倉時代に断絶した。
 
 
 
土御門家(安倍氏)
土御門家
(安倍氏嫡流)
 

本姓安倍氏嫡流
家祖安倍有宣
種別公家(半家)
華族(子爵)
出身地山城国
主な根拠地山城国
東京都
支流、分家倉橋家(半家)
 
室町時代の陰陽師安倍有世(晴明の14代目の子孫)の末裔。安倍氏の長者を代々勤めた。安倍氏は晴明以後も朝廷に代々公家として仕えていたが、室町時代に他の公家同様本姓ではなく家名を称するようになった。一般的には有世をもって土御門家の初代とするが、実際には室町時代中期以後の南北朝時代の当主安倍有宣から土御門の家名を名乗ったといわれている。
 
応仁の乱を避けて、数代にわたり若狭国南部(現在の福井県大飯郡おおい町)に移住していた。当時の若狭は、東軍の副将をつとめた強大な守護大名武田氏の守護国であり庇護に与かるため、都の公卿たちが多数下向し繁栄していた。江戸時代初期に家康の命令で完全に京都に戻り、征夷大将軍宣下の儀式時には祈祷を行った。江戸時代は御所周辺の公家町ではなく、梅小路に研究所も兼ねた大規模な邸宅を構えた。家格は半家(詳細は祖先にあたる阿倍氏の項目で解説する)。
 
 
 
土御門家(藤原北家)[編集]
土御門家
(藤原北家日野流)
 
本姓藤原北家日野流庶流柳原庶流
家祖土御門保光
種別公家
出身地山城国
主な根拠地山城国
 
南北朝時代の柳原資明(柳原家の祖)の子である保光を祖とする公家。保光と息子資家は権大納言に昇った。
 
だが、嘉吉元年(1441年)7月資家の子である頭弁長淳が出家して唐橋在豊の子を猶子に迎えて家督を譲ろうとしたところ、宗家の日野家をはじめとする一門の諸家が菅原氏系の唐橋家からの猶子に反対したのをきっかけに朝廷の議論は紛糾して室町幕府もこれに介入し、最終的には後花園天皇の勅裁によって6ヶ所の所領全てを没収され、1ヶ所は唐橋在豊の子に与えられ、残り5ヶ所は中御門家・四辻家(ただし、洞院家と所領交換される)などに5分割に処せられて断絶させられた
 
 
 
土御門家(安倍氏嫡流)陰陽師安倍有世(晴明の14代目の子孫)の末裔。
 
陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)とは、古代日本の律令制下に於いて中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行の思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを行う方技(技官)として配置され、後には本来の律令規定を超えて占術・呪術・祭祀をつかさどるようになった職掌のことをいう。中世以降は、主に各地において民間で個人的に占術・呪術・祭祀を行う非官人の者を指すようになり、現代においては民間で私的祈祷や占術を行う神職の一種として定義付けられている。連声化せずに「おんようじ」と発音されることもある。声聞師ともいわれた。
 
 
安倍晴明はモットも有名な陰陽師である。
陰陽寮言う役所があるここに詰めていた。
主に占術が仕事で祈祷などもしていた。
 
当時は夜になると真の暗闇と言っては鼻摘まれても判らない。
目の前に居ても判らないほど暗かった。
ダカラ夜が怖くて夜半に色んな策略をしたり呪いに掛けたりしていたようだ。
陰陽道や密教などがくっつき後に修験道になったようだ。
修験者で有名なのが役(えん)の行者で
密教で有名なのが空海(弘法大師)である。
この三人は伝説として死者を蘇らせて使役(しえき)として使っていた。
 
陰陽道は紙型 もしくは人型と言って人の形に切ったモノをヤハリ使役として使ったという。
この辺りの事は神がかり的でにわかに信じがたい。
怪しいけれどもそれだけ光のない世界を昔麻痺とは怖がった。
今でも暗い中で白いモノがぼんやり見えてそれが動けば時には怖い。
それを利用していた節もある。
コウ言うモノの先に現代が繋がっている。
晴明の末裔が福井にいると言われている。
晴明神社は日本全国至る所にあるね。
神社と言っても色んな種類のモノが有り7万とも十五万とも言われて居る。
完全には分離せずに何らかの繋がりはあるようだ。
天皇家とも密接な繋がりがある。
昔は国体として色んな事で使われていた。
 
相撲などは奉納相撲などと言い必ず神社にある相撲場で行われて祭りなどの催し物になって居た。
 
色んなモノが縦糸と横糸で紡ぎ合わされてこの日本の歴史は怪しい部分も含めて作られてきた。
便宜上 定説を定めて置かないと混乱が生じるので決めているだけのモノも多いようだ。
 
こんなの紐解いていく面白いけれど完全に分類して定型立てはし難い。
社殿が無い神社も存在しているから。
系統はいくつかはあるようだ。
日本にする人ならばオギャーと生まれてどれかの神社には関わっている。
全くかけ離れた山の上のモノでも。
私も専門家では無いので間違って要る事も書いて居ると思う。
日本とは不思議なモノだ。
ダカラ楽しいのでは無いかな。
 
名田庄の土御門家遺跡(福井県おおい町名田庄)
http://bit.ly/KdyvaU
安倍晴明を祀る土御門家邸跡にある神社(稲住神社)
http://bit.ly/IdNtmG
土御門(安倍)家
http://bit.ly/JseQVL
土御門家
http://bit.ly/JczTd4


コメント
 
退会したユーザー 2010年12月26日
あれから お調べになったの?
それとも ご存じだったの?
ちなみに 安陪文殊院の執事長様に
晴明様の分骨を納めた墓に行ってほしいと言われ
行ってみたら 魔界の入り口になっていたので、、、
相棒に祓ってもらいました。
 
 
1000年以上前の魂も 存在するということです。
 
 
nelcco 2010年12月26日
うちの先祖は陰陽寮のうち天文博士(天を観測して暦を作成する)の家柄だったそうです。実はプログラマーになったのは天体計算をするのが夢でしたので、このことを後から知ってかなり驚きました。
 
風水と陰陽道は原理が一緒なんですが、最近、信頼できる霊視者に生まれてはじめて前世をみてもらったら「いつも家にばかり籠もって風水の研究をする人だった」とのこと。これを聞いて、さらに驚きました。
 
ぼくは陰陽道や風水に詳しいのですが、専門は、西洋の神秘学です。でも世界中の神秘的伝統をずっと研究していると東も西も理論がおなじであることに気づきます。
 
数万年の歴史的経緯から大別すると世界の神秘的伝統は二つに分かれ、前者のように世界を魔術的に解釈して技術に応用する流れがある一方で、もう少し古い伝統(三万年ほど前)としてロシアや東アジアに顕著な単純で素朴なシャーマニズムの流れがあります。日本は紀元前後の大規模な混血からこの二つが固く結びつくことになった稀有な土地で、ぼくはこのことに未来を感じます。
 
が、更に言うと「日本に未来を感じる」と言っても日本に固有の文化が直接的にそうであるとはぼく自身は考えていません。このことは長く研究して来ました、どうやら日本という民族性は進化の段階としては老齢期に当たり、自分たちの古い伝統を託す先の若い世代として、ロシアや東ヨーロッパの人たちとカルマ的な関連があるようです。つまり衰えゆく民族の使命として、といっても残り数千年はあるのですが、若い民族に自分の経験を伝えることが必要なようです。こうすることで(アステカやケルト民族がそうであったように)自分たちのエッセンスが次世代に引き継がれるのだと思います。
 
これは、ここ十数年の世界情勢でロシアはいつも他の国家から孤立してきた事実と無関係ではないように思います。とくにロシアが西側ではアフガニスタンやトルコまたは東側で中国や朝鮮とどのような関係を築くかが、日本にとっては重要な関心事であるように思います。

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