とりあえず死ぬまでは生きてみる。

忌野清志郎が「幸せになりたいけどがんばりたくなぁ~い」と唄っているのを聴いて妙に共感した、猫と朝寝が大好きな人の日記。

弛緩した昼下がりに

2007-05-04 12:50:47 | ねこの日常
 なんかこの1週間ほど、少しのことで半ギレしたり、会話が円滑にできない気配があったりと、だいぶ疲れがたまっているなあというのを自覚している。やれやれ。

 4月は毎日会社に行って所定の業務(といっても研修だけれど)をこなすことだけで精一杯で、昔を振り返ったりなんてことはできなかった。でも、連休で実家に帰ったりすると、一体何をしようか見当がつかないといった状態になって、結局自分の来歴を辿る旅路(?)に出ることになる。

 人生を道にたとえるというのはベタで月並みだなあと思いつつ、ベタで月並みな発想しかできない自分は、今まで生きてきた年月を道にたとえてみる。

 他人と比べて、結構平坦な道だったような気がする。幸い、親がアル中とか兄弟がグレた(死語?)とかいった事情もなく、また大学院まで進学させてもらえた。そこらへん、本当に幸運だったとしかいいようがない。

 ずっと、日陰の道を歩いてきた気がする。良い意味でも悪い意味でも。強烈な陽射しにさらされることのない、気楽な道だったともいえる。でも、太陽がイメージさせるような快活で明朗な人格とも、自分は無縁だった。

 そして、道の周囲には見渡す限り誰の姿もない。





 弛緩した昼下がりに思うこと。

 4月には、研修期間とはいえ、嫌なことが山ほどあった。でも不思議なことに、その量に応じたストレスは感じていないような感じがする。社会人になるにあたっていろいろなものを諦めたからだろうか。それとも単に鈍感になっただけなんだろうか。

 もう1つ理由となりそうなのは、ある種の覚悟ができているということ。どうしても会社が合わなければ、そのときは辞めよう、という開き直った態度。私が若干ひねくれた人間だからなのかどうかはわからないけれど、逃げ道が目の前にあるともうちょっと頑張ってみるか、という気になったりする。そのおかげで、半径1メートルにえげつない人間がいても(あくまでも仮定の話)そこそこ耐えていられる。