とりあえず死ぬまでは生きてみる。

忌野清志郎が「幸せになりたいけどがんばりたくなぁ~い」と唄っているのを聴いて妙に共感した、猫と朝寝が大好きな人の日記。

ねこの群像4

2005-03-21 02:16:47 | ねこの群像
 家猫のチャオズさん。子猫の時に捨てられていたのを知り合いの人が拾って飼っているとのこと。この写真は半年以上前のもので、拾われて間もない頃。今は成長しているみたい。

 安易な考えで動物を飼い始めて、子供を産んだら捨ててしまうなんてことはやめてもらいたいものです。当たり前のことですが。首輪は飼主と動物のエンゲージリング、といったりしますけど、やはりそれくらいの覚悟は必要でしょう。

 うーちゃんやそのお母さんとの付き合いについてもいろいろ考えたりします。どこまで面倒を見切れるか、ずっと野良育ちなのに飼われるのが居心地いいだろうか、とか。今は、地域に居場所が無くなったらうちにおいで、という気持ちでいます。

生きて…ではなく

2005-03-16 01:51:01 | ねこの日常
 gooブログの「新着記事」のところを自分が投稿した後に見てみたら、このブログの表題が「とりあえず死ぬまでは生きて…」となっていました。なんか、あれ、あのー、大平光代さんの「だからあなたも生き抜いて」(微妙に違っていたら失礼)みたいな本があったと思うんですけど、それみたい。少々熱血調な表題。そういう感じの内容を期待して読んでみる人がいたら拍子抜けされるような気がしなくもない。「生きて…」と呼びかけているのかと思ったら「生きてみる」と1人で何か言っていて、しかもどちらかというと脱力系な内容で・・・。期待を裏切っていたらすみません。

 閑話休題。学部の頃のゼミで、あるとき先生が20分くらい遅れてきて、「いやあ仕方なかったんです」と言っていたのを思い出してちょっと笑いました。まあいつも10~15分遅れてくる先生でしたが。ほんとにやむを得ない事情があったのかは定かではありませんが、そういう言い訳が許される大学という世界はほのぼのしていていいなあとしみじみ思います。

 最近春休みということでずっと家に引きこもって勉強をしていたのですが、今日は久々に友達と夕飯を食べに行きました。基本的にヒッキーは不健康ですが、今年はインフルエンザの流行が長期化しているのみならず、花粉の飛散量がはんぱじゃないくらい多いらしく、今まで花粉症になってなくても今春花粉症になる人が多いと言われてます。そんな中、インフルエンザウイルスや花粉にさらされる度合いが低いというのはヒッキーの数少ないメリットかもしれない。

宅間守、という人生

2005-03-15 03:00:47 | ねこの主張
 大地震やら大津波やら堤帝国やらホリエモンやらで、宅間守という人のことを忘れかけていました。

 自ら死刑を望んで、死刑を宣告され、ひたすら刑の早期執行を求め、異例の早さで絞首台に上った彼。

 社会が悪い、という言い方に対してはいろいろ批判があるところです。確かに現実に涙を流した被害者からしてみれば、犯罪を社会という曖昧模糊としたものの原因にしてしまう態度は許せないというのはもっともなことだと思います。

 ただ、その犯罪者は極刑に処されることによって責任をとるべきだ、ということを前提とした上で、社会というものに何かしらの原因を求めていく姿勢は大事だと思っています。

 例えば、過労がちなトラック運転手が事故を起こしてしまったとします。死、あるいは傷害という損害が生じた以上、誰かがその損害を負担しなければなりません。(ここでは便宜的に金銭的なものに限ることにして書くことにします)仮に誰も損害賠償をしないとしたら、被害者が損害を負担していることになりますが、それではだめです。運転手あるいはその所属する会社が損害賠償をすることになり、その場合損害を負担しているのは運転手あるいは会社(実際支払うのは保険会社かもしれませんが)です。まあ、当然の結論です。

 ここで、誰が責任をとるか(誰が損害を負担するか)ということと誰(何)が悪いのかということとはとりあえず分けて考えないといけないと思っています。両者が重なる部分はもちろんあるでしょうけど。

 上の例でいえば、運転手にも「悪」な部分はあるかもしれませんが、運転手以外にも「業界の過当競争」のような、運転手や会社にとってどうにもならないものも確かに存在するわけです。応報としての刑のみならず、「悪」を1人で背負うことになるのはちょっと重過ぎかもしれない。

 大阪西成のあいりん地区には、日々の食事に事欠く日雇いの人が沢山います。そこにいる多くの人は別に怠けていたからそうなったわけでもなく、普通に頑張ってきたけど、「どういうわけか」そうなった。真っ直ぐ走ってきたつもりが、強い横風にさらされて、いつのまにか違う方向に来てしまった、みたいな。人生なんて紙一重、というところがあるんじゃないでしょうか。

 宅間守という人の場合、刑としては、自分の行為の応報として死刑以外ありえなかったと思います。では彼を「悪」と断ずることができるか、については私はよくわかりません。ただ、ほんの小さな不運の積み重ねとか、「どうにもならないこと」もあったのだろうなあと、そういう犯罪者のバックグラウンドに思いを巡らすことも結構大切だと思うこのごろです。

ねこの群像3

2005-03-14 01:31:22 | ねこの群像
 母校(学部)のねこさん。氏名不詳。昨年秋に他の用事のついでに行ってみた時に撮った写真。こっちがねこさんの近くに座ると、足元まで寄ってきてすりすり。のんびりまったりと暮らしている(ように見える)。私もそこにいた頃は将来のことなんかあんまり考えてなくて、なぜかわからないけど、自分がその先ずーっとそこの大学にいるような気分で毎日をのんびりまったりと過ごしていました。結局4年で追い出されましたが。ふー。

 とりあえず元気でいてくれてうれしかった。自転車には気をつけてねー。

モネ「日傘の女」

2005-03-13 03:36:47 | ねこの美術館
 印象派を代表する画家のひとりとされるモネの絵。この絵を描く十年前に同じような構図で描いたものがあるんですが、その時のモデルは奥さん。その奥さんは前作を描いて数年後に亡くなってしまいました。この絵を描く時にも亡き奥さんを思い出していたのでしょうか。奥さんが亡くなった時にはその死顔を描いていたりします。

 そういった背景も興味深いんですけど、モネの事情を何も知らずにこれを観た時の感動は忘れられません。少し前キリコの「通りの神秘と憂愁」を紹介しましたが、そっちが心の内面にうごめくものをうまーく可視化しているのに対して、こっちはひたすら美しさを追及してるという感じ。もうほんと、美しいの一言。光の動きと風の動きという2つの直線が交わる一瞬を何のブレもなく切り取っている。

 目の前にある美しいものを形に残すという点ではやっぱ写真に勝るものはないんじゃないか、と思ったりもしました。でもこの絵を観て、必ずしもそうではないということに気がつきました。

ねこの群像2

2005-03-12 00:44:35 | ねこの群像
 長い付き合いになる友人宅のねこ・華さん。ふくよかな御婦人です。携帯のフラッシュが光ってしまいました。ごめんなさい・・・。一見しただけで家ねことわかる、おっとりとした顔つきです。

キリコ「通りの神秘と憂愁」

2005-03-11 03:14:22 | ねこの美術館
 形容しがたい不安感、を感じます。以前、キリコの画集を観てみましたが、別にくら~い感じの絵を描く人ではなくて、その流れからすればこの絵を「不安」、「恐怖」といった言葉で解釈するのは適当ではないのかもしれません。でも、私にとってこの絵が初めて観た時からずっと気になる存在だったのは、幼い頃に見た夢の影響かなと思っています。幼い頃、風邪をひいて高熱にうなされていた時、とてもこわい夢を見ました。どんな夢だったかというと・・・

 「不安感」や「恐怖感」を映像化したような、といえばいいんでしょうか。ストーリーなんてものはなく(今でも私の夢にはストーリーらしきものなんてないですが)、大きな黒い鉄の塊のようなものとか、腸の中のような赤い洞窟が出てきました。「鉄の塊」の夢は、緑色(草?)の小さな星みたいな場所に赤い屋根の小さな家が立っていて、自分の視点はその近くにある、というものでした。それでもって暗い空に広がる鉄の塊みたいなのに囲まれてるわけです。別に凶暴な怪獣が出てくるわけでもなく、「それ」自体は何もこわくないはずのものなのに、ただひたすらこわくてたまらないわけです。おそらくその不安感や恐怖感は単に熱のせいなのでしょうけど、何か創作活動をしようと思ったら、そういった理性で覆い隠された自分の内面というものに敏感になっていなければならないんだろうなあと思います。

 私がこの絵を観た時の既視感というのは、その鉄の塊の夢からきたようです。別に何かの惨劇を描いているわけでもないのに、光と影の過剰とも思えるようなコントラストや、本当ならもう少し人がいるはずなのに、そこには女の子1人と謎の影が1つ、というただならぬ雰囲気が鉄の塊の夢と似ていなくもない。

 この絵はキリコの代表作とされているんですが、私以外の人も私と似たような感覚でこの絵に惹きつけられたんでしょうか。

ねこの群像1

2005-03-10 19:10:19 | ねこの群像
 実家に来る野良猫うーちゃんのご尊顔。なかなか精悍な顔つき。でも甘えん坊(2歳くらいなのによく母猫と一緒に行動したりしている)。勝手口のところでにゃーにゃー鳴いて食事を要求します。

堤氏がボコボコに叩かれている件

2005-03-10 02:23:20 | ねこの主張
 死人に鞭を打つなよ、とちょっと思う。

 彼って、まあ叩けばいろいろと埃が出る身なのかもしれないけど、今のところ明らかになってる悪事といえば、西武鉄道株の名義偽装くらいのものです。名義偽装くらい、と言いましたが、確かにこれは(資本主義経済を前提とすれば)経済社会の根幹にかかわる重要なことです。株式会社がいい加減な情報公開しかしていなければ、投資家は投資をためらい、結果として会社は資金調達ができず事業を行うことが困難になるからです。

 そうはいっても。

 ゴシップとして「帝国の崩壊」というのが面白いから週刊誌が大げさに書き立てるのは少しはわかるとしても、財界人とか経済紙のコラムニストが嬉々として堤氏をけなしてるのはどうかな。そういうことをしている人達と、バブル期は日本的経営の素晴らしさを喧伝し、バブル崩壊後は一転日本的経営の後進性を指摘してきたような類の人達とは結構重なるのかな、と思う。