とりあえず死ぬまでは生きてみる。

忌野清志郎が「幸せになりたいけどがんばりたくなぁ~い」と唄っているのを聴いて妙に共感した、猫と朝寝が大好きな人の日記。

NEWS23「愛国心」特集

2005-10-28 00:15:06 | ねこの主張
 最近NEWS23で「愛国心」特集を何日か続けてやっていて、そのうち2回ほど見てみました。

 思ったことを、あれこれと。

 右傾化と愛国心というものが同一のようなものとして放映されていたけれど、右傾化という場合の「右」というのが相当幅の広い概念だということからすると、両者は決して同一とはいえないと思います。例えば、「右」とされる人の中には、(1)中国や韓国が嫌いな嫌中・嫌韓層、(2)日本の軍事力を増強することを主張する層、(3)特に信条もなく、営利目的で右翼やってる層、(4)自由主義経済(新自由主義)礼賛な層、(5)自由主義経済(新自由主義)、とりわけその旗手たるアメリカが嫌いな層・・・などがいます。これらは部分的に重なり合ったりします(4と5は重なり合いませんが)。私などは(5)ですが、特集でとりあげられていたのは(1)とか(2)のあたりでしょうか。

 ところで、(5)は社会民主主義とも共通したりするので、実際には私は「左」的要素も有していたりするのですが。とにかく、右、左という分け方はわかりやすいようで結構あいまいというか、混乱を招く言い方だったりするわけです。もう少し具体的に、問題となるテーマごとに、ハト派vsタカ派(軍事面)、進歩主義vs保守主義(歴史観)、社会民主主義vs自由主義(経済体制)、親中・親韓vs親米(外交)・・・といった分類をすべきかなと思います。

 私は数年前まで(1)の要素を少し持ってたもんですから、特集で紹介されていたおっさんや兄さん等の感じていることも、多少はわかるんですけども、何ていうか、日本人が大陸の人と仲悪くなっても、日本人自体は大してメリットないのでは、と思うわけです。それどころか、東アジアの国々が仲良くなっては都合悪いと思っている国があったとしたら、日本の嫌中・嫌韓の潮流を見て、その国はほくそえんでいるのだろうな、とか。昔から「分割統治」という考え方があって、例えば植民地を持っている国は植民地内が団結しないように、植民地内に紛争の種をまいたりしていたものです。

死が喜劇になるケース

2005-10-11 01:13:28 | ねこの日常
 今年の夏に筒井康隆の短編集を読んだところ、こんな作品があった。

 要約すると、次のような感じになる。


   あるとき、地球がぺちゃっと音をたてて潰れた。
   月や太陽もぺちゃっと音をたてて潰れた。
   どの星も一団となって落下していたのだ。


 もともと1ページにも満たないような、極端に短い作品なので、要約するといってもたいして要約になっていないのだけれども。

 地球がぺちゃっと(作品の中で使われていた擬音語が「ぺちゃ」だったかそれ以外のものだったかはよく覚えていない)潰れるとなると、その瞬間に、60億以上の人間が一瞬にして死ぬことになる。人間以外の動物も入れると、何兆、何京、という数の命が一瞬にして消えることになる。

 しかしまあ、それだけの数の命が消えるにしては、悲劇的な要素を感じることができない。まあSFなんだし、現実に起こったらなんてことを想像する類の話じゃないのだけれども、いくら扇情的に悲劇っぽく描こうとしても、うまくいかないような気がする。むしろ、喜劇ですらある。

 原則として死は悲劇なのだけれども、一定の場合に、例外的にそれは喜劇になるということなのではないか。なお、死の評価としては「悲劇」と「喜劇」の2種類しかありえないものとする。

 例外的な場合に該当するための要件は次のようなものであると考える。

 ①肉体的・精神的な苦しみが共に存在しないこと
 ②意識しうる限りの他者も皆平等に死ぬこと

 まず①について。痛いのは悲劇である。そして、自分の死を前もって察知するというような状況もまた悲劇である(だから死刑は最も過酷な刑罰なのである)。

 次に②について。自分だけ死んで他のむかつく奴が死なないのは悲劇である。もっとも、いるかいないかわからない地球外の生物は、生きながらえてもらっても何とも思わない。

 そんなこんなで、①かつ②を満たす場合には、死は喜劇となるのではないか、とか思った。

爪に穴

2005-10-09 22:38:39 | ねこころころ
 3連休ということで実家に帰っているのですが、野良猫のうーちゃん氏を右手で揉みまわしていたら、噛まれたのか爪で刺されたのかわからないけれど、右手薬指の爪をぐさっとやられてしまいました。

 他の野良猫の生態はよくわからんのですが、この猫は、懐くようになってからは目の前で仰向けになってごろごろし、手で身体をもみくちゃにしてやろうとすると前足でこっちの手をつかんで口へ持っていき、指、手の甲、手首あたりを噛むのですよ。

 いつもは緩くつかんだり噛んだりしてじゃれあう範囲にあるのですけども、今日の氏はそこらへんの手加減がなく・・・。

 「猫ひっかき病」という病気も少し心配だったり、爪に傷がついていると何か気になって仕方がないなあ、とか思ったりしているところです。

厭離穢土欣求浄土

2005-10-06 11:52:03 | ねこの日常
 最近更新をしておらず、老衰で死んだかと思われているかもしれませんが、案外普通に生きております。

 画面左側の自己紹介の欄に「授業期間中は殺人的な忙しさ」などと書いてあるのですが、これは今年の前期までの話で、今はそうでなかったりもします。まあこんな時間に更新しているくらいですから。勿論、やるべき勉強は山ほどあるので、忙しさの種類が変わったという感じです。

 だいぶ前から、現役若手弁護士のサイトとか、某県の若手弁護士の掲示板とかを定期的に見て、若手弁護士の仕事に対する率直な感想とはどんなもんだろうか、ということを知ろうとしているんですけれども、どうもこれは試験に対するモチベーションの高揚という観点からは逆効果のようで、愚痴と悲鳴の連続の声を聞くと、やはり心のどこかで、こんな苦労をするために勉強するのもなあ、という気が起こってしまいます。

 ちなみに、「愚痴と悲鳴」の大半は、「忙しくて死にそう」、「依頼者がしょうもない奴で困る」という2種類に分類されます。まあ後者は弁護士という仕事柄仕方ないことかもしれません。ネット上の弁護士の声や、実際に法律事務所でしばらく勉強させてもらった時の状況を総合すると、強欲者だから争いになり、強欲者だから両者引かず紛争が泥沼化して弁護士のところへ事件を持ってくる、というケースが結構あるようです。

 それにしても、忙しさからくる疲労が原因で死んだら、老衰で死ぬという本望を達することができません。

 私としては、以上のような現実を現実と受け止めた上で、メリットとデメリットをはっきり整理し、それでも目指すんだという気持ちになるのが最善だとは思うのですが。

 現実をしっかり把握すればするほどモチベーションが下がるというのは難儀なもんです。

 まあ、人生そのものが難儀なものですけども。