とりあえず死ぬまでは生きてみる。

忌野清志郎が「幸せになりたいけどがんばりたくなぁ~い」と唄っているのを聴いて妙に共感した、猫と朝寝が大好きな人の日記。

チューリップ「青春の影」

2005-06-27 22:55:13 | ねこの歌
 最近、こんな曲を聴いたりしている。

 結婚式とか、プロポーズの日に歌ったりしたらかっこいいんだろうな、とか思った。



  君の心へ続く 長い一本道は
  いつも僕を勇気づけた
  とてもとてもけわしく 細い道だったけど
  今君を迎えにゆこう
  自分の大きな夢を追うことが
  今までの僕の仕事だったけど
  君を幸せにする それこそが
  これからの僕の生きるしるし



 「自分の意志で生きる」という類の言葉を聞くにつけ、そこでいう「自分」というものが、どうしてもちっぽけで、脆弱で、儚いものにしか思えない。きっと私は、誰かのために生きてみることによって、ささやかながら、自分の存在を感じられるのだろう。



  君の家へ続くあの道を
  今足もとにたしかめて
  今日からは君はただの女
  今日から僕はただの男


 MIDIのあるページ→http://www.biwa.ne.jp/~hat-hino/midsesyn.htm

コンマ数秒の、後出しジャンケン

2005-06-25 12:35:54 | ねこの日常
 典型的な、現代日本の若年層が教育→就職へと至るプロセスは、小学校、中学校、高校ときて、その後浪人をはさまず大学学部4年、そこを卒業して就職、というふうなものだと思う。もちろん、大学進学率が5割程度であることとか、大学を卒業しても定職に就かない人が増えていることだとか、法学部の留年率(1学年全体に占める5年目以降に突入する人の割合)が余裕で5割をこえているという、あほみたいな大学がある(今もそうなのかはわからないけれど、少なくとも、私の1こ上の学年まではそうだった)こと等を考えると、上記ルートをたどる人というのは、最大勢力ではあってもマジョリティーではないということになるけれど、一応それを基準としてみる。

 私の場合、そのルートに2年付け加わった形。2年あれば、将来のこととかいろいろ考えて、やっぱりこっちの道にしよう、とか熟慮できそうな気もする。

 でも、それができない。ロースクールなんかは、大学院でありつつも将来的に特定の職種に就く目的に特化しているから、その点でやや特殊性があるものの、一般的な大学院であっても、2年間で進路変更しようとかいうことは簡単にはできなさそうに思える。まあ、大学院自体「専門性」を身に付けるためのところなのだから、当然といえば当然。

 この2年間というのを、単なるモラトリアムとして過ごせればとても気ままで有難いのだが、これまでの1年3ヶ月はずっと2006年5月の試験だけを見て過ごしてきたし、これから残りの時間もおそらくそうなるんだろうと思う。

 そう考えると、この2年というのは、後出しジャンケンに似ている。でも、1秒や2秒も遅れて出せるわけじゃなく、ほんのコンマ数秒。場合によっては、他人の手をすべて把握できるけれども、自分の出す手を変えるまでの時間はない。出す手は既に決まっている。

チャーハンと青椒肉絲と

2005-06-25 00:29:15 | ねこの日常
 久々に、某中華料理チェーンへ行き、チャーハンと青椒肉絲(チンジャオロースー・牛肉とピーマンの細切り炒め)をテイクアウトして食べた。なんかよくわからないけど、無性にうまい。

 うまい、うますぎる。

 最近は食事とか寝る前のココアくらいが一日の唯一の楽しみになっている。前にも少し書いたような気がするけれど。食事にとてつもなく幸福を見出せるのは幸せであることに間違いないのだけれど、傍から見たらやや貧相な生き方なのかもしれない。

 とにもかくにも、幸せな夕食でありました。

 早めに家に帰ったにもかかわらず、満腹感に浸った後は勉強がちっともできず先が思いやられる。

ジェンダーフリーの語り方

2005-06-19 14:19:26 | ねこの主張
 ジェンダーフリーという思想が、一時期ほどではないものの、今も根強く主張されています。

 ここで、ジェンダーとは社会の中で形成される性差のことで、身体的な性差とは区別されます。一言で言えば、男は男らしく、女は女らしく、といった意識のことで、ジェンダーフリーというのはこういった意識をなくしていこうという考え方です。

 以前少しだけ書いたことがありましたが、私自身はこういった考え方を全否定する気はありません。ジェンダーフリーの主張をするのは大抵女性なわけですが、女性による主張であっても、男性についても「男として~しなければならない」といった負担を無くそう、という内容の主張である限り、単なる女性のエゴではないからです。

 しかし、ジェンダーフリーの主張を聞くにつけ思うのは、何か大切な議論を忘れてはいないかということです。それは、大袈裟な言い方をすれば人間観に関わるものなのですが。

 つまり、人間は強い存在なのか、弱い存在なのか、ということです。

 人間は、理性を備え合理的判断が可能な自立した存在、他の動物とは明確に区別された生物だという立場を前提とすれば、「男らしさ」や「女らしさ」などといった非合理的な社会的制約はただの足かせだ、という考え方の方向に行きやすくなります。逆に、人間はそれほど理性的ではない、情に支配されるところが大きく、他の動物と同一平面上にある生物だという立場を前提とすれば、人間は優秀ではないのだから、伝統とか宗教とか、そういった枠で自らを制約して、つつましく生きていくのがよいのだ、という考え方の方向に行きやすくなります。

 こういった「理」と「情」の対立というのは、大昔からイデオロギー対立の底流をなしてきたのだと思いますし、各時代によって一方が優勢になり他方が劣勢になりというのを交代しながら繰り返してきたものであって、今更議論の俎上にあげたところで大して実益はないとも考えられます。

 そうはいっても、議論の前提として、少しは言及してもらいたいものだ、と思うわけです。「何が良いか」、「何をすべきか」、「人間はどうあるべきか」といった価値の問題を考える際には、本来的に「迷い」がつきまとうはずなのです。今言ったような議論の前提をすっ飛ばしたまま、ジェンダーフリーは良いのだ、当然そういう方向に進むべきなんだ、などという話をされると、そこには普通あるはずの「迷い」が存在しない分、薄っぺらで説得力のない議論になりかねません。

 先ほど挙げた人間の捉え方についてですが、実際の社会を見てみれば、理性だけで生きる人、情性だけで生きる人なんてのはいないわけで、両者の中間(これは無限の幅があると思いますが)で生きているわけです。そういったことからすると、先ほどのように二項対立的なものの考え方はフィクションの域を出ないというふうにも考えられます。

 しかし、自分とは違う考え方をする人がいる、という事実を踏まえた上で相手に自分の立場をわかってもらおうという場合には、根本的な前提に遡って議論をすることが必要なのではないか、と思うのです。

 ジェンダーフリーを喧伝する人たちは理知的で、合理性を良しとする価値観を持っている人が多いようですが、他人が皆そういう価値観を共有しているわけではないことを見落としている、あるいは知っていても軽視しているように見えます。皆が皆そういう考え方でいたら、とうに性的役割分業意識なんか消えてなくなっているでしょうに。

酒やらまたたびやら氷やら

2005-06-18 18:25:11 | ねこの日常
 昨日の夜は、久しぶりに飲みすぎてしまいました。大学(学部)に入って間もない頃にあった合宿で結構沢山飲めてしまったばっかりに、いつまでたっても「自分は結構飲めるんだ」という観念から逃れられず、飲み会ともなると毎回飲みすぎてしまうという、ちっとも成長のない人間をしております。

 結局飲み会の後しっかり電車に乗って何度も乗換えをし、実家に帰れたところからすると、まだそれなりに強いのだろうとは思うのですが、20歳を過ぎてからというもの肝臓が弱くなったように感じています。

 野良のうーちゃんと久々にご対面したところ、向こうは数週間でしっかり私を忘れているようで、ハーッと威嚇してくる始末。仕方ないので乾燥またたびをやって泥酔させてやりました。

 それにしても最近暑くて暑くて。猫にも私にもつらい季節がやってきます。

 今日、うーちゃんに氷をやってみたら見向きもされませんでした。氷を舐められるようになれば夏も多少は過ごしやすくなると思うのですが。

あるあるネタ

2005-06-16 00:54:46 | ねこの毛繕い
 レギュラーのあるある探検隊ネタで、こんなのがありました。





 いくで西川君
 頼むで松本君

 すべてを忘れる為に寝る

 ハイ!ハイ!ハイハイハイ!
 あるある探検隊!
 あるある探検隊!







 あるあるです・・・。

企業にもお昼寝タイムを

2005-06-09 00:55:12 | ねこの日常
 今日は授業が1限だけだった上、昨日まで心身を酷使していたため、さっさと自分の部屋に帰って寝た。学部の頃は毎日がこんな感じだったのでなんとも感じなかったけれど、今は横になって昼寝できる時間があるということだけで幸せいっぱい。

 3時間ほどぐっすり眠ったら、なんか元気になってしまって、再び学校に行ってしまった。一応用事があったからやむを得ず行ったわけだけれど、昼寝で心身ともに余裕ができたからというところが大きかったりする。お昼寝タイムがなければいらいらがつのって用事をすっぽかしていたような気がする。

 その用事もさっさと済ませると、近隣の政令指定都市にまで行ってしまった。自分でも驚くほどの心身の回復ぶり。

 睡眠は大事です。

 企業でも昼休みを長くして、仮眠室も設けたりして昼寝できる時間を作れば、能率あがるんじゃないかと思う。まあ労基法とのからみとか、簡単にはいかないのかな。そこらへんもうちょっと勉強しないといけません>自分。

猫の森には帰れない

2005-06-03 00:43:48 | ねこの日常
 不可逆的、というとやや大袈裟な感じだけれど、人生巻き戻しできないんだな、ということを、ふと感じたりする。

 高校1年の終わり頃、文系か理系かを決める期限が迫っていた。数学とか化学が苦手だったから、文系にした。小さい頃から、ものづくりが大好きだった自分がいたことを意識しつつも、ある晩、家の玄関のすぐ外で、ふと、文系にしようと思った。不思議と、その瞬間のことをよく覚えている。

 別に、後悔というものはないのだけど。

 別に、その頃に戻ってもう1つの道に進んだ方がよかったとも思わないのだけど。

 むしろ、時間を戻せるなら大学1年の頃に戻ってもう一度超文系的なまったりとした4年間を送りたいと思うのだけど。

 ロースクールに入ってから、昔を懐かしむ時間が増えたような気がする。その気になったら、思い出に浸るだけで1日過ごせそう。やや現実逃避気味の趣があるけれど・・・。まあ目の前の現実に現実逃避するよりはましかもしれない。

 そんなこんなで、今年の秋は「白線流し」のスペシャルを観るんだろうなあ、と思う。ある意味私の人生に大きな影響を与えたドラマでした。