法律家や法学徒の常識と世間の常識がずれることが往々にしてあり、私なんかは法律の規範なんてものは一般常識、社会通念に合致してはじめて意味をもつものだと普段は思っているのですが、法学徒のはしくれとしてどうしても譲れない法原則というものがあります。
それがまさに「無罪の推定」で、刑事事件において被疑者、被告人は有罪判決が確定するまで無罪と推定される、というものです。
被疑者が全部犯罪を認めているような場合でもそうですが、やってない、知らないと言っているような場合はなおさら、犯罪を行ったことを前提に周りがあれこれ騒ぐのは、やはりおかしいのではないか、と思うわけです。
「無罪の推定」が重要であることは、松本サリン事件を思い出せば明らかです。
人柄、価値観への批判と、犯罪を犯したことについての批判というのはあくまで区別すべきで、後者は判決が確定してからすればよいことです。
それがまさに「無罪の推定」で、刑事事件において被疑者、被告人は有罪判決が確定するまで無罪と推定される、というものです。
被疑者が全部犯罪を認めているような場合でもそうですが、やってない、知らないと言っているような場合はなおさら、犯罪を行ったことを前提に周りがあれこれ騒ぐのは、やはりおかしいのではないか、と思うわけです。
「無罪の推定」が重要であることは、松本サリン事件を思い出せば明らかです。
人柄、価値観への批判と、犯罪を犯したことについての批判というのはあくまで区別すべきで、後者は判決が確定してからすればよいことです。