とりあえず死ぬまでは生きてみる。

忌野清志郎が「幸せになりたいけどがんばりたくなぁ~い」と唄っているのを聴いて妙に共感した、猫と朝寝が大好きな人の日記。

逮捕の報を受けて

2006-01-23 23:07:32 | ねこの主張
 法律家や法学徒の常識と世間の常識がずれることが往々にしてあり、私なんかは法律の規範なんてものは一般常識、社会通念に合致してはじめて意味をもつものだと普段は思っているのですが、法学徒のはしくれとしてどうしても譲れない法原則というものがあります。

 それがまさに「無罪の推定」で、刑事事件において被疑者、被告人は有罪判決が確定するまで無罪と推定される、というものです。

 被疑者が全部犯罪を認めているような場合でもそうですが、やってない、知らないと言っているような場合はなおさら、犯罪を行ったことを前提に周りがあれこれ騒ぐのは、やはりおかしいのではないか、と思うわけです。

 「無罪の推定」が重要であることは、松本サリン事件を思い出せば明らかです。

 人柄、価値観への批判と、犯罪を犯したことについての批判というのはあくまで区別すべきで、後者は判決が確定してからすればよいことです。

頭髪とか下流社会とか

2006-01-23 02:07:44 | ねこの日常
1 頭髪の話。

 最近、お風呂の鏡と小型の鏡の2枚を使って後頭部・頭頂部あたりを見てみたら、なんとなく髪が薄いような気がしました。その後美容室に行った時に、髪薄いっすかねー、と聞いてみたところ、全然薄くないですよー、との返事。別に気を遣ってごまかしているような感じの言い方ではなかったので、少し安心。

 別に、はげること自体はそんなに構わないんですが、その時期及び態様によっては問題となりえます。はげるとすれば、額の前線が徐々に後退していく感じがいいなあ、と思っています。時期としては、40代以降希望。

 もし、今まさにはげかけているとしたら、

 ついに行く道とはかねて聞きしかど
        昨日今日とは思わざりしを
                (在原業平)

 ・・・と、こんな感じかもしれません。

2 下流社会の話。

 年末から年始にかけて、テレビでは「下流社会」というキーワードが結構使われてたような。下流社会だの勝ち組負け組みだの希望格差社会だの、といった類のテーマは3~4年前からじわじわ流行って(?)いたように思うのですが、ここにきて一気に火がついたような気がします。

 三浦氏によれば、「『下流』とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである」とのこと。めんどくさいので本は読んでいませんが。

 私なんか、まあ今は学生ですから所得については措くとしても、

 コミュニケーション能力→×
 生活能力→△
 働く意欲→×
 学ぶ意欲→△
 消費意欲→×

 総合(人生への意欲)→×

 ですので、完全に下流だなあ、とか思ってにやけたりしたものです。

3 揚げ足取りな話。

 ホリエモンというか、堀江さんについて書かれた新聞記事なんですけども。起業を目指して、堀江さんのかばん持ちをやったことのある学生へのインタビューで、その学生による、堀江社長は人間的には好きになれないが・・・云々という発言が紹介されていました。

 人間的には好きになれない、とか、人間的には魅力を感じない、という言い方が気に入らなかったので、ちょっと揚げ足をとりたいなあ、とか思いました。

 単に、嫌い、といえば済むものを、人間的には、って何だろう。俺は人間のあるべき姿がわかってるんだ、と言わんばかりの物言いではないかと。似たような言い方として、「人として~してはいけない」などがあります。まあ、いかにも正論ですよって感じで反論をしにくくする言い方だから、誰かをけなしたい時には最適ですがね。小学生の頃、担任のセンセイがよく使っていましたが。

 以上、単なる揚げ足取り。

 堀江さんはガツガツしているので、一応私の嫌いな類型に入るんですが、その中にあっても、何となく自己表現が苦手そうなところに共感を覚えていたので、今回の件は少し残念です。

 それにしても、堀江さんは「失敗してもゼロになるだけ」と言っていましたが、刑事訴追されたらマイナスなんじゃないか・・・。