とりあえず死ぬまでは生きてみる。

忌野清志郎が「幸せになりたいけどがんばりたくなぁ~い」と唄っているのを聴いて妙に共感した、猫と朝寝が大好きな人の日記。

塾で勉強するということ

2007-03-06 17:56:08 | ねこの主張
 8ヶ月に亘った塾講師のバイトが終わりました。相手は中学生、でもかつての私と違って(?)なかなか素直な子ばかりで、幸運にも楽をさせてもらったなあと痛感しています。その塾を主宰しているおばさんも心の広い方で、塾講師初体験で未熟者な私に対しきつく文句を言うこともなく、のびのびと働かせてもらえました。

 お給料をもらうからにはしっかりやらないと、と思って事前の準備を万端にして教えてきたつもりなのですが、そうはいっても、以前家庭教師をちょっとやっただけの青二才には、「目からウロコ」みたいな授業をすることは無理でした。私が小中学校で教わった先生の教え方と比べてみて、その方たちより上手だとは言えそうもありません。

 今「目からウロコ」という言葉を使いましたが、かつて一度だけそのような授業を受けたことがあります。高校2年から3年にかけて、駿台で英語を勉強していたことがあり、そこの竹岡広信先生という方の授業がまさにそうでした。最近その先生は、「ドラゴン桜」の英語教師のモデルとして、時折テレビにも登場しています。1つの単語を教えるにしても語幹や接頭辞からネイティブが抱くイメージをそのまま生徒に伝えようとする姿勢は、当時の業界(?)では極めて稀な存在だったように思います。

 駿台の特定の講座を受講するには、半期ごと、あるいは夏期講習、冬期講習といった一定のタームごとにまとめてお金を支払うことが必要でした(たぶん今もそうでしょう)。ある時、1日あたりの受講料はいくらくらいだろう、と考えたことがあって、計算してみたら、だいたい3000円でした。その後、学部時代に法律関係の予備校に行っていた時も、1日あたりの受講料を計算すると、およそ3000円でした。

 3000円、という金額を高いと思うか、安いと思うかは、年齢や経済状態によって違ってくるのだとは思いますが、高校生だった私は、「この先生の講義ならば高くはない」と思いました。一方、大学生の頃に通った法律関係の予備校の方については「3000円はちょっと高いかも…」と思いました。

 教わる時間量を含めて考えると、塾なり予備校に払う額というのは、高校、大学に払う額と比べてかなり高額です。となると、塾や予備校では、高校や大学での教育と同レベルのものではいけないはずです。「目からウロコ」の講義をして当たり前、といっては言いすぎでしょうか。高校や大学が知識の伝授のみならず様々なものを生徒・学生に与えてくれることも考え合わせると、単純な比較はすべきでないのかもしれませんが、少なくとも、教育内容に関して塾や予備校がより高品質なものを提供することを求められるのは明らかなはずです。

 話を元に戻して……。今までの8ヶ月を振り返ってみて、一生懸命準備をして、一生懸命教えてきたけれど、果たして生徒が通う中学校の先生よりもわかりやすい指導ができていたかを考えると、正直自信がありません。まして、「目からウロコ」みたいな感動的な解説をした記憶なんてありません。バイトで教えている塾講師、家庭教師を十把一絡げにしてはいけないのかもしれませんが、私のような思いを抱いている人は多いのではないでしょうか。

 以上を乱暴に要約すると、「わざわざ高いお金を払って行くんだから、塾や予備校は素晴らしい授業を提供すべきだ。しかし『目からウロコ』の授業ができる塾や予備校は多くない。それゆえ、塾や予備校は割高だ。」ということです。

 まあ、少々自己弁護をしておくと、子どもを塾に行かせる親というのは「うちの子は家に居ても全然勉強しない。塾に行っていれば少なくともその時間はちゃんと勉強する。」という期待を持っていたりします。この期待に関してはほぼ100%応えることができたように思います(当たり前か)。

 ところで、先程3000円という額を出しましたが、これは、大学入試の参考書であれば2~3冊、一般的な法律書であれば1冊が買える金額です。塾で教えていた立場の人間が言うと怒られそうですが、少なくとも、自分でどんどん勉強を進めていける子であればわざわざ塾に行く必要はないんじゃないか、というのが正直なところです。