ONE DAY: RYOKAN's Diary III

誰にだって訪れるさ どうしたって悪い日は 地雷と番犬と腰に機関銃 ドイツ製でもダメでしょう

8月16日の夜のできごと

2007-08-17 19:35:06 | 日記
例年、16日は帰省せず京都で送り火を眺めているのが通例で、たいていは眺めた後に狂授と飲み食いしているのだが。
 広島から京都に戻った数日後から1週間くらいの予定で帰省したため、今年は珍しく名古屋の実家で16日の夜を迎え、そしてNHKの放送で送り火を見るつもりだった。
 広島へ向かう数日前に母から電話があり「頭痛が気になるので病院へMRI検査に行った」という話をしていたのが、僕の中でも何か気になっていたのは確かだった。
 結果を聞くのが17日で、その日にはいったん滋賀の義弟の実家に行っていた妹夫婦と姪っ子もこちらの実家にやって来るということで、家の片付けや準備で忙しくしていたようだった。

その日、僕は従姉宅で作業やネットで文献あさりをしていたのだが、夕方18時過ぎに母から携帯に疲れた声で「具合が悪いから代わりに畑の水遣りをしてくれ」という留守電が入っていた。その留守電に気付いた直後に父からも電話があり、作業をやめて従姉のクルマで急ぎ実家に戻ることにした。
 畑に水をまいた後に実家に戻ると、父が深刻な表情で座り込んでおり、隣の部屋で冷房を切り締め切った状態の中、母が蒼白い顔で横になっていた。15時過ぎに、排水が詰まった冷房の掃除をしていて吹出口の間近で冷風にあたっているうちに急に酷い頭痛が来たという。
 救急車を嫌がるので従姉が「我慢しないで、あたしのクルマで今から病院へ行こう」と言うと意外にあっさり同意してくれ、すぐに従姉のミニバンでかかりつけの病院に運び、検査を受けた。

母の検査につきそった父が戻るまでの間ひとりで待っていた僕が当直医の先生に呼ばれ、CTの結果と、本来翌日に聞く予定だったMRI検査の結果を聞いた。MRI検査で脳に動脈瘤が見つかっており、くも膜下出血がいつ起きてもおかしくない状態だという。
 急患で専門医がいないため「脳外科の専門医がいる別の病院で詳しく診て貰った方がいい」ということになり、すぐに救急車で別の病院へ搬送されることになった。僕が同乗することになり、初めて救急車というものに乗った(あまり経験したくないことだが)。
 救急車で約30分の移動を経て、搬送先の病院でもう一度検査を受け、やはりくも膜下出血と判明。ただ、出血はごく少量だという。すぐに手術を行うことになった。父が何枚もの同意書にサインしている間に滋賀にいる妹にも電話をして、すぐに来て貰うことになった。
 母の意識はしっかりしており、最後まで実家の飼い犬のエサと薬の件など細かい指示を僕らにした後、23時に手術室へ。父を病院に残して僕と従姉は一度家へ戻り、着替えや諸準備をして妹夫婦の到着を待つことにした。
 25時過ぎに妹夫婦が到着。姪っ子は義弟の実家に預けてきたという。すぐに病院へ向かい、待合室で待つ。とても長く感じた。まぁ実際、長かったんだけど。

当初「3時間くらい」と聞いていた手術だったが28時を過ぎても手術は終わらず、ようやく「終わりました」と告げられたのは母が手術室へ入ってから5時間半後のことだった。(最初の約1時間は全身麻酔のため)
 案内されて集中治療室へ行くと、開頭のため(後で髪で傷口が隠れるように、額の上を最短距離で切開せずに大きく迂回する形でメスを入れた)額の上の髪を刈られて大きな縫い跡をつけられ、口や鼻や至る処に管を取り付けられた母が寝ていた。
 動脈瘤は意外に大きく複雑だったそうで、それをクリップして潰すのだが取り切れないものがあるそうな(年齢が進めば動脈瘤はできるものなので、必ずしも全てが危険というわけではない)。患部の生々しい写真を見せられて手術の説明を受けている間に、妹は貧血を起こして座り込んでしまった。
 手術自体は成功したが、このあと脳血管が攣縮して脳梗塞を起こす危険もあるため、今後2週間がヤマ場だという。

直前にMRI検査を受けていたため病因や位置をすぐに特定できたから、そして従姉が実家までついてきてくれて病院へ行くのを促してくれたから、出血が少しの段階で手術を受けることができた。 (出血が少量であれば脳血管の攣縮や水頭症などの症状が出る危険も少ない)
 妹も今は宇都宮在住だし来週やっと1歳になる子供もいるので、普段ならすぐには来られないけど、この時期だったからこそ滋賀からすぐ駆けつけることができたわけだし、僕も例年なら帰省していない時期に珍しく帰省していた(何の役にも立たないが)。
 こういうのも巡りあわせということなんだろうか。

 翌日の夕方に面会に行くと、母はすっかり意識も戻り、僕や妹に家事や犬のこと(また犬かい)など細々と指示を与えた。いつもの母の様子だった。
 ホッとしたが、まだ当分は安心できない日が続く。(追記:21日に集中治療室を出て一般病棟に移った)

そういうわけで、当面は僕も京都に戻らず実家でいろいろ手伝ったりして過ごすことになる。
 あまり役に立たず(立てず)、親にも周囲にもいつも迷惑ばかりかけている人間だが、こういう時くらいはせめて自分にできることだけでも精一杯やっておきたいと思う。

 実家はネット環境が揃っておらず、何故か携帯の電波も届きにくい箇所が多いので、当面は連絡が取りづらくなるかもしれませんが御了承下さい。

 いろいろと予定が変わったため事情を説明した際、親身になって心配してくれ励ましてくれた友人達にも感謝です。ありがとう。