ONE DAY: RYOKAN's Diary III
誰にだって訪れるさ どうしたって悪い日は 地雷と番犬と腰に機関銃 ドイツ製でもダメでしょう
 



運送会社に引っ越しの見積もりを依頼したところ、やはり荷物が多いのと引っ越しが集中する時期的な問題で結構なお値段となった。どひゃー。
 4月に妹夫婦が宇都宮市内でアパートから一戸建てに引っ越すのだけど、時期の違いや移動距離の違いがあるとはいえ、男一人暮らしの引っ越し料金の方が夫婦+幼児1人の3人家族の引っ越し料金より高くつくとは。

で、荷造り用の段ボール箱が40箱分ほど一度に届いた。どひゃー。
 只でさえとっ散らかった部屋に段ボール箱の束が加わり、もはや足の踏み場もない…(T_T)
 部屋を見回しては片付けも忘れ暫しボーゼンとする。(片付けろよ) なんだか家宅捜索か空き巣にでも遭ったかのような部屋で、あと数週間を過ごすのか…。
 しかも日曜には母親がほとんど十年ぶり位に様子を見に来るのですよ。どひゃー。

 せっかく昨日届いたASKAのライヴDVDは一体いつ観られることやら。


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山陽・九州新幹線直通列車は「さくら」

結局「さくら」かぁ。個人的には「つばめ」を山陽-九州直通に使って、博多-鹿児島の方に新愛称を、と思っていたし、その場合はこの3月で消える「はやぶさ」になるのかなと予想していたので大外れ。
「さくら」は数年前までの東京-長崎を結ぶ寝台特急の印象がまだ強い。僕も随分前に一度だけ乗ったことがある。従来の特急愛称が新幹線に転用される例は多いが、夜行からの転用や運転区間が変わるのは初めてなのかな。

「さくら」も「つばめ」も「富士」とともに戦前から使われている由緒ある愛称名で、そのうち2つをJR九州が新幹線愛称に使うことになるが、特に「つばめ」は東海道新幹線開業までは国鉄の最速特急として看板名であり、国鉄(→ヤクルト)スワローズも国鉄(→JR)バスのツバメマークもこれに由来しており今も使われている訳で、JR九州が自社内特急として「つばめ」の名を復活させる時には他のJR各社の了解を取ったくらいだ(結果的には戦前から使われてきた特急愛称「富士」「櫻」「燕」「鴎」のすべてが現在JR九州内を走る特急になっている)。
 だから九州新幹線開業時に愛称として採用されたのは当然の流れだったと思うけど、山陽直通が始まると九州内のみの「つばめ」は区間内でも最速列車でなくなるし、格下げされた印象になってしまうかも。

それから、いつも思うのだけど、東海道-山陽直通の列車は「のぞみ」と一部の「ひかり」に限られているし、どの区間でも同じ名前という現状は正直ややこしいので、せめて山陽区間内だけの「ひかり」「こだま」は別の名前にしてもいいんじゃないかとも思うのだが、…たぶんJR東海が認めないんだろうな。(500系やレールスターの登場時に西日本が新愛称を付けたがったが、東海が認めなかった経緯がある)
 九州新幹線博多延伸とほぼ同時期に開業する東北新幹線新青森延伸は「はやて」のままで間違いないが、その後に控える北海道(新青森-新函館)と北陸(長野-富山-金沢)の開業時にはまた愛称で揉めそうな気がする。特に地元各都市の思惑がすでに渦巻いている北陸新幹線はなぁ。「北陸新幹線」という名前自体にも長野県が抵抗しているし。


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…そう来たか(笑)

 毎年、2月25日の京大前期入試(…って今は前期しかないのか)当日の恒例となっている「折田先生像」は今年もいつもの場所に出現していた。校舎内はたぶん入試の真っ最中と思うが、学生は呑気にケータイで写真を撮り、どこかのテレビ局まで撮影に来ていたぞ(^_^;)
 本物の折田先生像が撤去されて以後、ハリボテでこの時期に折田先生像が出現するようになってからは造形の自由度が上がったため(あたり前だ)様々なキャラクターに変身されてきたが、今回は実写特撮ヒーローなので、本物の銅像時代に変身していてもおかしくないような仕上がりである。
(ヤキソバンや変態仮面になったことはあったが、先生が仮面ライダーに変身されたことは過去一度もなかった筈)


像の隣には、こちらも恒例の説明書き看板が。元ネタは本物の折田先生像(銅像)があった頃、様々に化粧されることを憂いた当局が立てた折田先生に関する説明書きの看板のパロディなのだが、いま実際にこれを製作している学生さんはもう元ネタを知らないだろうなぁ。
…まぁ確かにライダーマン=結城丈二は京大工学部卒という設定になっているんだが。
(幼少時に父を亡くし貧乏な母子家庭で育ち、デストロン首領の資金援助を受けて京大に入学し卒業後デストロンで研究をしていた、という設定と、京大助手時代になかなか研究が認められずデストロンの勧誘を受け加入した、という微妙に異なる2つの設定があるらしい)

…で、この像が例年の如く壊されたら、やっぱデストロンの仕業になるのだろうか(笑)

※折田先生像について詳細はこちらのサイトを参照ください。


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京都市左京区北白川。
 京都に来て最初の2年間住んだ修学院から引っ越してきて以来、長い間ここに住んでいる。一時期は妹も同じアパートの別の部屋を借りて住んでいた。
 白川通も、僕が京都にやって来た当時はまだバブルの余波が随所に見られた。瓜生山の京都造形芸術大も今のような通りに面した大階段と仰々しい建物はなく、通りからは東鞍馬通との交差点付近に控えめに建物が見える程度だった。大きなマンションも少なかった。

アパートから徒歩1~2分のところにある小さな料理屋「おおきに屋」。すごく小さな店だがたいへん美味くて、あのキム兄(木村祐一)が贔屓にしていてよく通い、テレビでも紹介し、松本人志はじめ吉本芸人もよく来店するという(その場に出くわした経験はないが)。いつだったかの「すべらない話」でも松本人志の話の中で店の名前が出たことがあったな。
 美味いので行くとついつい色々と食べてしまい財布が大変なことになるので日常通っている訳ではなかったが、マスターに顔を覚えられる程度には通った。
 ケーキ屋だがパスタも美味い「一善や」(なぜか支店は鳥取にあるらしい)。ここでお茶を飲みながらゆっくりするのが好きだった。遅くに帰宅する時、店の隣の作業場で日付が変わっても周囲に甘い匂いを漂わせながら一生懸命準備をしている様子を見ていつも感心していた。
 カレーの名店「ガラムマサラ」。ガイドブック等でもよく紹介されている店だが、店の方針から逸れた食べ方をすると婆さんからくどくど説教を受けながら食べるハメになる(^_^;;) けど確かに美味いのだ。
 勿論忘れちゃいけない「天下一品」本店。一乗寺と違って北白川はラーメンといえば長い間天一の独壇場だった(「ますたに」はもう少し南だし)が、その後白川通沿いに「あかつき」「東龍」ができて人気店となっていった。3つともよく行ったな。
 元来ゲームをしないので北白川バッティングセンター(という通称だがゲームセンターが大半)にはそれほど行ったわけではないが、友人とカラオケにはよく行ったな。8時間耐久カラオケとかやったもんなぁ。
 もちろん北白川界隈だけでなく大学周辺など他にも好きな店、よく通った店は沢山ある。

そういえば最近になって蛸焼の「蛸安」本店は移転してしまったなぁ…。他にもよく通った店が突然やめてしまったりして寂しい思いもした。
 年とともに新しく出来る店、消える店は沢山あった。コンビニなんてどんどん変遷したような気がする。
 小さな本屋やレコード屋は近年の潮流に呑まれてほとんど潰れてしまい、本屋で北白川に残るのは雑誌とコミックが大半の丸山書店と、品揃えが大変マニアックなガケ書房くらいになってしまった。

まだ京大さだ研が盛大に活動していた頃、僕の部屋にはさだ研のメンバーや友人達がしょっちゅう来て遊んでいた。京都を離れた友人の宿としてもよく使われていた。
 思い出せば数々の馬鹿騒ぎや恥ずかしい出来事、身内での伝説的な事件を色々とやらかして来たなぁ、と懐かしい(もしくは呆れ果てる)。
 悲しいこと、裏切られたこと、嬉しいこと、えっちなこと、辛いこと、苦しいこと、悔しいこと、淫猥なこと、惨めなこと、疲れること、死にたいこと、馬鹿馬鹿しいこと、痛いこと、眠いこと、ヤバいこと、酷いこと…
(……楽しいことは?)

 とても好きな街だった。
 僕にはいい街だった。


 この春をもって、僕はこの街を離れることに決めた。

 多くの思い出とともに、4月からは新たな道を歩き出す。
 新しい街では一体、どんな日々が待っているのだろう。


     誰の手を放れて来たのだろう
     上手く選べない僕を追い越して
     いいさ描いた絵を 何度でも
     直す手を 僕は持とう not at all

     そこに立って そのとき わかることばかりさ
     今の僕にはない答えなんだろう 何かだろう

     (CHAGE and ASKA "not at all"  lyrics by ASKA)



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