今回ご紹介するのは、日本最古の木造鳥居があるといった情報から参拝しに訪れた山梨市北に鎮座する大井俣窪八幡神社です。
大井俣窪八幡神社へは、JR中央本線東山梨駅より徒歩で30分ほど。
中央道勝沼ICから10キロほど。雁坂みちの八幡橋西詰からすぐです。
見所が多いのもこの神社の特徴です。
まず初めの見所は、こちらの木造り鳥居(重文)です。
天文4年(1535)武田信虎(信玄の父)が42歳の時に厄除祈願のため建てたと伝えられています。
石製はまだしも(ちなみに石製の最古の鳥居は、山形県山形市の「元木の石鳥居」と言われています。平安まで遡るんだとか)説明書きにもあるように朽ちやすい木製の鳥居が室町時代まで遡る事例は、極めて珍しいそうですが正直現存の鳥居を見ると著しい劣化もみられず果たして半世紀近くの間そんなに持つものなのか少々疑念はあるところです。
☞関連記事:【最上三鳥居】元木の石鳥居@山形県山形市鳥居ヶ丘
各部位の均整がとれた木造両部鳥居です。
鳥衾が付いた木鼻部分が独特です。
台輪が鉄輪で固定されています。
半世紀あまり鳥居を支えてきた柱と控柱
扁額には、大井俣神社とありました。同名の神社が、山梨市小原西にもあって、そちらは水の宮と呼ばれています。
さて、続いての見所ポイントは、鳥居の脇にあったまとまった数の丸石神と双体道祖神です。
中央には、双体道祖神の祠が祀られています。
御供え型の丸石 穴が開いています。宝篋印塔 の宝珠部分でしょうか?
檜皮葺屋根の総門(国重文)を潜り境内へ
狛犬一対
鐘楼(県有形文化財)1553年(天文22年)に武田晴信によって造営されたもの
鐘楼 現地案内板
拝殿 檜皮葺の切妻造り(国重文)1557年(弘治3年)の造営 正面11間もある巨大な拝殿です。
本殿を望む 広さが際立ちます。
本殿(国重文)1410年(応永17年)に武田信満によって再建されたもの。
十一間社流造とのこと。十一間!?…。1間を1.8mで換算すると…。約20mになります!。
写真では、その大きさは伝わりませんがこの右側奥に本殿が続いています。
祭祀:誉田別尊・足仲彦尊・気長足姫尊
由緒:
大井俣窪八幡神社(通称、窪八幡)は、清和天皇の勅願により貞観元年(859年)2月23日、宇佐神宮(大分県)の八幡三神を音取川(ねとりがわ、今の笛吹川)の中島の地へ勧請し、その地を大井俣といったことから神社の名称を大井俣大明神と称しました。その後、何回か水害で流されて現在の窪の地へ遷座して窪八幡宮となりました。創建当時の建物の規模は不明ですが、現在の社殿は室町初期から末期にかけて再建されたものです。
窪八幡は八幡信仰の型を整えた山梨県では最古の八幡宮であり、甲斐源氏、特に本流武田家代々の氏神として崇敬されました。(公式ページより)
摂社 若宮八幡神社(国重文)1536年(天文5年)の造営 檜皮葺の入母屋造です。 拝殿の右隣に鎮座
現地案内板
境内配置図
末社・武内大神(国重文) 1500年(明応9年)の再建 本殿と同並びです。祭祀は、竹内宿禰 なぜここに祀られているのでしょう?調べてみる価値はありそうです。
末社・高良(こうら)神社 (国重文) 1500年(明応9年)の再建。 祭祀は高良明神。高良神社は、福岡県久留米市の高良山に鎮座している神社です。こちらも後日文献調査予定です。
青龍社
末社比咩三神(田心姫・湍津姫命・市杵島姫命 )(国重文)1625年(寛永2年)に徳川忠長(3代将軍・家光の弟で甲府藩主)によって再建されたもの
境内の一画にあった謎の石造物? なんでしょう? かつて狛犬だったものでしょうか?
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