山形県最上の三鳥居の一基「元木の石鳥居」の紹介
我々が訪れたのは、2006年8月 毎日暑かった記憶が蘇る。
周囲が住宅街の中 取り残された様に鎮座していた。脇には「鳥居稲荷神社」があるのだが近代の神社であり、この鳥居は単独で起立した古い鳥居のようだ。
そもそも、ここの町名が「鳥居ヶ丘」と、呼ばれていることから、かつて龍山(蔵王連峰)を仰ぐ絶好の景勝地だったのかも知れない。
元木の石鳥居 社号には「御立鳥居」の文字 説明書きには「元木の鳥居」とある。(撮影:2006-08)
凝灰岩で出来た石製鳥居 一見もろく崩れやすそうに見えるのだが、建立は平安時代とも伝わる。(撮影:2006-08)
山形各地でこの様な凝灰岩で出来た鳥居が、今でも崩れ落ちることも無く現存を保ちながら数多く残っている理由には、この地域に大きな地震などの天変地異が少ないためとも言われているが、それ以前に出羽三山の修験信仰が古くからこの地にはあって産土神が多く存在していたことに起因しているものと推する。
根巻きの部分のアップ 補修されている感は否めないが長い年月倒れずにこの地で人々を見守り続けてきた。(撮影:2006-08)
補修あと? 元々全ての部分が一枚岩から削り出され加工されているそうだ。
案内板 クリックして拡大
この石鳥居は、古来元木の石鳥居と呼ばれ、その古さのため、最上三鳥居の1つに数えられて有名であった。
瀧山(龍山とも書く)を背景に、西面して直立する凝灰岩製の古風素朴な石鳥居で、総高351cm、左柱の径が97.2cm、右柱の径が92.3cmの円柱で、笠木と島木は1石から彫出し、左の下端は巧みにつぎ合わせている。
貫は柱を貫通せず、両側から穴を彫って挿し込んでいる。
造立は龍山信仰全盛のころと伝えられているが、その古風素朴さから藤原時代にのぼるものと考えられ、蔵王成沢八幡神社の石鳥居とともに、日本最古の石鳥居として、価値の高い文化財である。
以上はこちらから転載
我々が訪れたのは、2006年8月 毎日暑かった記憶が蘇る。
周囲が住宅街の中 取り残された様に鎮座していた。脇には「鳥居稲荷神社」があるのだが近代の神社であり、この鳥居は単独で起立した古い鳥居のようだ。
そもそも、ここの町名が「鳥居ヶ丘」と、呼ばれていることから、かつて龍山(蔵王連峰)を仰ぐ絶好の景勝地だったのかも知れない。
元木の石鳥居 社号には「御立鳥居」の文字 説明書きには「元木の鳥居」とある。(撮影:2006-08)
凝灰岩で出来た石製鳥居 一見もろく崩れやすそうに見えるのだが、建立は平安時代とも伝わる。(撮影:2006-08)
山形各地でこの様な凝灰岩で出来た鳥居が、今でも崩れ落ちることも無く現存を保ちながら数多く残っている理由には、この地域に大きな地震などの天変地異が少ないためとも言われているが、それ以前に出羽三山の修験信仰が古くからこの地にはあって産土神が多く存在していたことに起因しているものと推する。
根巻きの部分のアップ 補修されている感は否めないが長い年月倒れずにこの地で人々を見守り続けてきた。(撮影:2006-08)
補修あと? 元々全ての部分が一枚岩から削り出され加工されているそうだ。
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この石鳥居は、古来元木の石鳥居と呼ばれ、その古さのため、最上三鳥居の1つに数えられて有名であった。
瀧山(龍山とも書く)を背景に、西面して直立する凝灰岩製の古風素朴な石鳥居で、総高351cm、左柱の径が97.2cm、右柱の径が92.3cmの円柱で、笠木と島木は1石から彫出し、左の下端は巧みにつぎ合わせている。
貫は柱を貫通せず、両側から穴を彫って挿し込んでいる。
造立は龍山信仰全盛のころと伝えられているが、その古風素朴さから藤原時代にのぼるものと考えられ、蔵王成沢八幡神社の石鳥居とともに、日本最古の石鳥居として、価値の高い文化財である。
以上はこちらから転載