思わずなるほど!と、思ってしまった記事の紹介
以下の記事はここから転載
日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。
この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され答えに窮していたようです。
ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。
集団原理の中で生きてきた日本人にとって、魂の救済という答えは個人課題ではなく先祖から子孫に繋がっていくみんなの課題であったはず。
「信じるものは救われる」=「信じない者は地獄行き」
といった、答えを個人の観念のみに帰結させてしまうキリスト教の欺瞞に、当時の日本人は本能的に気づき、ザビエルが答えに窮するような質問をぶつけたのではないでしょうか。
元のソースは 『聖書と「甘え」(土居健朗著)』と言う著書らしい。
日本に、これほどキリスト教が布教しないのもある意味、日本人の持つ価値観の相違から
日本人は「ご利益を期待して祈る」事が主体であって、八百万の神、万物の神としてアミニズムな主観として神を捉えている。
だが欧米人(キリスト、イスラム教)は、イエス・キリストと言う唯一神を信仰しそれを信じることが救いであると説いている。
いいとこ取りが仏教の教え(まぁ、宗派による違いはさておいて)であるわけだが…。
日本人の根底にこのような価値観の相違がある限り、全世界の人口の3割を占めているというキリスト教がこの日本には、根付かなかったも至極当然の結果だったのである。
今さながら妙に納得してしまった記事であった。
第一に、ザビエルに対して投げかけられた言葉にはクリスチャンならだれでも反証可能です
ましてや様々な外国に宣教に行ったザビエルが答えに窮したわけがありません
たとえば悪の起源ですがこれはあっさり反論できます
神は悪を作っていません
神が天使を作った時に自由意志を与えましたその結果、神に反抗するものが生まれ、これが堕天使となり、悪魔となりました これがキリスト教の悪の起源です
あたかもこの記事では、日本人だけがそれを思いつき、矛盾点(と彼らが勝手に思い込んでいるものをついた)ととれますが、これの程度の事誰でも思いつく疑問です
キリスト教の長い歴史の中では、日本に宣教に来る前に、この程度のことは他の民族やキリスト教徒自身が気付き、とっくに答えを出していることなのです
それと先祖崇拝と唯一神崇拝は客観的に言えば単なる考え方の相違にすぎません
救いを先祖とのつながりと考えようが、個人の信仰の帰結と考えようが、それはその宗教の自由であり
客観的にどちらが正しいとか間違っているとか証明されているわけではありません
答えを個人の観念のみに帰結させてしまうキリスト教の欺瞞に
この言葉の欺瞞という表現自体が意味不明です
救いを個人の信仰に求めることは別に欺瞞でもなんでもないです
更にザビエルが逃げ帰ったかのように書いてありますが、そんな事実はなく、ザビエルの宣教は成功し、ザビエルが帰ったあと日本ではキリシタンは爆発的に増え、最盛期には80万程になっています
そもそもキリスト教宣教が失敗していたら、キリスト教勢力が日本の脅威になることもなく、キリシタン迫害もおこなれていません
この矛盾に気づかない時点でちょっと変です
こう言っては何ですがもうちょっと考えてから記事を作ったほうがいいと思いますよ
キリスト教が日本人がちょっと思いつく程度の質問を答えられないわけがないでしょう?
あまりにバカにしすぎです
私でも答えられます
増してや遠い昔わざわざ日本まで来た宣教師であるザビエルが返事に窮したなんて考えられません
1 キリスト教を信じないと地獄に落ちるというのなら我々の先祖はどこに行ったのか?
地獄
2 神が全能で愛だというのなら、それは残酷でないか、無能で非情ではないか?
いいえ、無慈悲でも無能でもありません、全能で絶対だからそうなるんです、当たり前ですが、神の教えなしに人が救われるなら、そんな教えは不要ですし、そんな神は不要な神で絶対でも全能でもありません、逆に神が絶対であり、全能であるから、神の教以外の救いは存在しないのです
3 全能で完全な神だというのなら、悪はどうしあるのか、神が悪を作ったのか?矛盾していないか?
神は悪を作っていません 神は天使を作りましたが、その時、自由意志を与えました、そして神に反抗する天使が出てきました、これが堕天使となり、悪魔となり悪の起源となりました
以上です
コメントありがとうございます。
いろいろとご指摘頂いていますが、自分自身のキリスト教の知識と言えば
学生時代授業で会得した程度で、信仰も特に持ち合わせておらず元ネタを読んで
こういう考え方もあるんだと妙に納得してしまい記事にしたもので、特に深い意味はありません。
以下のサイトなどを読むと当時の状況が良く理解できます。
信者が増えた理由には、僧侶たちの自堕落が、かえってキリスト教の布教のきっかけともなった下りは興味深いところです。
ザビエルの来日後、信者が急増!?イエズス会がキリスト教布教のためにとった戦略とはhttps://intojapanwaraku.com/culture/176246/
ザビエルの布教活動の真意は?
https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=166737
『唯一神』という観念は、結局日本人には受け入れられないと布教活動の後ザビエルは、ローマ教皇へ報告しています。
自然の摂理と精霊への崇拝は日本人の精神構造の根底にあって、潜在思念に裏打ちされた観念だからザビエルもさぞ困り果てたものと思われます。
秀吉によるキリスト教の弾圧も布教と名ばかりの植民地支配から日本を守る目的だったというのも理解できます。結果キリスト教が日本に根付かなかった理由でもあると思っています。
縄文時代より自然と一体となり自然界への畏怖畏敬と精霊崇拝は、日本人の心の根底は揺るがなかったという事だと思います。