今回は、全国でもここだけ一本足の謎の神像“夔(き)ノ神”を祀る山梨岡神社の紹介です。
JR石和温泉駅から徒歩で20分ほど。正面に御室山を仰ぐ麓に山梨岡神社は鎮座しています。
郡石(こおりいし) 境内に入るとすぐの場所にあります。郡境の標示石であったと伝えられます。
手入れの行き届いた神池を左右に見ながら神橋を渡ります。
拝殿
本殿(国指定重要文化財)
祭祀:大山祇神・高龗神・別雷神・賀茂別雷命(賀茂別雷神社)
由緒:人皇十代崇神天皇の御代、国内に疫病の流行や災害が多発し、これを憂ひた天皇の勅命により背後の御室山中腹に創祀される。後十三代成務天皇の御代に麓の山梨の群生林を切り開いて現在地に遷座され山梨岡神社と号す。この故事により「山梨」の地名発祥の地と伝へられる。延喜式内社甲斐国二十社の一つに数へられ、古くは山梨明神・山梨権現・日光権現とも称せられ武田家累代の祈願所として篤く崇敬された。江戸時代には雷除け魔除けの夔神信仰が流行し、当社より御三家・大奥を始め大名家から旗本衆に至るまで広く神影版画神札が献上された。現本殿は室町末期飛騨の匠の技と伝へられ、国の重要文化財に指定されてゐる。また、古来より伝はる太々神楽は、武田信玄公出陣の際戦勝を祈願して奉納された神楽として伝へられてゐる。摂社に日本武尊・弟橘姫命を祀る吾妻屋宮があり、毎年四月に昼夜三日間に渡り執行される例大祭は、両社御祭神を奉祀する合同例祭で通称「あづまやさん」として古くから親しまれ、太々神楽の奉納を始め虫加持祈祷や神輿の盛大な渡御もあり、この地域一帯の有数な祭典として神楽見物や参拝者等で大変な賑はひを見せてゐる。明治五年郷社に列せられた。(転載:山梨神社庁より)
神楽殿 毎年4月4日に、太々神楽(だいだいかぐら)が奉納されます。武田信玄出陣の神楽とも呼ばれ勝利を祈願して奉納されたと伝えます。
御室山麓に鎮座している祠
ここの神社には、本来あるべき場所に鳥居が建っていません。
手前の国道141号(雁坂のみち)より御室山を望む(Googleストリートビューより)では、鳥居はどこに?
実は、御室山正面に毎年春になると大きな鳥居が描かれます。(春の風物詩として“笈形焼”(おいがたやき)と大文字焼きが開催されています。)
さて、ここの神社で特筆すべき点として全国でもここでしか見る事が叶わない謎の神像が祀られています。
謎の神像「夔ノ神(きのかみ)」
【概要】山梨県笛吹市春日居町鎮目に鎮座する山梨岡神社には、一本脚の神像が伝わっており、「山海経」に登場する夔(キ)の像として信仰を受けている。10年に一度(現在では7年に一度)4月4日に開帳され、雷除け・魔除けの神として信仰されている。
キ神像に関する記録は、荻生徂徠(おぎゅう そらい)の『峡中紀行』が初出とされる。甲府藩主・柳沢吉保の家臣である荻生徂徠は宝永3年(1706年)に吉保の命により甲斐を遊歴し、山梨岡神社にも足を運んでいる。この時、徂徠が山梨岡神社に伝来していた木像を「キ」に比定し、以来キ神としての信仰が広まったと考えられている。
キ神像に関する記録は、荻生徂徠(おぎゅう そらい)の『峡中紀行』が初出とされる。甲府藩主・柳沢吉保の家臣である荻生徂徠は宝永3年(1706年)に吉保の命により甲斐を遊歴し、山梨岡神社にも足を運んでいる。この時、徂徠が山梨岡神社に伝来していた木像を「キ」に比定し、以来キ神としての信仰が広まったと考えられている。
キ神の来由を記した中村和泉守『鎮目村山梨岡神社キ神来由記』(慶応2年(1866年)、山梨県立博物館所蔵)によれば、江戸後期にはキ神像に関して、天正年間に織田信長軍が山梨岡神社に乱入した際に疫病によって祟ったというような霊験譚が成立している。キ神信仰は江戸後期の社会不穏から生じた妖怪ブームにも乗じて広まったと考えられており、キ神の神札が大量に流通し、江戸城大奥へも献上されている。
明治初期には山中共古『甲斐の落葉』において紹介され、キ神像は欠損した狛犬の像が「山海経」の「キ」と結びつけられたものであると考えられている。
また、山梨県では山の神に対する信仰や雨乞い習俗、雷信仰などの山に関する信仰、神体が一本脚であるという伝承がある道祖神信仰が広く存在し、キ神信仰が受け入れられる背景にもなっていたと考えられている。
また、山梨県では山の神に対する信仰や雨乞い習俗、雷信仰などの山に関する信仰、神体が一本脚であるという伝承がある道祖神信仰が広く存在し、キ神信仰が受け入れられる背景にもなっていたと考えられている。
山海経挿絵にある夔(転載:WIKIより)
「虁」とは、山海経に記載されている神獣で、次のように記されています。
東海の中に流波山あり、海につきでること七千里 頂上に獣がいる。
状は牛の如く身は蒼くて角がなく足は一つ。
これが水に出入するときは、必ず風雨をともないその光は日月の如くその声は雷のよう。その名は虁。
黄帝は、これをとらえてその皮で太鼓をつくり雷獣の骨でたたいた。
するとその声は五百里のかなたまで聞こえて、天下を驚かせたという。
これが水に出入するときは、必ず風雨をともないその光は日月の如くその声は雷のよう。その名は虁。
黄帝は、これをとらえてその皮で太鼓をつくり雷獣の骨でたたいた。
するとその声は五百里のかなたまで聞こえて、天下を驚かせたという。
【引用:平凡社ライブラリー『山海経』より 】
訪れたのは2018年3月でしたが、なんでも七年に一度この「夔ノ神」が御開帳される日があるそうで次回は2023年なんだそうです。来年こそ是非この目で見てみたいと今から目論んでいます。
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