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【仏閣】崖にめりこむ本堂 地名の由来とも伝わる佐久三十三番観音札所 第十七番・円通厄除観音(経窟山円通閣)@長野県南佐久郡北相木村京の岩

2022-04-02 | 神社・仏閣
立岩を訪れたあと立ち寄ったのが、今回紹介する南佐久郡北相木村京の岩にある佐久三十三番観音札所 第十七の円通閣厄除観音です。
栃原岩陰遺跡~北相木村考古博物館(後日報告予定)へと赴く途中にたまたまこの前を通りかかったところお堂の背後にある巨岩に目が留まり立ち寄った次第です。

相木川と並行する県道124号(上野小海線)の崖線沿いに建っています。
寺院ですが狛犬が一対立っていました。
崖線の突き当りに謎の石像物
 周囲には奉賛者名(井出姓)が刻まれていました。
本堂背後に突き出た巨岩が訪れるものを圧倒します。
本堂西側より昇殿し正面(南向き)へと周ります。
本堂内 厄除聖観音が本尊となります。祭壇の向きは南です。
沿革:北相木村京ノ岩にあって、 佐久観音札所十七番札所で南向観音として、別所北向観音とともに有名である。
本堂は経窟山円通閣と称し厄除正観音が本尊である。永禄年間 (一五六〇年代)の領主依田民部長繁の子、興繁が京都清水寺から奉持したものと伝えられている。その後元和年間(一六二〇年代)大龍寺一世雪憧和尚が荒涼の本堂を再建した。安永年間(一七七五年代)火災にあって本堂は焼失したが本尊は無事であった。天明三年七八三年) 大龍寺十世鉄心和尚諸国に浄財を集め、天明六年本堂を再建し現在にいたる。四月十六日、十七日が縁日で多くの信者で賑う
    昭和五十七年七月二十三日指定 北相木村教育委員会
(転載:現地案内板より書き起こし)
(現地案内板:サムネイルをクリックして拡大)
ここの別当寺は、ここから東へ1.5キロほど行った大龍寺になります。札所の御朱印の授与などはそちらで受けられます。
また、聖観音御本尊は、摂津国(大阪)天王寺から奉持されたものとも伝えられています。
沿革にある別所の北向観音とは、以前当ブログでも記事にした上田にある別所温泉にあります。
高さは低いですが本堂は懸造りで崖にへばり付くように建っています。

屋根も独特の建築様式で葺かれており興味深いです。
本堂は、崖にめり込むように建てられておりここは別名「京窟(きょうのいわ)観音・経の岩屋観音」とも呼ばれており地名の“京の岩”の由来とも伝えられています。
我々が参詣中には、訪れるものもなく昔の賑わいは、今はもうなさそうです。
【マップ】
※駐車場はありません。我々が訪れた際は、門柱を少し入った場所に駐車しました。


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