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【神社】こんな山奥になぜ? 行くのに大変な場所に鎮座する『諏訪大社下社 摂社~御射山社』@ 長野県諏訪郡下諏訪町二上峰

2022-11-08 | 神社・仏閣
今回の諏訪探訪のハイライトは、諏訪大社下社摂社『御射山社』です。
霧ヶ峰に鎮座する旧御射山社は、以前記事にしましたが場所がら観光地でもあることから今までに三度ほど訪れています。
ですが、現在の御射山社が鎮座する場所までは、秋宮から距離こそ車で5キロほどではありますが、かなりの山奥深くまで林道を走らねばならず、なかなか行く気にならなかったのですが今回満を持してようやく訪れることが出来ました。
そもそも、なぜ霧ヶ峰から現在の地へと遷座されたのでしょうか。
その理由は、やはり立地の不便さにあったようです。

永禄年間以降、社頭の衰微によって、年々の祭祀も困難になってきたので、秋宮の奥、武居入の二上峰に本社を移したのであり、霧ヶ峰の旧跡を旧(もと)御射山と称し、降下した二上峰の聖域を御射山と呼び、爾来ここで祭礼を執行している。「下諏訪町誌より」

残された当時の資料から、かつて行われていた祭祀の規模は相当なもので、莫大なお金がかかっていた事は十分予想できます。
当地へ遷座したとはいえ現在の地も行けば分かりますが相当な山奥になります。
時折すれ違いもままならぬ箇所があるような林道を延々と走らされ「こんな所に本当にあるのかよ」と、そろそろ不安になってきた頃突然鳥居が見えて参ります。
林道沿いに駐車スペースがあります。(Googleストリートビュー)
白木鳥居かと思ったのですが貫が角材で加工されています。
白木で製作する場合、大抵貫は丸太のままであるパターンが多いのですが、角材で組み合わせてあるので体裁は靖国になります。初めて見るパターンです。
現地案内板
鳥居から御射山社までは徒歩15~20分くらいです。

鳥居を潜り少し行くと神池(放生池)が右手に見えて参ります。
ここでは、毎年8月27日に数えで二歳の子供の厄除け祈願をする御射山社祭(原山の神事)が執り行われています。この神池に「ドジョウ」を流す特殊神事なのだそうです。(腹を病まない=はらやま なんとも…(^^;)
溜池かと思っていたのですが湧き水が出ていました。

読めません(^^; 「二つ児」とあることからやはり子供の厄除けに関して書かれているものと思っています。

こちらは、芭蕉の句碑(クリックして拡大)いずれも御射山社に因んだ句だそうです。
穂屋が見えて参りました。
どうしても上社の御射山社と比較しまいがちですが、こちらは社や祠の数も少なく全体的に質素です。
左から 児宮社(ちごのみや)祭神:伊弉冊尊、御射山社、八千矛社 祭神:大国主命を祀っています。
(境内図転載:諏訪大社 御射山祭の報告(PDF)より)
ちょっと外れた場所に国常立(大元)社があったようです。すっかり見落としてました。
あと、現地でちょっと気になったことがありました。

Googleマップで御射山社と記述がある場所には「あばらや」があるだけで実際の御射山社はここから少し上がったマップの位置になります。

この辺り一帯 斜面が削られ整地されている様に見えます。
毎年8月26日~27日に御射山社祭がここで執り行われます。

芭蕉の句碑があるところから二手に分かれていたので、登って行くと…。
ちょっとした広場に出ました。
旧御射山社と同じく、かつてここで何かしらの競技が行われていた事でしょう。 
 下社御射山社は、永禄年間(1558~1570)に、この地へ遷座したとのことですが、歴史的な資料が乏しく現在確認できたのは、冒頭で引用した「下諏訪町誌」の一文のみでした。
古代盛大に行われていた御狩場神事が現在は、原山の神事として子供への健康祈願へと変化してはいるものの時代と共に現在も連綿と人々の間に受け継がれている事実は今でも重要な神事と言えるでしょう。
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