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自分はサイクリストではないし興味もありません。
ですが、以前より気になっていた一社「交通守護では無く日本で唯一自転車だけに特化しているお守りを授与できる神社」が、山梨の笛吹市一宮町橋立に鎮座していて、どんなものなのか興味が優先しいずれ近くを訪れたら参拝しに行こうと思っていました。
今回は、そんな参拝目的ではない理由で訪れた甲斐奈神社の紹介です。
甲斐奈神社は、以前訪れた甲斐国一宮浅間神社より西へ2キロほど行った場所に鎮座しています。
甲斐奈神社と呼称する神社は、実は山梨にここを含め三社ほどあり式内・甲斐奈神社の論社とされています。それぞれ祭神が異なります。
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二の鳥居 木造りの両部鳥居です。建立日は未確認ですが山梨の木造りの鳥居は、見るからにみな古そうです。(一の鳥居は社頭の甲州街道のファミマの前にあったようです。現在は、石柱に注連縄がかかっているようです。)
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自転車安全祈願の幟
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隋神門
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隋神像一対 びっくりしたお顔が微笑ましいです。
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拝殿 入母屋平入・正面軒唐破風、白壁漆喰、屋根は銅板葺きでしょうか。拝殿の向きは南向きとなり富士山が正面となります。
ここで扁額に書かれた社名が異なる事に気づきました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/d0/d827ac8cd064902076675c1a654da6f9.jpg)
本殿
祭祀:國常立尊 高皇産霊尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊
由緒:甲斐國志所出の社記によれば当社は延喜式内社であり、甲斐國中式内式外大小の神祇を勧請する一国の總社であった。そのため恒例神事、大事の際には奉幣使や宣命使が派遣され、先づ当社にて祭祀が執り行はれ、それから国内の諸社に対して幣帛がわかたれた。天正十年の兵火に焼かれたが、その後再建され江戸時代から戦前まで隆盛を誇ったが戦後、一時人心が離れて著しく荒廃するも近年氏子、崇敬者の熱意で本殿、拝殿、一の鳥居、両部鳥居、神門、神楽殿等次々に再建、改修整備され、旧に復しつつあり、甲斐國の御親神として広く崇敬を受け県内外から多くの参拝者が訪れ社頭は賑ひを得てゐる。また別称が幾つかあり、神祖大明神又は橋立明神や林部の宮とも呼ばれてゐる。
本殿後ろには天然記念物の御神木の大杉があり甲州三大杉の一つに数へられ「橋立の大杉」として地方に知られてゐたが昭和二十八年に枯死したので其の跡に記念碑が建ててある。江戸時代までは祭礼の日に笛吹川東の神主が全て当社に参集して神楽を奏し盛大な祭祀が斎行され五穀豊穣、国家鎮護の祈祷をした。明治四十年村社に指定された。旧時の社領は四石三斗、社地は四百四十三坪であった。橋立、東原、竹原田、金田の産土神である。また宝物として文化財指定は受けてないが竹原田区の語源になったと云ふ相生の二枝の竹と元文年間作の極彩色の内陣用の狛犬二体、御本殿御扉左右に昇降龍の見事な彫刻が現存する。
祭事として歳旦祭(一月一日) 日供始祭(一月二日) 追難祭(二月節分) 春季例祭(春分日) 夏越大祓(六月最終日曜日) 秋季例祭(秋分日) 箸感謝祭(十一月十一日) 除夜祭・師走大祓(十二月三十一日)
崇敬者成就祭(七月第二日曜日) 朔旦祭(毎月1日) 月次祭(毎月十五日)が執り行はれてゐる (山梨神社庁より)
本殿後ろには天然記念物の御神木の大杉があり甲州三大杉の一つに数へられ「橋立の大杉」として地方に知られてゐたが昭和二十八年に枯死したので其の跡に記念碑が建ててある。江戸時代までは祭礼の日に笛吹川東の神主が全て当社に参集して神楽を奏し盛大な祭祀が斎行され五穀豊穣、国家鎮護の祈祷をした。明治四十年村社に指定された。旧時の社領は四石三斗、社地は四百四十三坪であった。橋立、東原、竹原田、金田の産土神である。また宝物として文化財指定は受けてないが竹原田区の語源になったと云ふ相生の二枝の竹と元文年間作の極彩色の内陣用の狛犬二体、御本殿御扉左右に昇降龍の見事な彫刻が現存する。
祭事として歳旦祭(一月一日) 日供始祭(一月二日) 追難祭(二月節分) 春季例祭(春分日) 夏越大祓(六月最終日曜日) 秋季例祭(秋分日) 箸感謝祭(十一月十一日) 除夜祭・師走大祓(十二月三十一日)
崇敬者成就祭(七月第二日曜日) 朔旦祭(毎月1日) 月次祭(毎月十五日)が執り行はれてゐる (山梨神社庁より)
祭神に、そうそうたる神名が並びます。これで神様の祖神宮の謎は解けました。
現地案内板(写真クリックで拡大)
重要な神事を司っていた事から論社の中でも一番社格が高かったことが伺えます。
由緒に寄れば、ここはかつて前述の神祖宮の他に、橋立明神、林部の宮とも呼ばれていたとあります。
橋立とは、ここの地名ともなっている事から産土神だったのでは無いかと推測しますが、やはり境内の一画に鎮座する「林部天神社」の由緒に興味深い記述がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/1d/25c0ddb384201836636a81cb19e87b91.jpg)
林部天神社 祭祀:天満自在天神(死後祀られた菅原道真の神としての号 )・日本尊尊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/6b/7c9f44733c8cd899ac3ccc21fdddbb36.jpg)
ヤマトタケルが昼餉を摂るのにここへ立ち寄った際、杉の枝を箸として用い刺したてた二本が根を張り稀代の銘木となった…。
これで、別社号と地名にもなった「橋立」とは、箸を立てた事に由来すると言うオチ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/1f/29819e17c5f13f7f62ef2906d468a92f.jpg)
本殿の裏手にはそのヤマトタケルが箸として用いたと伝わる杉の大木(橋立の大杉)の名残りがありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/1e/bf904a073b39f956f1fd0a817186c56a.jpg)
橋立坐大杉 記念碑
続いて境内の摂、末社を巡ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/1f/041ca2d27f61ef2f8a3b00eb45e45198.jpg)
舞殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/5f/0ab0ae210832c894ce8e0be58a0cefef.jpg)
稲荷社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/4c/9f819becd9c35fc482639c1d242b64dd.jpg)
こちらには、五柱之神が合祀されています。
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総社たる所以でしょう。稲荷社がダブってます。
さて、お待たせいたしました。
こちらへ訪れた本来の目的「自転車守」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/ea/e8d2c02ec65e3b76e97d18a3e30591fe.jpg)
4種類あります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/f2/ea116ad55f5e8d3f8ba9afcf28de6637.jpg)
見た目は一緒ですが色で初穂料が異なるようです。
訪れたこの日は、社務所は無人でしたが御朱印(書置き)と、共に購入したい人は賽銭箱に納めると言う何ともローカルなシステムでした。
冒頭にも書いたように、自分はサイクリストでは、ありませんのでお守り撮影させて頂いただけで授与はしませんでした(^^;
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