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ナスカ展

2006-04-27 | イベント
今、上野の科学博物館で開催されている「ナスカ展」に行ってきました。
平日で、午前中は雨だったせいもあり並ぶこともなく入場できましたが休日は、やはり長蛇の列が出来ているようです。
主な展示は、周辺遺跡から出土した抽象的な昆虫や爬虫類などが描かれた彩色土器類が多かったのですが、特に圧巻だったのは、今回の目玉展示のためペルー政府の特別の計らいで公開されたナスカ人のミイラの実物展示でしょう。
数多く発掘されているミイラの中でも特に保存状態の良い子供のファルド(ミイラを包むもの)を開梱したものと、既に開梱され保存状態の良い成人のミイラ1体の実物展示をしていました。驚くことに、最新DNA鑑定の調査結果によれば、ナスカ人と同型のDNA配列を持つ人種は、モンゴロイド即ち我々現代日本人にも一定数存在するそうで、アメリカ大陸先住民が、1万4千年前に中央アジアから渡ってきたことは、今までの学説で分かっており今回の解析で、どうやらナスカ人と日本人には、共通のルーツがあった事が裏付けられこれは、大変興味深い事実です。

ナスカの社会では、人間とほかの生き物の間には超自然的なつながりがあり、命あるものはみな超自然的な力を持つと考えられていたようです。彩色土器に見られるそれらの文様はキツネのような生き物は単に畑で見かける動物であるだけでなく、ネズミなど有害小動物を捕食してくれる、作物の良き守護神という考え方から、ストーリーを持たせ彩色された土器もありました。私感ですがその形状や一部の土器は、子供の背丈程度もある大きなものもあり実用的に使われていたと言うよりは、儀礼的な用途に使われていたような感じがしました。ちょうど古墳に装飾として置かれた埴輪的な役割だったのではないでしょうか。
また、「頭部外科手術跡のある頭蓋」と「頭蓋変形」もあわせて紹介していました。外科手術は、戦傷により高まった脳圧を下げるためか病気治療のためと考えられているようです。頭蓋の変形は、地位を示すためか民族的帰属の印、もしくはファッションのためと説は様々ですが、幼少時に頭にパッドを当てた板を縛ることで頭蓋骨を変形させたと考えられています。頭頂部が異様に細長くなったその姿は、私達現代人から見れば異様に感じますが、体の一部を変形させる行為自体は、今でもエチオピア南西部に現住するスルマ族など(女性が唇に丸い陶器の板をはめる風習で有名)で見られる例もあることから、その当時の文化的な背景を理解できなければ、その謎を解くことは出来ないでしょう。

最後に、有名な「ナスカの地上絵」のコーナーがありました。バーチャルな飛行体験も出来るマルチスクリーンを使った地上絵のCGは、なかなかよく出来ていました。(驚きなのは、このCGがわずか4台のWSで上映されていたそうです。以前なら部屋いっぱいのスーパーコンピューターで行われた作業が3台のWSで出来ているとは…。おそるべし技術の進歩(^_^;))
ナスカの地上絵というとハチドリやサルなどの生物類や渦巻き文様などを思い浮かべますが、むしろそれらのものは、ごくわずかで幾何学的な直線や三角などに着目することが重要です。
ナスカの地上絵のが作られた理由については、今までに幾多の説が唱えられてます。
今までの学説では、マリア・ライヘ女史の「カレンダー説」が有名でした。
彼女は、ナスカ高原一帯には、作物の植え付けと収穫時期を暦から割り出していた世界最初にして最大の農業国があったと考えていました。もしそうであるなら、日月星辰が昇る位置を示す示す直線は、明確な目印になったはずであり、長いもので40キロ以上にも及ぶこれらの直線の多くが、凹凸の激しい砂漠の地形にも拘らず、ほとんど曲がらず、まっすぐに伸びているのは、地上絵の直線が星々の位置を指すよう製図されたことの証左ということになるからです。

彼女の業績ゆえ長年に渡って最も有名な仮説でしたが数学者ジャラルド・ホーキンズ博士によれば、コンピューター解析によって諸天体の運行と地上絵に描かれた直線とは、偶然の確率以上ではないことが証明され科学的な裏づけは無くなってしまいました。
最も彼女の業績は、むしろ地上絵が“どのようにして”作られたか”という疑問には、明確に答えてくれています。
彼女が1946年に初めてナスカにやって来たとき、かつて地上絵の線に沿って木の柱が一定の間隔で立っていた事実から古代ナスカ人が考案した土木工法を推定しました。
即ち、二本の棒を立てれば、その間に直線が描け、二本の棒から外れない位置に新たな棒を立てれば、延長線を次々と描くことが可能なわけです。(これを裏付ける事実として、ラインの端に残された木の杭が発見されたそうで、炭素14元法が用いられ解析した結果当時の物であることが判明したそうです。)
また、ハチドリ等の図形に関しては、その原画となった2平方メートルばかりの小さな絵が多数発見されているそうで、地上絵は同じ倍率で拡大して描かれたことが判明しています。すなわち、地上絵の製作者はまず縮尺モデルでデザインを考案し、それを分割して区画ごとに木の柱を立て、相似形の理論と標準化された長さの単位(ライヘによれば0.66センチ)を用いることで正確な拡大率を実現し、忠実にデザインを模写していったと考えられるのだそうです。

一時期のデニケンらの唱えた「宇宙人滑走路説」も個人的には、興味のある分野なので興味はつきないのですが、果たして当時の航空機が現代のような飛行理論で飛んでいたのは、はなはだ疑問であり、最近の研究成果などを考えると可能性は、極めて低くいように感じます。最も空からのアプローチからは、「支配階級が気球に乗って、上空から地上に描いた絵を楽んでいた」といった説もあるようです。
これは、以前テレビでも紹介され記憶に新しいのですが実際に当時の技術で十分飛行可能な気球を製作することは可能であり実際に製作し飛行再現も行われました。確かにこの説ならば、上空から地上絵を楽しむことが出来るでしょう。ですが、本当に当時のナスカ人たちがそんな技術を有していたのかには、疑問が残ります。

最後に、祭祀説は、常に可能性として否定は出来ず最も無難で有力視な説です。
ナスカ人達が自然と万物の超自然的な神と一体化(この辺りの考え方は、日本人のルーツにも相通ずる所があり興味深い)していた事は冒頭でも記述しましたが、最近の有力視説として雨乞い儀礼説がありますので最後に紹介しておきます。
ナスカの地上絵はみな一筆書きで描かれていることは、有名ですがそれが雨乞いのための楽隊の通り道になっていたというのです。ペルーの国宝の壺にもこの楽隊が描かれたものがあり、現在も続いている行事なんだそうで、人々は雨乞いのために一列になって同じ道を練り歩く。この道筋としてナスカの地上絵が作られていたという説です。
現代でもその儀礼が伝承されている事実に着目し唱えられた説なんだそうですが、確かに水との共存は、ナスカ人にとって生死を分ける問題でありそのような儀礼が行われていたとしても不思議ではないでしょう。

 自分的には、雨乞いの祭祀儀礼がその目的でも構わないのですが、ナスカ人の持っていた宇宙感 即ち「人間とほかの生き物の間には超自然的なつながりがあり、命あるものはみな超自然的な力を持つ」という考え方に答えがあるように感じます。言い換えればグノーシスのルーツ的な意味合いにも感じられます。地球に生なるものは、皆つながっており自分達が住む大地もまたしかり、その大地に印を描き万物の神とも一体となる事を望んでいた。ラインや幾何学的な文様。三角形などは、単純ですがその存在を知らしめるには、明快であることから地上絵は、地上に住む生きるものの存在を宇宙にも住まうと信じていた神に知らしめるが為に描かれたものとは、考えられないでしょうか?


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1 コメント

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地上絵は (Ginger)
2006-05-04 21:24:35
これといい、国立歴史民族博物館の神社企画といい、都会はよい催し物があっていいですね。

うらやましいです。



さてナスカの地上絵ですが、以前『世界不思議発見』で(ナスカのものではないですが)「地上絵は隊商の旅の道標だった」とやっていました。

たしかに丘や山肌に描かれたものにはそういった意味合いのものもあったかもしれません。

しかしそれでは遥か上空からしか形を把握する事のできない地上絵の存在の説明がつきません。

私はそれらは 天から地上を睥睨しているであろう神様への捧げ物 だったのではないかと思っています。
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