傍流点景

余所見と隙間と偏りだらけの見聞禄です
(・・・今年も放置癖は治らないか?)

『Demonlover』 ~オリヴィエ・アサイヤスって・・・

2005-02-28 | 映画【劇場公開】
『DEMONLOVER』公式サイト(3/12~公開)

 試写で観てきました。監督のアサイヤスは、私の中ではマギー・チャンの元夫ってトピックが一番大きい人で(笑)彼女に惚れこんで撮ったとしか思えない『イルマ・ヴェップ』('96)は確かに面白かったです。
 今回と同じく音楽にSonic Youthを使ってて、それが映画の内容にはアンバランスでも、映画のスタイルには不思議と合っててね。フランス映画は、ちょっと苦手なタイプの人が多いけど、この人の現代的でお洒落すぎない、尖りすぎてないセンスとかは嫌いじゃない 。あと、使う女優の趣味が合います(大笑)。

 今作の主演・コニー・ニールセンは『グラディエイター』にも出てたそうだけど正直印象薄くて覚えていない。でも、とても雰囲気のある色っぽい女優さんだったんですねえ~。彼女がとても良かった。ただ、マギーのときと同じようにラバースーツとか着せられてるので、もしかして「ソレは監督の趣味なのか?」と(爆)。いや、いいんだけどねラバーフェチでも(>断言しちゃマズイでしょっ;;)。あと、スクリーンで観るのは久しぶりのジーナ・ガーションが、少ないシーンながら相変わらずワイルドな色気たっぷりでときめきました。クロエ・セヴェニーは、なんというか、もう彼女は一時期のジュリエット・ルイスみたいに、何をやっても彼女独特の存在感を放つ人なので、ファンは必見でしょう(笑>でも思ったほど目立つ役ではないですが)

 肝心の映画は・・・そうだなあ~上記の女優や監督のファン、Sonic Youthファンの一部には普通にお薦めできます。映画の前半に少し出てくる大森南朋くんのファンには微妙かも^^;; いや、彼はいつも通りですけどね。ちなみに、日本のアダルト向けアニメの製作会社の若き社長役。
 そう、本作では「これからの日本経済の中心はアニメ、マンガ絡みの(ネットを媒介とした)セックス産業」として注目されている。しかし、これは映画の中ではキッカケに過ぎず、要するに現代では、ネット上でそうしたセックス・暴力(SM)産業は莫大な利益を与えるマーケットであり、それをビジネスとして扱う人間の中のうすら寒いような空っぽさやとか、利益に群がる企業の裏の攻防とか、そこに入り込む暗い欲望であるとか、社会的自己と本当の自己の混乱とか、そういったことが論理的というよりイメージ的に描かれている。
 だから、映画に「はっきりしたお話・テーマ」「筋道」「結論」とかが欲しい人にはつまらない、かもしれない。(実際、私の後ろに座ってたおじさんは終わった直後に「駄作だな」と断言)
 私はそういうタイプではなく、雰囲気ものでも楽しめるほうなので(笑)それなりに面白かったです。映画としての強度は物足りない部分もあるけど、意欲作とは思えるし。繰り返しになるけど、Sonic Youthの音もいいし。ただ『イルマ・ヴェップ』のときのほうが印象的だったかも・・・。
 ちなみに、画像は作中に出てくる拷問サイトHell-Fire Club.com(身も蓋も無いぞ~)から。緊縛モノとかも当然あるんですが(笑)とりあえず、カワイイやつを。

 やっぱ、フランス人監督は自分の惚れた女を撮るときが一番いい仕事をするのかもしれない(笑)。
 ってことで、別れてもきっと好きな人であるマギー主演の最新作『クリーン』早く観たい!ってことで、日本公開早期実現を熱烈希望です。

※マギー・チャン(張曼玉)…香港出身の女優で、近年の代表作はウォン・カーウァイ監督『花様年華』、ピーター・チャン監督『ラヴソング』、チャン・イーモウ監督『英雄』等。
 個人的に、最も愛する女優の1人です。

『素肌の涙 ~THE WAR ZONE』 ('98年・英国 )

2005-02-26 | 映画【旧作】
 金曜から三日間はレンタル半額!ってことで、このところご無沙汰してたTSUTAYAに寄って帰宅。
 この作品は、俳優として大好きなティム・ロス初監督作ってことで、長い間観なきゃ~と思いつつ、近親相姦という重量級な題材につい二の足を踏んでいたのだ。が、そういや世間様では散々なアレキサンダー@コリンのデビュー作だったんだっけ・・・などと思いつつ、借りてきてしまった。

 ・・・・・・想像以上の破壊力でした。見ててだんだん息苦しくなるは、終わり際は殆ど涙止まらないしで、観終わった後は軽い虚脱感に襲われるはめになりました。
 しかし紛れもなく、久しぶりに観る「コレぞ英国ワーキングクラス映画(ケン・ローチ監督に代表される)」という作品。そこには、決してドラマティックな演出はない。情動を盛り上げる音楽も殆どない。登場人物はみな等身大の、一見普通の人々である。彼らの荒涼とした心が映し出される風景に重なり合い、灰色の日常が正面から描かれる。
 そして、子供たち。私が特に英国ワーキングクラス映画を愛し、信じられると感じるのは、出てくる子供たちが大抵無愛想で不機嫌な顔をしているからだ。彼らは滅多に笑顔を見せず、涙を見せることもない。幼くして、すでに生きることは闘いである、と知っているから。泣いて解決することなどありはしない。だが、子供らしい夢や希望をまったく持っていないわけではなく、そのアンバランスさが切ないのである。
 本作もそうだ。原題はThe War Zone。子供たちは家庭という戦闘地帯で苦しみ、しかし生きていくために必然の犠牲を払わなければならない。
 曇天の空の如く、しかし力のある画面が淡々と描く、家族の不幸。最初のうち、観客は彼らにどんな問題があるのだろう、と思うだろう。しかし、笑わない子供たちの、父親に対する態度が不自然であることに次第に気付かされる。弟は無口で、姉は俯きがちだ。何も知らない母親だけが無邪気に見える。この家族のなかで、或いは一番哀れなのは彼女かもしれない。ある日、忌まわしい出来事を目撃してしまった弟は、激しい動揺を姉にぶつける。それは、あってはならないことだった。彼の世界の混乱と崩壊が始まった。既に姉の世界は崩れ落ちる寸前で、彼女は怯え、なかば諦めて無気力に鬱屈を溜め込むだけだったが、弟に知られてしまったことで、感情の堰が切れてしまう。父親との病んだ関係を弟に責められて、彼女が静かに、けれど強く突きつける言葉。
 「人生は甘くて優しいと思ってた?違うのよ」

 決して誰にでも薦められるという作品ではない。しかし、こういう現実もある。それを噛み締めたいときに観るといいと思う。
 俳優としてのティム・ロスは最近あまり大きな仕事をしてないが、監督としての才能も相当なものがあると見たので(寡作タイプだと思うが)是非ともまたカメラの前だけではなく、後ろでも仕事をして欲しい、と思った作品であった。

 最後になるが、俳優たちのキャスティングにも、ティムの監督としての誠実さを感じた。いかにも英国映画俳優然とした自然な演技を見せる父親@レイ・ウィンストン、母親@ティルダ・スウィントン。 しかし、何より肝となる姉弟の二人。美しいけれど、どこか空虚で痛々しい雰囲気のジェシー@ララ・ベルモントと、暗い目が切ないトム@フレディ・カンリフが素晴らしかったです・・・。(あ、コリンはジェシーのボーイフレンド役で、2シーンくらいで終わりでした(笑))

“傍流点景”を御覧頂いている皆さまへ

2005-02-25 | コトワリガキ
 今月から始めたばかりの拙いマイ・ブログでございますが、訪れてくださる皆さまには心から感謝しております。
 最初のコトワリガキの通り、おもに私が好きなものを「書きたいように書く」という、極めて独り善がりかつ論理性の希薄な作文でのお眼汚しでありますが、これがご縁となれば嬉しい限りであります。

 特にTB記事をつけてくださる方には、誠にありがたく存じます。例えば1つの映画に関して、人が違えば視点も異なる色んなご感想を拝読できるのことは、視野が広がり、また新しい発見があったりして、私にとっては楽しいことこの上ないです。(ブログを使ってみて、初めて知った機能なので^^;;)

 またコメントをつけて頂く方も同様で、1つの記事について共感してくださったりご忠言を頂いたりすることも、大変嬉しく思います。もちろん、記事に対する疑問・質問、反論や建設的意見交換(但し私は、決して優秀な論客ではありませんのでご承知を~)は臨むところであります、が。

 それゆえに、一言お断りさせてください。
 コメントをご投稿頂く際には、必ずご記名をお願いします。
 無記名のもの、アスタリスク等のものは、削除させて頂きます。
 同様にTBに関しても、記事本文と無関係・不適当と当方が判断した場合は、予告なく削除いたしますので、ご了承くださいませ。

 それでは、今後とも“傍流点景”をお楽しみいただければ光栄です。

そういや25周忌だった・・・

2005-02-25 | 音楽
 今宵の気分はAC/DC。何故なら、うっかり見つけた記事で好き心が一時的に復活してるので(笑)。
 AC/DCの集大成DVDボックス“Family Jewels”発売

 うわあ~~コレは迷うなあ~~!! だがしかし、現時点では日本発売なし。リージョンフリーではないようだし、迷ったところで意味もないという厳しい現実^^;; だが、私にとっての目玉であるBon Scott在籍時の映像の割合如何によっては、日本盤発売まで辛抱する心構えがあるのだが、どうなんだろうか・・・詳細レヴューが待たれるところである。(人頼みなのか)

 AC/DCといえば、HR/HM愛好者においてはリヴィング・レジェンドの1つに数えられるであろう豪州出身・現存する世界最強のロック・バンドである。(クラシックというかポピュラー、という意味で。なんつっても、英語圏のトラック運転手が最も愛好するバンドでもあるらしいからね~。ええ、当然ワーキングクラス・ヒーローです!)
 だが私が愛するのは専ら、80年に亡くなってしまった初代ヴォーカリスト・Bon Scott在籍の時代、つまり70年代までの彼らである。とはいえ、Malcom、AngusのYoung兄弟がこのバンドの中心であり、その音はRamones、Motorheadと並び称される黄金の金太郎飴サウンドなので(笑)、勿論今のAC/DCだって嫌いなわけじゃない。好きだけど・・・やはりヴォーカルの違いというのは、個人的には物凄く大きい。好きのレベルにかなり差がついてしまうのだよな。

 さて、知ってる人は知ってるはずの話。Bon Scottの死因は、過剰飲酒による嘔吐物での窒息死である。そんな死に方するほどにデストロイな酒飲みで、どーしようもない人だったらしい。今から25年前、1980年2月19日のこと。享年33歳。
 ロック界においては、特に夭折した人は妙に持ち上げられる傾向があるが、私は「どんな生き方をしようが、死人は褒め称えるべし」なんて冗談じゃない、と思う。特に病気とか事故とか止むを得ない事情ではなく、自殺もしくはそれに等しい自滅行為でくたばった人は、単にダメなヤツなので意地でも賞賛なんかするもんか、と思う。
 だが。私は、そんなダメな人に惹かれてしまうことがあるのだ。
 Bonもそうだ。酒飲みで喧嘩っ早くて「どーしようもなくダメだった」Bonのことが大好きだ。
 その酒灼けして、しゃがれたハイトーン・シャウトも、見事なまでに酒とおねえちゃんと車とロッケンロー!オンリーなアホな歌詞も愛しくて仕方がない。そして、当時バンド最年長だったというのに(一番下のAngusとの差は13歳!)最も子供っぽいその笑顔も。(ただ、確かに長生きしそうな人には見えないわけで、そういう意味ではひどく切ない気持ちになる彼の笑顔ではある)

 私がAC/DCを知った頃は、既に二代目にして現ヴォーカリストであるBrian Johnsonだった。だからBonについては、残されてるアルバムと傑作ライヴ・ビデオ『Let There Be Rock』の中でしか知らない。それでも、惚れるには充分の魅力だった。特に、彼のライヴ・パフォーマンスにはやられた。
 永遠のスクールボーイ、バンドのアイコンであるAngusの、激しいギター・パフォーマンスに決して劣らぬ存在感。正にステージに放たれた野獣のような眼、その野生の色気に溢れた声。ステージの間に挿入されるインタヴューでは、人の良さげな、そしていかにも酒と女に目が無い、といった兄ちゃん風なのに。
 まあ、ミュージシャンなんてのは、そんなものですね。社会生活においては普通の人以下の人格でも、楽器持ったりマイク握ったりすると、得体の知らない何かが憑依する、ということ。そういう種類の生き物なんだから。
 
 そんなふうにBonについての思いを馳せていると、ついこんなことを言いたくなる。
 集大成DVDもいいが、今だビデオ・オンリーな『Let There Be Rock』こそ、一刻も早くDVD化してよ。頼むよ、Angus!(Malcom兄ちゃんに言ったほうがいいのか?)

『パッチギ!』再見

2005-02-22 | 映画【劇場公開】
 おそらくはかなり勘違いも入ってると思うのだけど、私は生粋の東国の人間なので、西国に対して妙な憧れがある。まずは、あの会話のリズムとスピード、言葉遊びの妙。あっけらかんとして歯に衣着せぬ物言い、その感情表現の直裁さ(あっちの全ての人がそうではなかろうが)。
 確かにそれは傍観者・外からの人間の視点であり、中に入ればムラ社会の結束の固さゆえ強いローカリズムとか余所者を受け入れない頑なさとか諸々嫌な部分もあるのだろうけど、特に映画に関して言えば私は西日本を舞台したものはかなり好きだったりする。映画監督で好きなのも、あっち出身の人が多いしね(笑)。

 で、この『パッチギ!』。井筒監督に関しては、文句の多い偉そうなおっさんだよなあ、とは思えどこの人の作品というのは非常に王道ド真中で、メッセージ性も多少はあれどベッタベタである意味非常に保守的(時代に即した新しさや冒険は殆どない)な映画を撮る人、と思っている。そして、この作品もまた、そのイメージを覆すものではまったくない。松竹人情モノのテイストも交えた、安心して笑って泣けるベタベタな青春娯楽作だ。
 だが、それでも尚、また観たいと思ったのは映画の準主人公アンソン役の高岡蒼佑のファンだというのは勿論大きいのだけど(笑)久々にスクリーンで観る学ラン男子集団による喧嘩祭りシーンがサイコー!だからだ。
 こんなに喧嘩シーンで血が萌える、いや燃えるのは、三池崇史監督のビデオ作品の傑作『喧嘩の花道~大阪最強伝説』以来である。

 本来、この映画の主筋は寺の息子でフォーク少年・康介(塩谷瞬)と、在日朝鮮人美少女・キョンジャ(沢尻エリカ)の切ない恋物語なわけだが、私としては、美少女キョンジャの兄貴アンソンとその舎弟分たち(朝鮮高校の番長一派)VS康介の通う京都東高校・鉄ゲタ喧嘩部、ちゃう空手部の、仁義なき戦いのほうに俄然気持ちが入ってしまう。
 やっぱり学ラン男子の喧嘩の基本は素手ゴロ上等だよな!(いや、まあ映画の中では、鉄パイプとかチェーンとかボーリングピンとか酒瓶とかも使ってるけど^^;;) 怒りも悲しみも全てパッチギ(頭突き)と拳にこめて、走れ青春!!なんだよ!!
(・・・我ながらアホ全開だと思います・・・すみません。ちなみに、主人公のフォーク少年は、一目ぼれの恋に向かってまっしぐら、そしてブチ当たるやりきれなさや切なさを唄にこめて昇華させるわけで、これはこれでまた良しなんですがね)

 確かに喧嘩は暴力だし、小さい戦争、ではある。しかし、彼らのような種類の少年たちにとっちゃ、喧嘩は己の力・根性試しの機会であり、それ以上に気に食わない相手やわからん奴と積極的にコミュニケーションをとるための手段なんだよね。
 仲間をバカにするヤツは決して許さない。話合うなんてまどろっこしい真似できないから、口より先に拳と蹴りとパッチギを喰らわせる。だが、お互いが生身同士でドツキ合うからこそ芽生える何かってものが、そこには存在するのではないか。だから彼らの喧嘩は、勝負も大事だがそれ以上に彼ら流の血と痛みの伴う遊びではないかと思うのだ。たとえ不意打ち食らわせて半殺しの目にあわせても、本気で息の根止めようとしてるわけじゅない。何より、すんごい形相で取っ組み合ってても、彼らの体からは喧嘩が楽しくてしょうがない感じが滲み出てる。
 映画の中でそれが端的に窺い知れるのは、鉄ゲタ集団に袋にされて、手押し車のセメントぶっかけられる朝高トリオのシーンだ。アンソンの舎弟頭(?)であるバンホー(波岡一喜)は、どんだけボコられてようが「(セメントかけるなら)ダンプで持って来いやーっ!」と煽る心意気。カッコいいなあもう!(勿論、爆笑ポイントでもある)嗚呼、私もこの時代(1968年)に男子高生であったなら、確実に憧れる世界がココにはある(えぇっ?!)。

 ・・・と、ここまでこの映画の喧嘩に固執した感想も無いと思うが(笑)勿論良いのはそこだけではない、ということも付け加えておこう。
 配役と脚本が細かいところまで行き届いてて、実にいい顔の揃った見ごたえのある群像劇でもある。特に良い面構えなのが、アンソンの舎弟分であるバンホーとチェドキ(尾上寛之)。ちょっと見、やはり番長としては男前過ぎる(笑)アンソンの脇を彼らが固めてるからこそ、アンソンの番長ぶりに説得力が出てきたのではないか、と思う。殆ど漫画な東高鉄ゲタ部(爆)の面々もサイコーだったし、アンソンの日本人の彼女・桃子(楊原京子)も健気で良かった。在日朝鮮人役の人たちもそれぞれにいい味だし(前田吟や木下ほうかは言うに及ばず、アンソン・キョンジャのオモニであるキムラ緑子もハマり!)左翼教師でロシア人の風俗嬢とデキてしまう光石研には大笑いだった。もちろん、キョンジャの清楚すぎない可憐さが、この映画のオアシスであったことも忘れてはならない(笑)。
 そうそう、最後にひとこと。康介のエピソードのクライマックス、彼が『イムジン河』をラジオで唄うってときに、局のお偉いさんとモメるディレクター役の大友康平が凄くオイシイです。この人、同じく井筒監督の『のど自慢』でも良かったけどね。
 「この世の中に唄っちゃいけねえ唄なんて、ねぇんだよ!!」の台詞には、深く頷きつつシビレましたよ、ええ。

『シザー・シスターズ』('04)/SCISSOR SISTERS

2005-02-19 | 音楽
 祝!Brit Awards 3部門制覇!そして初来日!しかも東京公演ソールドアウト!
 ……こんなことなら迷わずチケット取るべきだった~~きぃーーッ(大涙)!!Manicsと某バカ兄弟に気を取られ、体調不良でグタグタしてる間にこんなことになり、後悔しきりでありますが、せめてこの鋏姉妹のご紹介を。

 前述のごとく、今やUKで大人気の鋏姉妹ちゃん達だが、彼らの出身はUSAはN.Y.…その街でこのルックス、ということは5人メンバー中3人がゲイ、というのも納得である。そして、そんな彼らだからこそブレイクしたのが変わり者を進んで愛好するUK、というのも物凄~く納得。
 個人的には見た目だけで好き好き大好き♪なのだが(グラムロックが私の基本なもんで・・・)音も大当たり! このデビュー・アルバムは、チャラチャラしたグラム・テイストに80's NW&スウィートなディスコ・ポップ(Prince系のラヴ・セクシーな要素も隠し味!)満載の名盤じゃなかろうか。つまり、実は見た目ほど浮ついてるわけじゃなく、古すぎない程度に懐かしい、意外と正統派な音作りなのだ。
 そして、一番ブッとんだのがPink Floydのカヴァー“Comfortably Numb”。コレは言われるまで誰も気付かないって! オリジナルはあの『The Wall』収録、全体的にダウナー一直線なあのアルバムの中でも歌詞の救いのなさでは一二を争う曲が、なんと。多幸感漂うスペイシーなダンス・ミュージックとなって再生されるとは・・・。いやあ、参ったね!(コアなPink Floydファンの感想を是非聴きたいものだ。私は一般的な薄ーーいファンなので、よくやったなあ、という感じだが^^;;)
 で、もしかしてこのカヴァーで怒りを覚えてしまったフロイド・ファンには是非とも“Mary”と“Return to OZ”を聴いて欲しい、と思う。
 これらの曲のメランコリックさ&美しさにはPink Floydの影響を色濃く感じるのだが、どうだろう。(特にギターの響きなんてギルモアチック。ただし、Jakeの切々と歌い上げっぷりには陶酔オネエ・ソング風味もふんだんに感じられるわけではあるが・・・)
 もっとも全体的にはダンス♪な感じで、本当に聴いてて幸せな気持ちになる。そりゃあ、灰色の空と日常を忘れて踊り狂うのが気晴らしの英国民には、ウケて当然でしょうよ(笑> 行ったこともないクセに、偏見でモノを言っててすみません)。

 実は、私が彼らの音と姿をちゃんと知ったのは、今更ながら私がハマるキッカケとなった某バカ兄弟出演の“グラストンベリー2004”のテレビ放映。(蛇足ながら、私にとってはこの放映はかなりの収穫だった。結局のところ、鋏姉妹と遅まきながらのバカ兄弟、そしてBlack Eyed Peasを知ることができたのだから!あとは、去年のFujiで改めて良さを確認したP.J Harveyもやはりカッコ良かった~)
 このときのJake君(vo)は、チアフルでハッピーなZiggy Stardust(?)って感じの衣装で、Ana嬢(vo)は…一瞬ニューハーフのオネエさんか?と思いました。豊満過ぎる体と貫禄有りすぎのお顔は、すっご~く出来のいいジェイン・カウンティみたいで(またマニアックな喩えを…)。失礼しましたっ! よく観たら、れっきとした女性でした^^;; 彼らのステージは昼間の雨降り状態だったんだけど、お客は滅法盛り上がってて、超楽しそうだった。嗚呼。私もグラストの客に負けず劣らず、彼らのステージ観て満面の笑顔で踊りたかったよう・・・(結局愚痴で終わるのかい)

 ジャケ写真は、DVD付国内特別盤。もしこれから入手なさる予定のある方には、通常盤ではなく是非此方をお薦めしたい。
PV4曲にライヴ映像1曲収録のDVDは必見!やはり音とヴィジュアルのセットこそ、彼らの最強の魅力。美人でノリノリなJakeと、姐御系Ana(流石スージー・スーを最大リスペクトと言うだけのことはある!)のコンビネーションの良さも際立ってます。(“Take your mama”のPVはB-52'sぽくてカワイイ。そして“Mary”は、なんだかちょっと泣けます・・・)
 
 ※泣けると言えば、Ana嬢のこんなエピソードも泣けます。読んでみてください。
 アナ、父親の恋人を探す

映画覚書~Feb.中旬まで

2005-02-18 | 映画【劇場公開】
◆復讐者に憐れみを
『オールド・ボーイ』は好きかと言われると微妙だけど有無を言わさぬ気迫があって凄かったし、『JSA』は骨太な社会派娯楽作品として良く出来た作品だったパク・チャヌク監督。彼は映像センスもいいし、ストーリーテリングもしっかりしてると思うのだけど、本作は……これは北野武テイストなブラック・コメディなのかなあ? あんまり笑えないけども。
所謂“ボタンの掛け違い”でどんどん悪い事態に巻き込まれる二人の男に新自由主義批判を絡めた作品、という意味では米国の佳作『チェンジング・レーン』に似てるが、こっちはちょっと焦点がブレてるような気がする。かなり惜しい、という気持ちになる。本来好きなタイプの映画のはずなんですけどね^^;;
但しラストは納得。救いが無い、と言われてるそうだけど、私はあの○○集団が出てきたとき、思わず笑っちゃいましたよ。あのラスト前の河のシーンで終わった方が、逆にイヤ~な気持ちになっただろうな。だって結局、復讐という行為は自分に撥ね返って来るもので、する方もされる方も命懸けなのだから。

◆End Of The Century
 去年一度観て、公開終了日に再見。これについては改めて書きたいと思いますが、とにかくロックものドキュメンタリーとして、全てのロック教信者(笑)必見の名作!
 Ramonsというバンドの歴史と内実を描きながら、バンドという因果な共同体の光と影が、凝縮されてる。私はRamonsのコアファンではないけども、ジョーイに深く共感し、ジョニーの漢ぶりに涙し、ディーディーの良くも悪くも軽いところに愛おしさを感じました。

◆ターミナル
 御伽話なんだろうね。それなら徹底して欲しかったなあ、というのが正直なとこ。中途半端な部分(及び強引な展開)がひっかかってノリきれませんでした…。
まあ個人的にトム・ハンクスが苦手、というのもかなり影響してるかもしれん。それに、せっかくあの!キャサリン(・ゼタ・ジョーンズ)が清楚で可憐な行き遅れ(なぜなら不倫中なので)スッチーを好演してるのに、何故恋愛話はそんなに現実的なのよ~? >スピルバーグさんよ。

Manic Street Preachers@渋谷AX(2/10),Zepp tokyo(2/13)

2005-02-14 | 音楽
 目下、現役活動中の我が最愛バンド in UK代表・Manic Street Preachers。
92年の初来日から今回まで、来日は必ず観続けてきて今回で6回目になる。いつのまにやら干支一回り分、彼らを追いかけてきたらしい。やたら気が多くて飽きっぽい私にとって、このバンドとUS代表のPearl Jamだけは別格で“同期”の思いで追いかけつづけている人たちである。(ついでにManicsのメンバーは本当に同世代だし;; 年季入ったオールド・ファンですよ、ええ!)
 そんなわけで、思い入れだけでお腹一杯な文章が続くことを警告しておこう(笑)。
 東京2夜分のライヴを終えて、とりあえず一言。
 デビュー当時、さんざん場違いでアナクロな勘違い反体制パンク・バンド(但し音楽的には超ポップで、一聴する分には「普通のロック」という感じだろう)と呼ばれていた彼らは、今やすっかり、見事なまでに大人のバンドに成長していた。
 ただしそれは、耳に心地よいだけの当り障りのない音楽になった、という意味では、断じてない。

 Manicsの当初のテーマは、極めてポリティカルな「彼らを取り巻く世界(欧米資本主義中心の社会)への怒り」だった。(今でこそポリティカルな主張を語るロック・バンドは珍しくないが、彼らのデビューの91年当時、そんなバンドはほぼ皆無だったのだ。彼らは「遅れてる」と嘲笑されたが、今となっては「早過ぎた」とも言えるのではないだろうか)
 今まで生き延びてきた今の彼らにあるのは、揺ぎない「世界(政治だけではなく)への永続的な嘆き/透徹したメランコリア、その中で生きていく」という意志の強さだ。そして、ファンに対してはその共感や連帯を押し付けることなく、撥ね付けることもなく全て受け入れる。そうした意味での「大人」であり「成長」である。

 幼馴染4人から始まったManicsは、95年実質的リーダーであったメンバーの失踪(現在に至るまで生死不明)という悲劇を抱えて尚活動を続け、翌年のアルバムでよもやの№1バンドの座を勝ち取る。
 その後出身地のウェールズのみならず、UKの国民的バンドとして成功をおさめ、常に葛藤を抱えて歩んできたこの10年あまり___

 それを思うと、名実ともに風格さえ備えたステージ上の彼らの姿を観た瞬間、涙腺緩んでしまう自分がいた。まったく寄る年波には勝てないなあ(笑)……といっても、そんなに久しぶりではないんですけども。'03年にも来てるし(笑)。正直、ここ何年かは結構頻繁に来日してくれてるので、ある意味ありがたみは薄いのだが(>酷いぞ)それでもやはり、3人となったManicsの来日ライヴを観るたびに、格別の感慨に胸が詰まる。(演奏能力の目覚しい成長にも隔世の感があるけども、それはまた別の話)

 今回は去年末に出した新譜『Lifeblood』に伴うワールドツアーの一環であり、ライヴはこのアルバムの1曲目〈1985〉で幕を開けた。「1985年。ベッドで横たわる俺の手に、残されたものなんか、すっかり無くなっていた」というフレーズで始まるこの曲を聴くと、彼らの1985年がそのまま自分の1985年に変わっていく。もうそれだけで感無量になり、目頭が熱くなる。間違いなく、国は違えど時代を共有していた世代にしか伝わらない想い。
 しかし感傷に浸る間もなく、歴代名曲の連打。その曲ごとに思い返されるものに、我を忘れて突き動かされつつ、時に大声を張り上げて共に唄い、アッという間に時間は過ぎてしまう。外は真冬というのに__Manicsの日本公演は大抵そうだが__体は夏以上の熱で汗だくになって、ライヴが終わる。
 終わってしまうとしばらく虚脱状態になるのだが、これで今年も春までは暖かい気持ちで過ごせる気になる。そして改めて誓うのだ。世界はいまだに酷くて悪くなる一方で明るい未来なんて当分無理なんだろうけど、それでも生きていこうじゃないか。彼らが続く限り、私も付いて行こうじゃないか、と。

 近年の名曲群の中でも、個人的に愛している〈The Masses Against The Classes〉という曲がある。
この唄のフレーズで、とりわけ日本のファンの心を代弁しているような(笑)以下の一節を捧げて、〆の言葉に代えよう。
___俺たちは冬を愛している。なぜなら冬こそが、俺たちをより近く結びつけてくれるから。


Manic Street Preachers in Zepp Tokyo / Feb.13

01. 1985
02. Faster
03. If You Tolerate This Your Children Will Be Next
04. No Surface All Feeling
05. Empty Souls
06. You Love Us
07. Yes
08. The Love Of Richard Nixon
09. Kevin Carter
10. La Tristesse Durera
11. Die In The Summertime
12. Solitude Sometimes Is
13. The Masses Against The Classes
14. Archives Of Pain (Acoustic ver. 1chorus)
15. Small Black Flowers That Grow In The Sky (Acoustic ver.)
16. You Stole The Sun From My Heart
17. I Like To Fall Asleep
18. ~R.P.McMurphy ~Sweet Child O'Mine(intro)~
  Motown Junk
19. Cardiff Afterlife
20. Motorcycle Emptinss
21. A Design For Life

Manic Street Preachers_official site

『アレキサンダー』~100%オリバー・ストーン

2005-02-13 | 映画【劇場公開】
 個人的な嗜好の話から始まって恐縮だが、私は子供の頃からヒーローものが苦手である。世間で褒め称えられるヒーローなんて胡散臭いからだ。どんな偉業を成し遂げた人であっても、聖人君子のように語られる人であっても、それは一面的なものではないのか。人間とは、もっと複雑な要素、矛盾をはらんでいるものではないのか。むしろ彼の人が手にした栄光や名声が大きければ大きいほど、その裏側には闇と犠牲があるものではないのか。
 『アレキサンダー』は、その点で私の嗜好に実にぴったりとハマった作品だった。もしかして、オリバー・ストーンが好きなのか?(笑)ストーン監督の映画は、実はあまり観てないし特に好きと意識したことはない。『エニィ・ギブン・サンデー』を観て、そういえばこんなにクドイほど暑苦しいのはあの監督だからか、と思い出した程度(この作品はフツーに好きです。アル・パチーノ主演だし)。だが脚本では、マイ・フェイバリットの作品群に連なるものがあったことを思い出した。(『スカーフェイス』『ミッドナイト・エクスプレス』)
 確かに不評をかこっている原因はわからなくもない。彼が撮るものが「スカッと爽やかなヒーローもの」だったり「娯楽大作」だったりするわけがなく、そうした期待を持って観る観客は肩透かしを食らうのだろう。
 とにかくオリバー・ストーンは、己の撮りたいものを全てブチ込み刈り込むことをせず、過剰さをクドイとか演説ばっかやめてくれとか言われようが意に介さず、とにかく「俺の考えるアレキサンダーとはこれだ!」というものを見せつける。が、それがストーン監督作品なんだから仕方なかろう(免罪符かよ)。
 少なくとも、無難に手堅く小奇麗にまとめた娯楽大作より、バランスが多少悪くとも伝わるものがガツンとある本作のような映画のほうが、私は好きなのだ。

 神話と地続きの時代、マケドニアの王子として生まれたアレキサンダーという男は、ひたすら痛ましい王であった。
 史上空前の大帝国を打ち立てた彼の偉業、それが何故叶ったのかといえば、彼には決して満たされることのない深い空虚があり、それを高い理想で埋めようと必死だったからであり、母国に帰っても安息できない彼にとって東方遠征はグレート・エスケープでもあったからだ。
 そして行き過ぎた理想の邁進には戦争という甚大な犠牲と不毛がついてまわり、彼の生涯は大いなる栄光と失敗によって終わることになる。(勿論この東征に関しては、監督の現代アメリカの繰り広げる戦争についてのアンチも込められているだろう)
 物心ついたときから不仲な両親。アレキサンダーにとって、家庭とは心安らげる場所ではなかった。母は己の不幸を、息子に対する狂信的な溺愛で補うことで、彼を終生支配する。父王は母に疎まれ蔑まれている。しかし彼は、荒っぽくも雄雄しい父を慕っており、父に認められたいと望んでいる。父もまた息子を愛したいと思いつつも、母の存在がその関係に深い棘を刺し続ける。
 そうした彼が、母と同じ異性より、同性の友たちとの愛に理想と真の絆を求めたのは、自然な成行きとも言える。まして当時は紀元前であり、同性愛が禁忌であるという概念はなく、むしろ奨励さえされたのだということを忘れてはいけない。
 かくしてアレキサンダーは王となり、ギリシャ・マケドニアの支配拡大と東西融合の理想を遂げるため、東方遠征に向かう。

 映画の前半、これらが非常に分かりやすく描かれるので、私はもうなんの迷いもなく映画に没頭することが出来た。一個人のトラウマが国を動かすということに疑問を感じる向きもあろうが、これは映画のお話であり、面白いので、有りである。(山岸涼子の『日出処の天子』を想起した。この漫画も「聖徳太子はマザコンでゲイ」という話であったが、作品としては名作である。或いは三島由紀夫。彼の場合は、母ではなく祖母が支配的だったという話だが。まあ、ゲイであろうとなかろうと「母親の影響力」というのは根の深い話ではある)
 映像的にも、なかなか盛りだくさんである。バビロンの壮麗な王城に凱旋するシーンのキッチュな華美さは、ちょっとピエール&ジルっぽい(笑)。またそのバビロンのハーレムや、王妃となるロクサネの舞踏&婚礼のシーンなどはわかりやすい異国趣味が垣間見れるのだけど、気合入った美術は見ごたえがあって良いです。

 しかしなんといってもメインは戦闘シーンと、東征の道を進むにつれてのマケドニア軍の内部崩壊に尽きるだろう。
 特に最初の見せ場である、ペルシア帝国とのガウガメラの戦い。この映像化には素直に凄いと思ったし圧倒される。広大な戦場を、鳥瞰から至近距離に寄り、王自身も血みどろになるほど凄惨な激しい戦闘を見せつけるのだ。そこには無論爽快さなどみじんもない。結果的に勝ったとはいえ、王の奇襲案に不満を並べたてる臣下、味方の苦戦と犠牲、その甚大さに打ちひしがれる王の嘆きが強調して描かれる。
 それでも王は戦いを止めない。世界の果てをこの目で見たい、手にしたい王の飽くなき進軍がついに終わるのは、インドだ。この頃までに、戦に勝ち進んではいてもマケドニア軍の内部はバラバラになっている。
側近たちの心は王から離れ、裏切りがあり、戦いに倦み疲れた兵達には帰郷の念が強まっていく。ましてジャングルのような森のなか、疲弊しきった兵は戦意を喪失しており、ついにアレキサンダーは無謀にも象に乗ったインド王に単身愛馬とともに突撃して、倒れる。瀕死の怪我を負いながらも一命を取り留めた王は、この期に及んでようやく東征の夢の挫折を認めざるを得なくなるのだった。
 結局、彼が成し遂げたのはなんだったのか。理想を掲げての東征は、現実には殺戮と侵略で味方と敵の死体を増やし、王の孤立を深めただけだった。やがて彼は側近たちの手によって死を迎えることになる。
 彼が目指した英雄達と同じく、あまりにも悲しい王の末路であった。

 アレキサンダー大王@コリン・ファレルは、オリバー・ストーン版アレキサンダーとしては、完璧だったように思う。オリンポスの山より高い理想に向かう激しさと勇敢さだけでなく、深い鬱屈や繊細と情の深さを持つ複雑で現代的な王のキャラクターを、決してやり過ぎることなく、体現していた。
 10代の、まだ王子であった頃のちょっと頼りなげな可愛らしさが残る佇まいから、王となり連戦全勝の勢いに乗り、自信と輝きに満ちた姿へ。そして東征の進路につれ、彼の意志を理解しない側近との乖離が始まり、次第に孤独と焦燥と狂気に満ちた顔へと変貌していく。晩年(といっても30代始め)には無残なまでにやつれ果て、往時の輝きは見る影もなくなってしまう様には、切なくも惹き込まれた。
 正直コリンについては、今までは「うまいと思うし、嫌いじゃないけど…」程度だったんですが、ちょっと惚れそうになりました(笑)。
 また、いろいろと言われてる同性愛描写について。これは、いわゆる肉体的にどうこうではなく、瞳がすべてを語るというハイ・レベル(?)な描写が中心。恋人のヘファイスティオン@ジャレッド・レトとの見つめあいなど、お互いの目の熱い潤み方、その視線の絡み合いで友情レベルでないことは一目瞭然、というような。ヘファイスティオンに対してだけでなく、アレキサンダーの好意や欲望は彼の眼を見ればすぐわかる、というのがなかなか…コリン、凄いぞ~。
 そしてテリブル・マザー・オリンピアス@アンジェリーナ・ジョリーの魔女っぷりや、父王フィリッポス@ヴァル・キルマーもそれぞれ納得のキャスティングだった。王の学友→側近となる野心家・カッサンドロス@ジョナサン・リース・マイヤーズもピッタリでした(この人、こういう役がハマりますなあ)

ソドムの市

2005-02-09 | 映画【劇場公開】
 パゾリーニじゃありませんぜ。嗚呼、実に見事なポスター・ヴィジュアル(笑)!コレだけでどんな映画かわかろうというもの。
 近年の日本傑作ホラー映画の脚本を次々と生み出してきた高橋洋・初監督作品であります。(個人的には黒沢清監督と組んだ作品が好きでした)
初監督作なだけあって、とにかく「俺はこの画が撮りたかったんだ!」という叫びに満ち満ちた作品であります。というか全編ソレだけでは?(笑)そうした意味では高橋洋版Kill Billとも言えそうです。もちろんドンと製作費は落ちるにしても。いや、逆にその低予算を生かした(開き直った?)演出にこそ奇跡が!
しかも、最後までキチッと面白く見せてくれる。(本作にノレれば。ツボが合えば容易にノレると…思うんですが)
 ただしホラー映画ではありません。どっちかというと、実にマニアックなかつ微妙に笑える、オカルト・アクション映画(なんだかわからないか…)。まあ、私なんぞがつべこべ言うよりポスターの惹句が全てを語るというもの。

「按摩の笛が聞こえれば、一刀両断、仕込み杖!
 俎渡海の市がゆく所、破壊と騒乱の華が咲く!
 因縁因果の業深く、呪いと復讐の一大地獄絵巻___地獄が、地獄が戦えと言うとるんや!」

 けだし名調子であります(…)。
 役者陣的には女優に尽きる!というところで、ヒロイン・テレーズ@小嶺麗奈嬢の独りマジ芝居ぶりは凄い。正しくユマ・サーマンのブライドの如し、揺るがず聳え立つヒロインぶりです。
 そして仇役(?)、Kill Billで喩えるなら(喩えなくてもいいじゃん)ルーシー、栗山ちゃん、ダリル姐を一身に兼ねるマチルダ@中原翔子様!なんというか…監督の趣味なのか?と思うほどのコスプレ三昧のドロンジョ様のようなキャラがグレイト過ぎでした(笑)。
 映画のラスト。東京では日本刀による果てのない斬りあいで血の雨が降り、アルマゲドン勃発。それを高みから見る老人と娘という愕然とするショットで終わるのですが、それでもなお脳裏に焼き付くのはテレーズとマチルダの女ぶり、という、それが正しいのかわからないのですが、何か呆れたような清しいような思いにて観終われたのでありました。

備忘録~睦月・如月

2005-02-08 | 戯言・四方山話・メモ
○ライヴ(1月)
1/30 ~砂上の楼閣~ fOUL / suspiria @下北沢シェルター

○ライヴ(2月)
2/1 ~東流会 Vol.12 @Shibuya O-West
2/10, 13 Manic Street Preachers @渋谷AX、Zepp Tokyo

○劇場公開映画(1月)
『カンフー・ハッスル』 … シンチーの本気に最敬礼!久しく無かった香港電影の真髄、その真剣勝負な荒唐無稽に大喝采!
『犬猫』 … 作品を包む空気感、その優しさ、可愛さ、懐かしさに緩む頬。女の子ってイイよねえ、と何故か他人事のように言っちゃいかんだろ自分…
『ネバーランド』 … 感動作。らしいです。ジョニー・デップのファンの方なら元は取れると思います。
『パッチギ!』 … ベッタベタな王道青春娯楽作。なぜに今これ?と問う無かれ。喧嘩の花道まっしぐら状態に燃えろ!

○劇場公開映画(2月)
『ソドムの市』 … 高橋洋監督初作品は、まるでKillBill(笑)なかなか楽しませてもらいました。小嶺麗奈のマジぶりが凄過ぎて笑います!
『スーパー・サイズ・ミー』 … マイケル・ムーア以降の、ポップに告発モノ。ビミョーに疲れました。アメリカ人ったら、やることが極端なんだもん…

~以下、予定~
『アレキサンダー』『復讐者に憐れみを』『きみに読む物語』『運命を分けたザイル』など

東流会 Vol.12「女神降臨」@Shibuya O-West (2)

2005-02-08 | 音楽
(続き書くのに一週間…スミマセン。諸事情ありまして)
 …さて、RUMIの衝撃波にしばらくうちのめされた直後。
 おそらく、今回のイベントに来ていたお客さんの大半のお目当てと思われる戸川純+山本久土のアコースティック・ユニット東口トルエンズの登場。
 私は初めて知ったのですが、山本氏はPHEWや山本精一氏と共に“MOST”というプロジェクトに参加してる方なんですね。まずはその山本氏が一人でアコギ弾き語りを何曲か。ん~~まるで津軽三味線の如くギターの弦をかき鳴らし、がなり唄うそのスタイルは思わず三上寛か友川かずきか?!と。(友川さんはあまり知らないですが…映画IZOで初めて知ったくらいですし)野坂昭如の作であり、純ちゃん自身もかつてソロでカヴァーしていた「バージン・ブルース」も唄ってました。
 そしていよいよ、女神降臨。・・・・・・あまりに久しぶりに拝む純ちゃんに、思わず絶句。
なんというか、懐かしのデイジー・チェインソーのケイティが一気に20歳ほど老けた感じというか(分からない喩えだよ)龍ヶ崎桃子の想像する40代の彼女がパンクになった感じというか(更に分かり辛いよ)そのようないでたちでありましたが、しかし。やはり純ちゃんは純ちゃんだなあ…!と涙ぐみたくなるような変わらなさは、その表現者としての佇まいにあり!
 七色の声というには外れすぎてる調子も、小さなMCの声の震えもすべてが聴き逃せない。正に唯一無比。「諦念プシカンガ」「踊れない」等ソロの曲に混じって「ローハイド」や何やら労働歌のようなものも唄っておられました。そして、ラストには永年女王様なエミ・エレオノーラ姐御と共に「UFO」のデュエットまで!!それはそれは素晴らしかったのでありました。

 純ちゃん退場後、そのままエレオノーラ姐さんのソロへと引き継がれたのですが、既にこちらの気力体力一気に消耗。姐様の美声も久方ぶりだったのですが、ちょいと上の空気味で失礼してしまいました…。
 そうそう、ウッカリ忘れてはいけない、今回のイベントでもう一つ面白かったのが、ほぼトップに出てきた降神。純文学な私小説的なリリックにかなり感銘を受けましたね。個人的には(文芸タイプってことで少し似てる)SINGO2より、共感度は高かったです。
 大トリであるヨタロウ氏のバンドも面白そうだったんですが(民族音楽系でジプシーっぽいのとかクレズマーとかやってました)時間も押しており、腹は減るわ体力疲労激しいわで、途中おいとましてしまいました。次回行けることがあれば(メンツ次第では考えたい)ちゃんと後に備えて臨みたいなあ、と思った次第であります こんなに盛りだくさんな異種格闘技的音楽イベントなんて、そう滅多にないですからね!

アイルランド系の“血と骨”

2005-02-04 | 本・雑誌・マンガ等
実は目下、恥ずかしながらのマイ・ブーム・バンドがある。
去年後半からじわじわと潜伏し、テレビ放映されたグラストンベリー2004で完全に祭り状態になったのが、バカ兄弟@oasisである。・・・・・・遅すぎるところがクールじゃん自分!などとは到底言えないのだが、とにもかくにもハマっちゃったもんは仕方ない。

で、密林中古店で早速買ったoasisのギャラガー“バカ”兄弟の、長兄ポールが書いた『ブラザース(まんまじゃん!)』を読みながら、何故かふっと思い出したのは、梁石日の『血と骨』であった。
正確には『血と骨』に描かれる父親というか、主人公の家庭環境というか、まあ家族の中に怪獣がいるというか理解不能な暴君がいるというのは、何処の国であろうとこうなるよなあ、みたいなところなのだが。

ギャラガー家はイングランドのマンチェスターに来たアイルランド系移民である。
イングランドの労働者階級の親父、特にアイリッシュはともかく酒呑んでは暴れてパブや往来では喧嘩、家では女房子供をボッコボコというのは、映画や文学等を通して個人的には知っていたわけで、彼らの家族もまたその典型だったというのは別段衝撃的ではない。
しかし、そうした怪獣の“血”を否応なく継いでるギャラガー三兄弟の中での因縁、彼らが付き合わねばならない宿命、のようなものは察してあまりある。どんな親であろうが、受け継いでしまう「血と骨」からは逃れようがないのだから。

バンドを大成功させて文字通り夢を実現した弟二人。彼らの中に潜む怪獣は、それで少しは穏やかになっただろうか。長兄でありつつ常に頼りないと思われていた繊細なポールは、彼の中の小さな怪獣を表出もできず、なだめることも出来ないがゆえ、この本を書いたのだという。
彼の綴る言葉は、決してうまいわけではないが、それだけに返って共感と親近感を覚える。彼の家族への愛は悲しいほどに深い。酷い仕打ちばかりの父親に対してさえ、それを感じるほどに。

「怒りをこめて振り返るな」と、oasisのバカ兄弟のあんちゃんが唄ってるところを、実は先述のグラストンベリーで初めて聴いた。今までちゃんと聴いたことがなかった。あんちゃんの朴訥とした声で唄われる詩を聴いて、涙が出てきた。こんなに染みる唄だなんて、知らなかったのだ。
現実には本当に、思い出すだけで怒りで体が震えるようなことばかりだとしても。それは決して抑えきれるものではないにしても、この唄を聞いてなんとかやりすごす。
イングランドでのoasis人気、観衆の大合唱というのは、そういうことなのではないか。泣くか唄うしかない有様なら、唄うほうを選ぶさ。英国製のドラマで聞いたことがある台詞だが、まさにそんなところなのだろう。
「怒りをこめて振り返るな」は、ノエルあんちゃんが自分自身と兄弟に言い聞かせる唄だ。

そのことがよくわかった本書でもありファンは必読である、と強引に締めくくることにする。
(今更おまえが言うな!って話ですけど)

ronno

2005-02-03 | 戯言・四方山話・メモ
戯言なんかじゃないんだけど(笑)ID名ronnoについて。
これは、私の最愛のギタリスト・Mick Ronsonの愛称です。
Mick Ronsonというのは、70年代初期のDavid Bowie、所謂グラム・ロック時代を支えた名脇ギタリストでございます。彼は1993年4月に癌で死亡しておりますが、今もって彼を超えるギタリストは私の中には存在しません。つまり、最愛というより盲愛の対象でございますね。
彼の残した作品については、いずれ触れたいと思っております。
今年は彼がいなくなって12年目。そんなに経つなんて今だに信じられません。

東流会 Vol.12「女神降臨」@Shibuya O-West (1)

2005-02-02 | 音楽
◆出 演◆
☆戸川純/東口トルエンズ〈Vo.戸川純+G.山本久土(MOST)〉☆宮藤官九郎(大人計画) 
☆宮崎吐夢(大人計画)+ 河合克夫 ☆天久聖一(Cf:「バカはサイレンで泣く」週刊SPA連載)
☆降神 ☆エミ・エレオノーラ ☆Acky(面影ラッキーホール)+Rumi
☆ヨタロウwithメトローマンス・ホテル 〈Honzi(Vln),Alan Patton(Acc),ホールズ(三線) 岩原智(Tuba)斉藤トオル(Key)他〉

主催者であるヨタロウ氏@メトロファルスのお誕生日イベント。ちなみに、私もバースデイ・メイト(笑)・・・そんなことは知らずに、メンツに引かれて行って参りました。

観たかったのは、なんといっても面影ラッキーホールのAcky! 遅すぎたファンとして、ナマのAckyキモステキーなスウィートボイスを堪能したいからに他なりませんでした。そして知人が良いと言ってたRumiと降神もチェックしたく、あとはやはり80年代中期あたりに戸川純の洗礼を受けたモノとしては、教祖様の歌声とお姿を久しぶりに拝見したく。エミ・エレオノーラ姐様も同様の如しであります。

音楽系以外のセレブな方々(笑)もいらっしゃっており、特にパラパラ踊りに悶絶必至の語りを入れる宮崎吐夢には拍手喝采でありましたが、ここは一つ音楽中心に。

この夜、個人的にいたく感銘を受けましたのは、RUMI。女ラッパー。というより、そのスタイルはパティ・スミスのポエトリー・リーディングの如しであり、そのライムの殺傷度たるや岡崎京子の『へルター・スケルター』を想起させるほど。おそらく20代半ば頃の、ただでさえ華奢な体と可愛らしい顔立ちと声のうえ、彼女がリスペクトしてるというAckyのオヤジなリクエストに応えたチャイナ・ドール姿。そんな女性が、こんな物凄いライムで連射してくるとは・・・。ライヴ中に磁場に呑まれて身動きできないって経験、久しぶりにしましたよ。終演後彼女のアルバム『Hell me tight』即買でした。たった2曲だけの「亡霊パピー」「Beautiful life」が耳にこびりついて離れなかったから。いやもう、迂闊にも泣くところでしたよ・・・。
えーと、残念なことにAckyはギターとトラブル中のお笑い(?)MCに徹しており、それは大変残念でありましたが、面影ラッキーホールとしての次回ライヴ開催に期待することにします。イベント副題の“女神降臨”のとおり、RUMIのイントロデュース&サポートに徹していた彼も、それはそれで粋でございました。【続】