熊本市会 鈴木 弘のまちづくりのすすめ

21世紀はそれぞれの地域のことは、それぞれの地域で決めていく時代ではないでしょうか。みんなで一緒に考えてみましょう。

色のない県の合併構想

2007年03月31日 | まちづくりの一考察
県の合併推進構想に熊本市と富合町の組み合わせを追加するとの報道に触れた。
現在の県構想は、自主合併、市町村尊重の立場から、具体的な合併枠組みを盛り込んでいない。
しかし、県の構想に組み合わせが盛り込まれていないと、国からの財政支援が受けられないため、県が慌てて追加したとの感はいなめない。

この他、報道によれば、県はこの他の組み合わせも、法定協設置にかかわらず、協議や機運の進展を見て構想に追加すると説明したという。しかしその上で、県が具体的組み合わせを示すことには依然として難色を示しているとも報じている。

私は合併がすべて正しいとは思っていない。しかし県がいう本当の自主、市町村尊重とは何だろう。
県が具体的な構想を打ち出すと、市町村は従わなければならないと考えているのだろうか。もしそうだとすれば、それこそ市町村の自主、自立を無視する考えである。

すでに地方分権一括法の制定により、団体自治(国も、県も、市町村も対等、もしくは市町村が県や国から自立しているとの立場)の基本理念は確立されている。
県が具体的に提案したからといって、市町村がそれに従う必要もなく、従わなかったからといってペナルティーもない。
未だに市町村は県に従うもの、下請け機関といった古き考えが根底にあるのだろうか。

このブログのテーマは、「地域のことは、地域自らが決めていく時代が来た。」との考えから始めた。
市町村は、自主自立の精神旺盛な自治体へと変貌しなければ生き残れない時代にすでに入っている。
県が具体的な考えを出したからといって、それに従う時代はすでに終わっている。県の構想は参考にすればいいだけだ。

県が何も言わないことが、自主性の尊重だという考えであるならば、県は益々国と市町村とのハザマに埋没することになるだろう。
国の先には世界がある。そして市町村の直ぐ側には市民、庶民がいる。

中二階は要らないとの主張もある。
そうした中で、県が県としてきちっと位置づけられていく道は何か。そのことが問われている。

30日に県議会議員選挙が告示された。
熊本市選挙区でも、今回の県議選に多くの新人が挑戦している。しかしそれら新人も次のステップのために、とりあえず県議選に挑戦している新人もいるようだ。

そんなことでいいのだろうか。県の重要な役割は調和、調整である。
私は多様性の重要性をこれまで述べてきた。市町村が自主・独立の精神に立てば立つほど、市町村間の摩擦や亀裂が生れ易い。
そのときに市町村の多様性を最大限尊重しつつ、調和と取っていけるのは、現在のところ県しかない。

仏法用語に「異体同心」という言葉がある。
私の師匠でもある池田先生は、『「異体」すなわち「多様性」を尊重した団結ほど、強いものはない。』と述べている。

提案があってこ調整が可能である。
県民、市町村民、庶民という一点で、摩擦や軋轢、亀裂を乗り越えていくことが重要で、原点は県民、市町村民、庶民の幸せである。

県議会でも具体的提案がどんどん出てくることを期待している。
そのためには特徴のある議員が求められている。専門分野を持つ人間は強い。そして今いる場所にしっかりと根を下ろしている議員が求められている。

県議選に挑戦する皆さん。
あなたには、諦めることなく主張し続ける専門分野はありますか。県議としてしっかりと根を張り、県民のために現場に駆けつける気持ちはありますか。

思いつきやパフォーマンスに惑わされることなく、しっかりと代表を選んで行きたいと思う。








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