きょうの詩は、居座る冬のなかで冬の日和を拾いながら温まった蕾が開き、咲く一コマの想いの詩早春の紅梅節は春を告げているが冬が居座り寒々としている二月の半ば冬の緩みの間で蕾を温めた紅梅がそろそろ私の旬固い表情を緩ませひとり…と咲いて花ともりとなって燈り笑みが満面のほほ笑みとなり溢れ花から匂う芳香で壊れ始める冬の中に春を見る。 . . . 本文を読む
きょうの詩は、私が好きな容と生に思う私の想い、考えの詩容と生容はひとが作り、生は授かる。この二つは何れ形の機能を失い、消える。容も生も使用で消耗し、容は壊れ、生の機能は停止して二つは壊れる。容のなかにはその扱い・管理により、生よりも長く容を保つが、生の保ちは限られ、そのひとによって違い、終えれば無に帰する。この二つはひとにより作られ、ひとの関わりでその終えが決まるのかも知れない。 . . . 本文を読む
きょうの詩は、私が過ごすなかでいろいろ恋して思うその思いの詩性男と女が求めるもうひとつの形はある出会いから始まり縛られながらも人目を避け重ねる逢瀬、いまを忘れる口づけで求め合いは理性を失い日々のなかで燃え続ける恋はわれを忘れ夢中になり、哀しい性生を知る一時。 . . . 本文を読む
きょうの詩は、若い世代の半ばの絶ちに思う私の想いというか寂しさの詩 絶ちに思う自然に生える樹木や植物と同じようにある意味で過酷な自然の中で人は生き耐え、周りに支えられながら喜怒哀楽を通して自然に果てるまで生きていくのが私たちそれがなぜ、どうして自ら絶つのかその心の内を誰も分かろうとしていないし見捨てているのかもしれないでも人は生を受けた以上あなたに生を授けた愛する人のため絶ちは何も生まな . . . 本文を読む
きょうの詩は、早春のなかでひとあし早く咲く蒲公英への想いともる一輪名も知られていない雑草に混ざり一輪の蒲公英が天に手を伸ばし、花を一輪つけ丸顔を黄色の厚化粧で冬の終わりの日和の日差しをむさぼり濁りのない花彩の美を見せるがもう誰も私には触れない、手に取らない私が少女に摘まれたのは今は遠い昔のこと雑草となった今、町の片隅でひっそり咲く。 . . . 本文を読む