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四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

コーヒータイム。

2009-05-05 | Weblog
子供の日について考える。
今日は端午の節句、私の子供の頃は菖蒲を風呂に入れて楽しんでいたけれど、いまは余り風呂に入れて楽しむ人は少ない。鯉のぼりや粽も、いまでは私の年代が懐かしく思って手にするぐらいで余り売れない。
ご他聞にもれずマンションの多い街中では鯉のぼりもミニチュアが多いのも頷ける。
子供大きくなって粗大ごみ化した不要な鯉のぼりが山間の谷に掲げられて観光に一役買っているのも皮肉なものである。
統計によると子供は1714万人28年連続減少が続いている。
それも比率からいくと男の子が女の子より多い、つまり数字だけで捉えると絶対に恋人が出来ない男の子が出来るということ、すなわち一生独身となることである。
しかし年下、年上で結婚するから必ずしもこの図式にはならないが少し危惧してしまう。
政府も女性を担当大臣に据えて考えているみたいだけど、こればかりは親の威厳と若いばかりじゃ何も進展はしないだろう。

いまの日本に何が必要で何が大切か、誰もそれを真剣に取り組まない。
「子供の日」この事について考えるなんのシンポジュームもない。
憲法、終戦、原爆といった過去の怨念というか遺物はいつまでも引きずるが、
この明日の日本の子供のためにどうするかという議論が、戦われる一日があってもいいのにそれがない、それがいまの現実である。
女性が安心して子育てが出来る社会構造にする施策、出産、子育て、医療、仕事、地域、
教育などの体制が構築されていない所に問題の根源があるのである。
それは絶対的に男がすべてを仕切るという社会構造にも問題はあるし、社会全体がそのことに対して目を向けないし、政治も国の官僚も自分の事しか考えない利権、利己、一代的な発想に問題が山積している。
また反面一気に戦後欧米化された社会構造、日本の儒教の教えから来ていた仏教による祖先を敬う、崇める社会が崩れ、家族、家庭が積み木崩し的に崩壊した現実、
経済による差別化、負け組みと勝ち組を作ってきた自由と平等、あるいは個性といった自己中心的な理屈を振り回して社会生活のマナーを忘れた世代が大人になって、それが今の子供を育てる中心になっているのも問題である。

いま子供を産んで増やして欲しいと国がそう願うなら、
育てるにはどうするのか、子供を安心して産んで育てる環境をどう整備するのか、
そのことについて社会、会社が不足する点を補うための施策の法整備を含めたことを考えないといけない時期にきているのに政治は自分たちの権利と利権ばかりを考えている、
困った連中である。
「子供は国の宝である」
戦前の言葉を使おうとは言わないが、今のままではこの日本、移民を送ったサイドから移民を受け入れる国になってしまう。
地域、社会、会社、国が目先と権力闘争に明け暮れないで子供のために何かしないと、考えないと明日の子供に未来はない。
そのためにも国の行政をスリム化して無駄を省き、足りない分を消費税値上げして、年金、福祉、保険に限定して使い、臓器移植法などの法整備も年齢を引き下げて現実と実体にあわせるのが急務である。
いま未来の子供たちにどうすべきかを考える時である。

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