我が子を食らうサトゥルヌス
「生きることは選択の連続」
そのなかでも、いくつかの大きな人生の岐路がある。
親心として子供の行く末を思ってアドバイスをするのは当然のこと、しかしそれをどこまで子供に聞かせるべきか、子供はそれを受け入れるべきか。
子供がやりたいことを全て快く応援するのが理想とするのがいいとは思えない。
それがあう場合もあるけれど、なにが本当にやりたいのか考え抜かせ可能性の取捨選択の訓練をつませ、来るべき大きな選択に備えるのが親としての務めの一つであると考える。
これもたいして役に立つと思えないが、親とは子のレールを敷くのではなく、子が自らの足で歩く力を身につける手助けがその使命ではないだろうか。
いずれにしても100%成功するかぎりではないけれど、生きることはサバイバル、考えその選択が正しいかどうかの感知できる第六感を磨くしかない。
大概の場合、子は親の言うことは聞かない。
反抗することは成長過程での自然の成り行き、この芽を摘むことは健全な精神の成長過程を阻害する場合も多い。
押さえつけ芽を摘むことは、「我が子を食らうサトゥルヌス」の行為に等しくなろう。
諭した上で子が間違いと思える選択をした場合、親は見守る忍耐と勇気を持たなくてはならない。
ああ、まさに今わが身に起こっていることだ。