rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

慣れというものは恐ろしい

2013-10-26 22:18:47 | 雑記または覚書
今日の午前2時10分、遠く福島県沖を震源とするマグニチュード7.1の地震が起きた。
動物的第六感にあたるのか、ほとんどの地震が起きる数分前に目を覚ますのだが、今回も5分ほど前に眠りから浮かび上がった。
そのうちに小刻みに揺れがやってきて、それが長くしかもだんだんと強くなってくる。
体が緊張でこわばって、かつての記憶が蘇り、避難経路をいくつかシミュレーションするのだ。
揺れは不規則な横揺れで、揺れが反復するときはガクンと反動が来る。
あまりそれ以上の揺れが襲ってこないようで、隣で眠っている家人と子供を起こさなくても済みそうだと考えながら、それでも必ずどこか遠くで大きな揺れがあるだろうと、テレビのスイッチをつけ情報をチェックした。
陸地の震度はさほど大きくないけれど、津波注意報が発令され、台風26号などの影響によってもたらされた雨により地盤が緩んでいるところなど、被害が及ばなければいいと念じながらテレビを見る。
30分以上見続けて、夜が明けてからのことを考え、再び眠りにつく。

それにしても、この3年近く、巨大地震の余震で揺れに慢性化してしまっているのだろう、今回のいつもとは違う揺れであっても、起きることのない家人たちに、いささかの不安を覚えた。
もっとも、地震の全てが微震から始まるものとは限らなく、いきなりズドンとトップの揺れが来る直下型もあるのだから、避難できる猶予などあるかどうか分かりはしない。
日頃から、できうる限りの免災減災を心がけ、被災後の当面の生活に必要な蓄えをするぐらいだろうか。

ガラス細工に魅せられて

2013-10-25 20:06:24 | 趣味たち

ガラス細工 25/10/2013

小学校に上がるあたりから、その頃住んでいた田舎の駄菓子屋兼文具雑貨を扱う小さな店で、目に留まるきれいなものを握り締めたお小遣いで買い集めるのが好きだった。
七宝のような感じで猫や小鳥に果物などの飾りをつけたピン止めや、ガラスでできた動物などの細工物が特に好みで、マグネットのついた小箱にきちんと並べてしまっておくのだ。
ところが、小学校3年生になる頃その町から違う町へと引っ越して、大好きだった店に通えなくなってしまった。
新しい町では、そのような店の代わりになるものが近所にはなくて、ピン止めやガラス細工が増えることはなくなった。
代わりに、ガラスのランプや陶器の置物、きれいなおはじきやビー玉が、かつての役を担うことになる。
しかし、いつまでも小さな世界だけに満足していられない、やがては他の世界に移っていく自然の成り行き。
時が経ち、住む所が何度か変わるうちに、その小さな宝物の箱や置物などが一つまた一つと失われていった。
初めてイタリアに行ったとき、ベネチアのとあるガラス店で見つけたガラス細工にかつてのときめきが蘇ってきた。
子供のときに集めていたガラス細工とは違うきらめきと精巧さがあり、思わず3つほど買い求めた。
そのうち1つは買って早々に壊してどんなものを買ったのかすっかり忘れてしまい、もう一つは七色の針を持つハリネズミ、あとは艶やかな黒のサソリだ。
とても気に入っていたハリネズミは、お世話になっていた方に譲ったので手元を去って久しい。
今もいるのは、サソリだけ。
小さなカエルは、銀座を抜けたあたりのところにあったガラス店で買い求めた。
子犬は、小樽の北一ガラスだったような気がする。
それもずいぶんと前のことになってしまったが、また気に入ったものと出会えたならば、是非とも仲間に加えたいと決めている。
小さなガラス細工には、幼い頃のときめきが閉じ込められている気がするのだ。

贅沢なトマト三昧

2013-10-24 22:29:59 | 食べ物たち
昨夜、ミニトマトをいつもの知人から頂いた。
それもまあ、10キロはあるであろう大量すぎる完熟ミニトマト!
トマトソース用にと譲ってもらうのだが、ソースだけではもったいなくて、見た目のよいものを選り分けトマトの好きな知り合いに配り歩く。
皮が薄くて甘いので、フルーツ感覚でいくらでも食べられる。
以前、トマト農家の知人は、生食用のトマトをくれるときに、常温に置いておく方が味をしっかりと感じられるとすすめてくれた。
だから、そのまま受け売りでトマト愛好家達にも伝えるのだ。

今回、10キロ中7キロほどでトマトソースを作った。
今までは、トマトと香味野菜の量は同量だったけれど、このごろは贅沢にもトマトが香味野菜の3倍以上という濃厚なトマトソースとなっている。
したがって水分を蒸発させる時間も長くなり、たっぷり5時間キッチンでトマトと格闘だ。
出来上がったトマトソースは、濃い朱赤で艶があり、時間をかけただけ以上のものに仕上がった。
早速、今夜はミートソースにアレンジしてパスタを食べた。
合いびき肉に塩コショウで下味をつけ、オリーブオイルで解すように炒め、赤ワインで風味をつけてから贅沢トマトソースを加えて煮込み、最後に塩コショウで調味する。
その香りだけでそのミートソースが上出来だと分かってしまうほどだ。
じっくり炒めた香味野菜に煮詰めたミニトマトは、旨みの宝庫。
そのままシンプルなトマトソースとして味わっても格別ではあるが、さて、どうアレンジしていこうかなかなか楽しみである。

にゃあと鳴くことはあるのかい?

2013-10-23 23:22:28 | ねこ
我が家のねこは、ほとんど鳴くことがない。
よくて「にゃっ」、だいたい「あ”っ」、ほとんどが無音で口をあけるだけのちょっと変わったねこだ。
極たまにおなかの空いている朝、エサを強くねだるときにだけ「にゃーっ!!」と鳴く。
しかも、鳴いたとしても低く濁声ときたもんだ。
どんな猫でも、オスメスの別なく「にゃおん、にゃおん」ときれいな声で鳴くというのに。
そこで、この数日こうねこに話しかけている。
「ねこは”にゃぁ”と鳴くことないのなか?」
するとその効果は昨日から現れて、今日などおずおずとしながらも「にゃぁ」と鳴くではないか!
やってみるものだ、ちったあねこっぽくなったようだ。

今日など、雲って寒い風が吹いているから、パソコンをいじっている私の近くにやってきて、床が冷たいからと段ボール箱の上に乗り、パソコン画面をしばし眺めてから、だるまのようにまるくなっていた。
パソコンをシャットダウンして部屋を出ようとねこに合図したら、一緒について外へ出るところなど、なんともいじらしい。
今夜などは、倉庫においてある棚のボロ等が置いてあるところで暖をとっているかもしれないな。



リストの生まれた日にちなんで

2013-10-22 15:43:45 | 音楽たちークラシック

Artur Rubinstein plays Liebestraum nº3 Liszt

今日、10月22日はフランツ・リストが生まれた日なのだそうだ。
朝からドビュッシーの”月の光”を聴いていたが、それならばとリストの音楽をかけている。
我がコレクションは、ユンディー・リー演奏によるもの。
”愛の夢”第3番「おお、愛しうる限り愛せ」は、甘く優しく語り掛ける音楽。
これ以上ないほどロマンチックで、恋の幻想に浸るにはうってつけともいえよう。

今また性懲りもなく、シラノの世界にどっぷりとはまっているせいだが、ロクサーヌにささやくシラノといった風情を感じる。
ちなみに自分としては、ささやかれるロクサーヌよりもささやくシラノになりたい気持ちが強いだろうか。

さて、これでリストを弔うことができたか。
忘却は、決定的な死を意味し、自分が最も恐れるものであるから、そう思うのかもしれないにしても。



John Ogdon plays Liszt "Liebesträume" No. 1


Liszt Liebestraum No. 2