rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

パパイヤ体験

2013-05-26 11:47:34 | 食べ物たち
今日の朝食に、半分に切ったパパイヤを出した。
本来ならば、種を取り除いて食卓に乗せるのだが、初パパイヤなので、そのあるがままの姿を知ってもらうために、種付で出すはずだった。
台所で支度をしていると、そこへ中くらいの人がやってきて「うわー」っと驚きの声を上げた。
その艶のある黒灰色の直径5mmほどの種が、フラットに黄色い果肉の中にびっしりと詰まっているパパイヤに、どうやら嫌悪感を覚えたらしい。
「お願いだから種を取って! 食欲が失せる。」との悲痛な叫びと懇願に、食卓には種をとってから持っていくけれど、そのまえに、みんながこの状態を見てからにすることで折り合いをつけた。
小さい人も、家人も、あまり気味の良くない種に肝を冷やしたらしい。
小粒の同じ形のものが集合すると、なにやら怖気が走るのは、仕方のない拒否反応。
蟻の群れや、カエルなどの卵、時には人の群集でさえ、気持ちが悪く感じる。

さて、小さい人も手伝って、種をきれいに取り除いてから、食卓に出した。
最初に小さい人が、黄色い果肉をスプーンですくって食べてみる。
「はっきりしないぬるい味・・・」
家人も食べて、「この微妙な味は、日本で食べる果物の味とは違う種類のものだ。」
中くらいの人、「普段口にするメロンがどんなに美味しいか、よくわかったよ。」
私、「日本の果物は、大きく甘く、味を濃くと改良されているけれど、おおむね諸外国では、日本的改良はあまりしないんだよ。」
などと、初パパイヤは、話のネタに十分貢献してくれた。

外国で、果物を買って食べたときに、驚いたことを思い出す。
朝市で、ブドウを買ったとき、果物屋でリンゴを買ったとき、スーパーでイチゴを買ったとき、小さかったり硬かったり、酸っぱかったり味が薄かったり、日本で食べる果物とは別種のものだった。
どれほど日本が、甘く大きく、味にこだわった品種改良を重ねているのか、よくわかった。
あとは、果物や野菜、あるいは食肉に求める味の方向性の違いも、国民の嗜好性が反映されていることも体験できた。

いまのところ、世界から輸入される食品に触れながらも、まだ、日本的味基準を持っている子供たちに、フィリピン産のパパイヤは、なにか衝撃を与えたのではないだろうか。
このパパイヤ体験から、子供たちがなにか受け取って欲しいと、母は思うのであった。


ほうれん草入りぺペロンチーノ

2013-05-24 12:18:45 | 食べ物たち

ほうれん草入りペペロンチーノ 26/5/2013


にわかアスリートの中くらいの人のために、陸上大会前日の夕食は、ほうれん草入りぺペロンチーノ。
パスタは、エネルギー補給のために。
ニンニクとほうれん草は、スタミナとビタミンやカルシウムなどを多く含むので、ポインとが高い。
それに荒挽きウインナーで、たんぱく質もプラス。
サイドメニューとして、トマトとモツァレラチーズときゅうりのサラダ。
中くらいの人は、牛乳を飲みながら、それらを食べて、明日に備えた。

作り方はいたって簡単。
たっぷりのオリーブオイルで、ニンニクと唐辛子、ウインナーをニンニクが焦げないように弱火でじっくり香りを出しながら加熱。
ウインナーが膨張してきたころあいに、ほうれん草を投入、さっと炒め合わせ、塩と荒挽きコショウで下味をつける。
まず、そのフライパンにパスタの茹で汁をお玉半分を加えて軽く混ぜ合わせ、茹であがったパスタを入れる。
最後に、やや薄いめに塩加減を調節して、そこにオリーブオイルを一たらしして風味を加え、出来上がり。

好みによって、ケイパーやブッラクオリーブを加えてもよいだろう。

材料の目安
・パスタ2人前(一般人) 200グラム
・ほうれん草 100グラム (ほうれん草は生まで、下茹でしてない)
・ニンニク 4かけ
・唐辛子 1~2本(好みと唐辛子の辛さにより調節)
・荒挽きウインナー 6本
・オリーブオール
・塩・荒挽きコショウ

我が家では、家人が大のパスタ食い。
平気で200~300グラム食べようとする。
だから、材料の目安には、いささか自信がない。
普段、普通に500グラム以上のパスタを使って作っているからだ。

中くらいの人も、家人同様パスタ好き。
できた”ほうれん草入りぺペロンチーノ”を、うまいうまいと声を上げながら食べていた。
ちなみに、中くらいの人は、出場個人競技でまさかの1位に。
もしかして、”ほうれん草入りぺペロンチーノ”効果?なのか!




五月の黄昏時はボサノヴァにきまり

2013-05-22 17:14:45 | 音楽たちーいろいろ
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Stan Getz & João Gilberto "The Girl From Ipanema" (1964)

甘くやさしいメロディーに、ダンスのできない私でも足取りが軽くなる、そんな素敵な音楽ボサノヴァ。
今日のこの爽やかで穏やかな風の吹く夕方間近、つまり日本ではほん少ししかない黄昏時だけれど、ボサノバを聴きたくなる。
スモーキーでソフトな発声法で歌われるボサノヴァは、心をふんわりと包んでくれる。
ちょっとメランコリックなサックスも、小粋なピアノも、うまく互いの呼吸を読んでかけ合うのが洒脱である。

スタン・ゲッツとセッションしているチェット・ベイカーをついでに見つけたので、貼っておく。
バーボンの好きなアーティストの人が、昔に勧めてくれたセッションだ。
世代的にジャズではない自分だが、このセッションはとても気に入っている。

ボサノヴァは五月の黄昏、ジャズは夏の夜が似つかわしい。

タバコの香り、冷えたワイン、バーボンをストレートで楽しみながら、懐かしい大人の余裕を思い出したい、浸りたい。

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Stan Getz and Chet Baker "Just Friends" 1983

謎多き生き物、ウナギ

2013-05-21 12:22:56 | 生き物たち
世界的に、ウナギは激減しているとのニュースを見た。
日本を筆頭にアジアで需要の高いウナギ。
その養殖のために野生のシラスウナギが使われるが、今その多くをアメリカのメーン州で捕獲されたものだという。
最近では、メーン州でもシラスウナギの捕獲量は減り、1匹がなんと1ドルの高値になっているらしい。
ウナギの生態は、いまだ謎に満ちて、繁殖を人工的に行うことが困難を極めている。
今のところ、ウナギの一生は、深海で生まれ、長い旅をして淡水の小川の泥の中で成長し、10年から20年たってまた生まれた深海へと戻って、そこで生涯唯一の生殖をおこなうらしいのだ。
淡水の川などにいるときのウナギには、生殖器官が存在しないというのも驚き。
また、海水に入ると体の色が変化し、目も深海に適応するように大きくなり、消化器官を停止し、自らの蓄えた脂肪で命を繋ぎながら何百キロの距離を移動する、脅威の生命力を持っている。

日本では、盛夏の丑の日、ウナギを食べ精をつけて夏を乗り切る習慣があるが、ということはウナギのその生命力の凄さを知っていたのだ。

我が地域には、ウナギが神様として祭られている。
我が家からそう離れていないところに、小さな川の源流がある。
ほぼ平地といえなくもない地形なのだが、地面から水が染み出して流れを作り、その下流に何箇所も水の染み出るところがある。
それらが集まり小川となって、東に向かい湖に注ぐのだ。
さて、当のウナギ様は、その昔、小川の染み出るあたりに棲む大ウナギだったとのこと。
大きなものや白い生き物を信仰の対象としてきた日本的風土の特色が、ここにも現れている。
そこで、信仰の対象であるウナギを食べることは守っての他と、この地域の特に男子は、ウナギを食べてはいけないという伝統がある。
もっとも、最近その伝統は薄れて、頑なに守る人はあまりいないようだ。

食べてはいけないとは極端でも、乱獲は論外だ。
養殖ウナギだから安いし、食べても問題ないでしょうというなかれ。
交配させて卵を産ませ、稚魚を得る術がまだ確立されていなければ、養殖の元は野生のシラスウナギなのだ。
結局乱獲に当たるでしょう。

人が、欲と利便性を追いかけて、自然を損なっていく。
損なわれてしまったものは、簡単には回復しないのだ。
ウナギが好きな日本人なれば、ウナギを大事にしようではないか。
ウナギは、近代日本の歴史の一部で文化でもある。
皆さん、ウナギを大切に、有難く少しだけ頂こうではありませんか?




燃え立つような生命のエネルギー、ゴッホ

2013-05-20 11:20:24 | アート

麦畑と糸杉


アイリス

ゴッホのタッチは、生命の湧き上がり揺らめくさまを写している。
そう、彼は、霊媒なのだ。
凄まじい自然の宇宙のエネルギーの媒介をするには、ちっぽけな人間には荷が重過ぎる。
彼が、奇人変人、狂人とののしられても、それは致し方のないことなのだ。
自然のエネルギーに誘発されて、彼の精神が暴発しないほうが奇跡ではないか。
見よ、この湧き立ち燃え上がる麦の穂を、糸杉を、空と浮かぶ雲を!
これが命の爆発だ。

誰しも一度は経験があるだろう、自分の体の中を、足元から周りから圧倒的なエネルギーに押し寄せられ、駆け巡ることを。
そのエネルギーによって、体が宙に浮かぶような錯覚を得たこともあるのではないか。
その経験が、絵筆を握らせなくても、音を紡ぎだすとか、自然の力を導き出す技術の開発だとか、言葉を操る技を身に着けるとか、なにかを私たちに促すのだ。

ただ、ゴッホの場合、あまりのエネルギーの大きさに、自分を持っていかれたのだと思う。
我々は、彼の霊媒の結果をこうして眺め、疑似体験をする。
なればこそ、彼の絵は、人を惹きつけて止まないのだ。


麦畑にカラス