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荒唐無稽、New World

2012-02-06 16:07:51 | 随想たち
グローバリズムで世界は狭く、均一化されようとしている。
”金”の仮面をかぶった得体の知れないものが、地球を支配しようと目論んでいる。
とにかく、”金”つまり富を手中にしたそのものは、地上にあるもの全てに影響力を行使しようと、一つの神になりたがっているように思える。
でも、それは、地球の成り立ちそのものを、無視している暴挙だろう。
一つの視点で捉えられるほど、地球は単調ではない。
そもそも人は、地球に存在する種の一つにすぎず、”神”になどなろうはずはないのだ。
小さな島国日本にしても、北と南、東と西、太平洋側と日本海側で、気候風土の差は目に見えて明らか。
同じ県の中でも、雪の降るところとそうでないところがあり、日本を一つにひっくるめること事態無理がある。
そこで、このようなのはどうだろうか。
まず日本の名称を変えてみる。
日本道州共和制君主国。
長ったらしい、相反するめちゃくちゃな名称だが、いかにも日本らしいと言えなくまいか。
人の集まりや行政は、大きすぎると民衆の関心が希薄になり、一部の業突く張りに専有されてしまうし、小さくても縁故派閥が幅を利かせたり、まっとうな意見を出せなくなったりもする。
だから、行政の単位を今の県よりも小さいレベルにしてみるのだ。
そして、それが文化的に似通った地域がいくつか集まって州を形作り、小さな国としての機能をもつ。
それらの州が、対外的に負けないように、日本国の構成員となる。
日本国の構成員は、ともすると離反可能で、いつも緊張と和合を強いられるが、それもやむを得ない。
風の流れないところの植物には、虫や病気がつきやすく、流れない水は腐っていくのだから。
小さい日本だけれど、過去に様々な対立遺恨はつきもの。
しかし、他国から見れば共有できる文化歴史風習が多いのも事実だ。
弱者は手を取り合って、助け合わなくては、生き抜くことは叶わない。

昨夜のNHKスペシャル”天空の棚田に生きる ~秘境 雲南~ ”にもあった。
争いを避けて落ち延びたマニ族は、標高1800メートルの高地に1300年の歳月と労力をかけて棚田を切り開いた。
一つの棚田が悪くなれば、他の棚田に悪影響を及ぼす、微妙なバランスの元に成り立つ棚田。
他のものを思いやり、まずは自分の持分を良くする努力を惜しまない。
また、水と養分の循環を考慮した土地活用。
高いところに森、住居、棚田と順に割り振る。
土地の気候と地形を考えた、大気と水の循環で、半永久的な稲作を可能にしたのだ。
半永久的とは、地球環境の大きな変動がなく、人の労がきちんとなされて約束されたという意味。
少数民族ゆえの家族的感覚が、全ての支えとなっている。

人は、どんなに便利になりいながらにしてたくさんの情報を集められ、世界を知ったつもりでも、存外認知範囲は狭いのだろう。
何度も言っていることだが、幻の統一世界など夢見ないで、もっと小さな人の結びつきを大切にしよう。
もしあるとするならば、統一世界よりも、ちいさなセルが集まって大きな樹木を形作る世界を夢見たい。
根もあれば、幹や枝、葉もある。
それぞれ役割は違えども、どれもなくてはならない存在。
New World。
荒唐無稽かもしれないが、人も生き物も存在を誇れる世界に。

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