rock_et_nothing

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駄菓子屋は、寺子屋そして社交の場

2017-08-22 23:46:02 | つぶやき&ぼやき
最近富みに思うこと。
かつて田舎においてもぽつぽつとあった駄菓子屋は、子供たちにとってとても大切な場であった。
自力でおやつやおもちゃ・文具用品を調達できるだけでなく、基礎的な計算力を身につけ、かつ限られた少ない予算の中で如何に望むものを組み合わせたり折り合いをつけて購入し、店のおばちゃんやそこに訪れるほかの子供たちとの付き合い方、公共の場でのマナー、あるいは友達と共同でお菓子などを買うなどの知恵を学んだり、実に総合的な学びの場だった。
今、そのような場が無くなったことで、子供が自由に活動できる機会も失った。
そして、学校で習得する内容は、実践する機会を伴いにくくなったので、子供の生活に結びつきが弱くなり、学習を不得手とする子供たちをより困難な状況に追い込むこととなっている。
たとえば、「掛け算の有用性に気がつく」「概数の意味やその便利性を実感する」「組み合わせのバリエーションを考える」「暗算をする・・・頭の中に黒板をもち、短期メモリーの訓練をする」など、お金に関わる諸々のこと。
制限が設けられた中で欲望の優先順位をつけたり、また諦めるなどの制御を学んだりと、道徳的なこと。
物を真剣に選ぶために、多くの情報を処理・分析し、判断力を養うこと。
これらをこなすことで底上げされてきたものが、できていない。
親や大人の庇護の元では、吸収率はあがりにくい。
子供の世界で、子ども自身が緊張感を持ち臨み、あるいは教え教えられることで真剣さが増すというものだ。
数年前に、確か東京のある街で駄菓子屋を復活させて、子供の社交場を作るという取り組みをしている人がいると、テレビで見たことがある。
おそらくその人も、ある危機感を感じていたのではないかと思う。
子供の過疎地において、それはなかなか難しいことである。
けれど、それに匹敵するような何か子供の真剣な自主的活動による学びの場ができることを、切に願うのであった。