りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 

湯野浜温泉、営業していないホテルがあったりとか、コロナ後で大変な感じだねえ。

 

 

 
 

そんなこと言わない。でも、鄙びた雰囲気もあって良いじゃない!

 

 湯野浜温泉へのアプローチは、鶴岡方面からちょっとした丘を越えていくような変わった地形でした。

 宿に着き、周辺を散歩することにします。

 見出し画像は、公衆浴場ですかね。

 その手前の民家でしたか、ツバメの巣がありました。

 消火栓もなんとなく昭和な雰囲気が。

 街を歩いて、営業していないホテルが目につきました。

 売りに出されているようなので、廃墟というわけではないのでしょうが。

 少し侘しい感じが漂ってしまいます。

 湯野浜温泉は、もとの名は「亀の湯」といい、天喜年間(紀元1713~1718キリスト暦1053~58 )に付近の一漁夫が海辺で温浴している亀を見、この地に温泉が広まったそうです。そして大正期から昭和初期にかけて,上山温泉,福島の東山温泉とともに奥州三楽郷と言われたとのこと。

 天喜年間というと前九年の役真っ只中。

 そんな戦乱の時代に、温泉開基という平和なこともあったのですね。

 左の写真は、湯野浜温泉のマンホールです。

 カニと夕陽でしょうか。

 亀はいないのですね。

 天喜年間の亀は、7日間、温泉につかり、傷をいやしたそうです。

 その後、ご丁寧に村人の夢にまで出てきて、温泉場を作らせたとか。

 その後、海辺の岩に堂宇を立て、湯蔵権現と名付けられ、明治以降には、湯野浜温泉神社と改められたとか。

 祭礼では、大きな亀を乗せた神輿を子どもたちが引っ張るとか。

 湯野浜温泉は、源泉は集中管理のようですね。

 有限会社というのが時代感があります。

 有限会社が廃止となったとき、株式会社の最低資本金の緩和が行われた記憶がありますが、知り合いの有限会社の方に、株式会社に転換するのですかと聞いたら、有限会社の方がそのうち老舗感が出てくるよと言っていたのを思い出します。

 足湯のところの広場です。舞台のようなものもありました。

 このあたりには、かつては、駅があったとか。

 そういう場所は、街の中心であり続けるのですね。

 海辺には、ハマヒルガオの花がよく咲いていました。

  砂浜からホテルへの帰路につきます。

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各地のマンホール: りぞあかぶろぐ (cocolog-nifty.com)



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